でっち上げ探偵「翔ぶ女」
塚内 想
第1話 教師・天尾真穂
「
一人でキャンプファイヤーの準備をしている二年一組担任の
「はい、ちょっとこれを処分しておこうと思いまして」
そう言って黒いゴミ袋を持ち上げて示した。
「なんですか、それは?」
古家先生が聞いてくる横で、そのゴミ袋を
「生徒たちから没収した、お菓子や漫画です。持っていても荷物になるので早々に処分します」
「……いいんですかね。いくら違反行為だっていっても生徒の私物を勝手に燃やしちゃったりして」
そう言ってくると思った。
「違反は違反です。生徒たちに自分たちの行為がどういう結果をもたらすかを、きちんと教えるのも私たち教師の務めではないでしょうか」
古家先生は特に事なかれ主義だから強気で押したほうが効果的だ。
「……そういうもんですかね」
もうひと押しだ。右手を差し出して
「責任は私が持ちます。火を貸していただけますか」
ライターを半ば強引に奪い取る。先生はギュッと絞った新聞紙も差し出してきて
「私は知りませんよ」
と押し付けてきた。もうすぐ五十歳になろうかというおじさんが二十代の小娘に責任を押し付けるなんて気がしれない。だが、私は黙って新聞紙にライターで火を着ける。新聞紙に火が着いたのを確認すると、そのままゴミ袋のそばに投げ入れる。
「
背後から声をかけられビクッとする。振り返るとクラス委員の
「先生、
私に近づいてきて小声でこっそりと聞いてきた。私は横に首を振る。
「ううん、まだ見つかっていないわ」
そう言うと彼女は寂しげな顔をして
「……どこ行っちゃったんだろう」
呟いた。思わず
「心配?」
と尋ねた。
「先生は心配じゃないの?」
真鍋さんの質問は他の先生方がまだ探している最中なのに早々と戻ってきた私に対する非難でもあるのだろう。私は
「心配してないわけないじゃない。私はもう戻ってきているんじゃないかと思って早めに戻ってきたの」
そう言い訳をする。真鍋さんはその言葉で信じてくれたみたいだが、そばで聞いている古家先生は私がゴミを処分するために戻ってきたのを知っているから冷めた目でこちらを見ている。
「先生、左のほっぺ、ケガしてない?」
おもわず、左手で頬を触る。痛っ。ホントだ。血は出てない。
「待って。うち、絆創膏持ってるから」
彼女は上のジャージのポケットから小銭入れを出すと、そこから絆創膏を二枚取り出して、頬に貼ってくれた。
「なんで、そんなところケガしたの?」
「覚えてないな。國分くんを探す時に木の枝かなにかでつけたんじゃないかな」
そうしているうちに他の生徒たちがロッジから次々と出てきた。そろそろキャンプファイヤーの時間だからだ。
「
出てきた生徒の中から一人の子に真鍋さんが声をかける。
「あっ……知らねえよ。ブス」
声をかけられた志鎌くんは面倒くさそうに答えていつも一緒にいる二人と共に指定場所に向かおうとする。
「こら、志鎌くん。女の子に向かって、そんな言葉を使うんじゃありません」
さすがに聞き捨てにするわけにはいかないから、志鎌くんに向かって注意する。こちらを振り返りもしない。
真鍋さんは黒髪を無造作にひっつめて、おでこを思いっきり出してる。それにフレームの太い黒縁メガネをかけているからパッと見、可愛くは見えないかもしれないけど、おしゃれしたら、テレビに出てるアイドルに負けないくらいの美人だと思う。
対する志鎌くんだって、かなりの男前だと思う。中学二年にしては低い方かもしれないが、顔立ちは甘いし、小綺麗にして笑顔でいたら女の子にもっとモテる気がする。実際、気になってる子はいると思う。
「あいつ絶対、知ってますよ」
真鍋さんは断言する。彼女から
「國分くんが志鎌くんたちから、いじめられている」
と、告げられたのは、もう何ヶ月前になるだろうか。
自分が担任している二年二組で、いじめがあるなんて思ってもみなかった。だが、集団行動をしているのだから、あっても不思議じゃない。そんなのは頭ではわかっていたが、やっぱり信じられなかった。いや、信じたくなかった。
だが告発を聞いてしまったのなら対処しなくてはいけない。
私はまず國分くんに事情を聞こうとした。だけど、彼は
「そんなことありません」
と、否定しかしなかった。志鎌くんたちに同じように聞いても否定されるだろう。それどころか疑われて傷ついたなどと言って親を巻き込んでくることだって考えられる。
とりあえず様子を見ることにした。
疑って見ていたためか、今まで見えていなかったことがずいぶん見えてきた。
授業中にさりげなく國分くんの机に近づくと落書きや傷が目についた。鞄も他の生徒に比べて汚れや傷が目立つ。
元々、おとなしい生徒だと思っていたから覇気がないことには気にもとめていなかったが、こうなってみると一年の頃からいじめられていたのではないかと思う。志鎌くんとは一年、二年と同じクラスだったし。
休み時間にも注意してみると志鎌くんたちと、つるんでいることがよくある。そういうシーンは以前から見ていたはずだが、偏見の目で見てしまうと、やはり仲がよいというより、からかわれてるように見えてしまう。
逆に他の生徒は國分くんと話をしているように見えない。例外は真鍋さんくらいだ。だが、彼はそんな真鍋さんとも話そうとはしない。
学年主任の
「単に仲がいいだけでしょう。からかうなんて男同士ならよくあることですよ」
取り合ってはもらえなかった。「本人から相談されたらにしたほうがいいですよ」とも言われた。不用意に首を突っ込むなという警告に受け取れる。
真鍋さんからは、「どうなったのか」聞かれる。せっかく相談したのに、状況がなにも変わっていないことに苛立ちと不信感が出てきているみたい。だけど、そんな簡単に変わるわけがない。なにより本人が否定しているのだから対処なんてしようがない。苛立ちはこちらも同じ。
「おい、大変だ!」
あとからやってきた男子生徒がすでに並んで待っている子たちのところへ走っていくところで我に返った。
「先生たちが戻ってきたんだけど……首つり死体があったらしいぜ」
体育座りでおとなしくキャンプファイヤーが始まるのを待っていた生徒たちから驚きの声が上がる。
「見に行こうぜ」
という声が上がると男子を中心に我先にと立ち上がった。
「やめなさい!おとなしく座ってなさい」
私と古家先生で一生懸命、行こうとしている生徒たちを抑えようとするが、勢いづいた生徒たちの流れを止めるのは教師二人では無理だ。結局、一部の生徒を除き大半の生徒が首つり死体の現場……國分
「なんだよ!これじゃ、鑑識作業なんて意味ねえじゃねえか!」
施設の職員の方の通報でいち早くやってきた、お巡りさんが怒られている。興味本位で現場までやってきた生徒たちのせいで保存できなくなったせいだ。生徒たちは死体を見るために足跡や指紋を傍若無人に、そこらじゅうにつけてしまっている。お巡りさんが着いた頃には、もう現場保存なんて意味がなかった。
「
怒っている鑑識の人をなだめている厳つい顔をしたおじさんが警視庁の
怒っている阪上という人以外の鑑識員は、それでも作業を進めている。
迷惑をかけた生徒たちは他の先生たちに連れられてロッジに引き返していった。それぞれの部屋で待機しているはずだ。あとで生徒たちにも事情を聞くことになると重村さんは言っていたが田所先生は、それはやめてあげてくださいとお願いしていた。
田所先生は学年主任だし、私は國分くんの担任だからまだ現場に残っている。田所先生も私も大きな杉の木の枝からぶら下がっている國分くんの遺体を見ることができない。
國分くんは枝に引っ掛けてあるロープの端に首をくくりつけて亡くなってた。ロープのもう一方の端は杉の木の近くにある小さな切り株に結んである。
「普通だったら枝にロープをくくりつけて首をつるもんだがな」
重村さんはぶら下がっている國分くんを見ながら呟いてる。自殺とは思っていないのかもしれない。
「ご遺体を降ろします」
そう言って鑑識員さんが切り株にくくりつけられているロープを外して、ゆっくりと國分くんの体を降ろしていく。國分くんの首に巻かれているロープを外すと彼の体は納体袋と呼ばれる遺体収納袋に入れられて担架に乗せられて現場から運ばれていった。
「……
重村さんがそばにいた若い女性の刑事さんと話している。耳が隠れるくらいのショートカットでメガネをかけてる。怖い顔した重村さんに臆する様子はないみたい。……当たり前か。私とそんなに年の差は無いと思う。紺のスーツの上に白いダウンジャケットを羽織っている。教師だと言われても信用してしまうかも。
ところで吉川線ってなんだろう?
「ありましたね」
……女の刑事さんなのに、ずいぶん男っぽい声だな。
「ちょっと、なんであんたがここにいるの!」
あれ?女の人の声だ。振り返ると重村さんと話していた女性の刑事さんのそばに小柄の男性が立って運ばれていく國分くんを見ていた。その男性はちょっと小太りで黒のベストに半袖の開襟シャツを着ている。この人も刑事さんなのだろうか?
「ネツガミくん。どうしてここにいるんだ」
重村さんも同じことを聞いてる。すると小柄の男性の背後から対象的な大柄のお巡りさんがやってきて、
「すみません。この人、勝手に現場に入ってきちゃって」
「何やってんの!無関係の人間を現場に入れちゃダメじゃない。なんのために突っ立ってんのよ」
あんな大きなお巡りさんを怒鳴るなんて、ずいぶん怖い刑事さんだ。
「いや、無関係かどうか、わからんぞ」
重村さんが意味ありげにネツガミと呼ばれた男性に向かって
「君、もしかしてこの事件に関係があるんじゃないか」
聞いてきた。
「へ?……いや、ちょっと待ってくださいよ。僕は今、ここに着いたところですよ」
「君がそう言ってるだけじゃ信用するわけにはいかないな。私らが呼んだわけじゃないのに、なぜか現場にいるんだから疑われてもしょうがない。それとも、なにか証明するものはあるのかい」
しどろもどろになってるネツガミさんに詰め寄る重村警部補。ちょっと面白そうだけど、この人なんでここにいるんだろう。私も気になる。
「いやいや、それは守秘義務ですから。……それよりも今の遺体の殺害時間はわかるんですか?」
「それこそ守秘義務ってやつなんだがな。……まあいい、今から一時間から四時間ほど前だという話だ。彼が行方不明になってから発見されたのが、だいたいその時間だそうだ」
「だったら、僕の無実は証明できます。今から四時間前に
……旗沼町?
「なんで、そんなところで聞き込みしてたのよ」
女の刑事さんが詰め寄る。
「ええっと、それこそ言えないっていうか……」
ネツガミさんは、こちらをチラチラ見ながら言いよどんでる。
「身上調査ですから、さすがに言うわけにはいかないんです。勘弁してくださいよ」
さっきの大柄のお巡りさんに確認の指示を出した重村さんが半分べそをかいてるネツガミさんに告げる。
「だったら無実の確認がとれるまで自由に行動させるわけにはいかないな。
早崎と呼ばれた女の刑事さんが彼の腕を捻り上げる。かなり恨みがこもってる感じだ。
「わかりました、言います。……えっと」
ネツガミさんが言い出そうとするのを私が遮る。
「あの、もしかしてあなたは探偵さんですか?……だとしたら身上調査をしてるのは……私ですか?」
渡された名刺には
「捏上探偵事務所 所長
と書かれている。
「いやあ、助かりました。ありがとうございます」
ポケットから取りだしたチョコ棒を食べながら捏上探偵はペコペコと私に向かって頭を下げてる。ここは宿泊ロッジ内のエントランス。私と捏上さんはここのソファに座って警察の事情聴取が始まるのを待っている。
「生徒の手前、施設内でお菓子を食べてもらっては困るんですが……。身上調査って依頼したのは
「えっと、ですからそれを言うわけには……」
この期に及んでまだ、しらを切ろうとしてる。
「でしたら直接、彼に確認します」
そう言ってジャージのお尻のポケットからスマートフォンを取り出す。
「わあっ!待ってください。婚約者さんはなにも知らないんです。これがバレちゃったらどんな騒ぎになるか」
「だったら正直に言ってください」
素知らぬ顔でスマホを開いて操作する。
「……わかりました。お察しの通り、僕に依頼されたのは水足さんのご両親です」
そんなことだろうと思った。
「公立中学の教師というだけじゃ信用されてないんですね。まあ、彼のうちは昔からの資産家だって聞いたことがありますから、どこの馬の骨かわからない女を嫁にするのは気が気じゃないんでしょうね」
「いえいえ、形式的なもんですから」
依頼人のために必死になって言い訳をしてる。
「形式でも調べられる側にしてみたら腹立たしいことこの上ないですよね。こちらから文句を言ってもいいと思うんですけど」
スマホの画面から目をそらさずに探偵さんにプレッシャーをかける。結構、気持ちいい。
調査対象者にバレてしまったら、かなりのペナルティーが課せられるんでしょう。
「もしかして金遣いの荒い女だって報告するんですか?」
操作を止めて画面から目を離して捏上さんを見る。彼はドキッとした様子で
「……どうして、そんなことを考えたんですか?」
聞いてきた。
「旗沼のスポーツ用品店って先日、私が買い物をしたところですね。どうして、そんなところを調べたんですか?」
「形式的なものですから。……それに、そんなに高いものを買われたわけではないですよね」
ヘラヘラ笑ってる。
「まあ、そうですね。……何を買ったか店長さんは知ってたんですか」
「いえ、さすがに三日前のことなんて覚えてはいませんでした」
「じゃあ、どうして高いものじゃないって……」
捏上さんは笑顔を崩さずに答えた。
「一応、尾行してましたから」
また画面に目をやって操作を再開する。
「わあ!待って、待ってください。絶対、報告しませんから。ジャージの上下を購入したなんて言いませんから」
疑いの目で捏上さんをジロリと睨む。
「だったら、どうして今日スポーツ用品店に行ったんですか?」
「一応、確認です。普通、ジャージなんて滅多に購入しませんから。もしかしたら、あの店の常連なのかと思ったもので」
ハンカチをポケットから取り出して汗を吹きだした。
「今、着ているジャージ……ではありませんよね」
私は自分が着ている濃い紫の色のジャージの襟をつまんで、
「これは今まで着ているやつです。あくまでも予備で買っただけです」
生徒は学校指定のジャージを購入させられるが、教師は基本的に自腹で好きなものを買える。もちろん、過度に目立つものはダメだろうけど。
「今日のためですか?」
妙に食いついてくるな。こんなことなら、ネットで買えばよかった。
「いいえ、ただ今日でボロボロになってもいいように買いました」
思わずつっけんどんになる。この人は他人の神経を逆なでする名人だと思う。
「ボロボロになるような行事とかがあったんですか?」
ムカッ!また画面に目を向けて操作する。
「ああっ!すみません。人の嫌がる質問をするのは職業病なんです。許してください」
フーッとため息を付いて手を止める。そしてまた捏上さんの方を見る。
「……わかりました。私は聞かなかったことにしておきます。ですから、どうぞご自由に報告なさってください」
捏上さんは喜色満面にあふれた笑顔を浮かべて
「ありがとうございます。助かります。……けっして、先生の不利になるようなことは報告しません」
頭を下げる。そして、
「……あの、まさかもう婚約者さんにメールしたりとかしてません……よね?」
そう聞いてきた。私はニッコリ微笑んでスマホの画面を捏上さんに向ける。
「ここ……圏外なんです」
「それでは、國分昌孝くんから、いじめを受けていると相談されたんですね」
教員に割り当てられた部屋で事情聴取が始まった。最初に担任である私からだ。もっともそれは私の方からお願いしたことだ。
「はい、最初はクラス委員の真鍋さんから相談されました。彼がいじめられていると。それで私が國分くんに話しかけたりして最近になってやっと教えてくれるようになりました」
重村さんは納得した風に頷いてる。ちゃぶ台を二つ横に並べて隣に座っている早崎さんは終始無言でメモを取ってる。
「どんな風にいじめられていたか聞いてはいませんか」
「……どんな風って言われましても。あまり細かくは聞けてませんでしたから。……ただ体に傷や痣がついてましたから殴られたりしたんだと思います」
思い出しながら答える。
「たしかに彼の体には無数の傷や痣がついていました。それも今日つけられたような新しいものまで。おそらくこの林間学校でもいじめられていたんだと思われます」
重村さんの言葉を聞きながら志鎌くんたちの顔が浮かぶ。
「誰からいじめられていたか、言ってませんでしたか」
「し……いいえ」
思わず出そうになった言葉を抑えたが、刑事さんは聞き逃さなかった。
「先生。今、誰かの名前を言おうとしてましたよね。いったい誰の名前を言おうとしてたんですか?」
うつむいて黙っている。
「先生が仰らなくても、先程出たクラス委員から聞いてもいいんですよ」
ああ、しまった。……ここは言うべきか。
「僕が見た限りでは彼の体には首の吉川線以外に傷らしいものは見えなかったですけど、先生はどうして彼の傷のことを知ってるんですか?」
覚えのある声が聞こえて思わず顔を上げた。重村さんたちの背後にあの探偵さんが立っている。
「今は先生の事情聴取なんだから勝手に入ってこないで」
早崎さんが振り返って捏上さんに向かって怒る。彼は気に留める風でもなく私からの答えを待っている。
早崎さんは怒っているが重村さんは捏上さんを咎める様子はない。彼も答えを聞きたいのかもしれない。
「……その前に、その『吉川線』ってなんですか?」
とりあえず聞いてみる。現場でも言ってたけど、ここは携帯の電波が届かなくてネットに繋げて検索することもできないから気になって仕方がなかった。
「吉川線っていうのは絞殺死体にできる傷跡です」
重村さんが話し始めた。ロープなどで首を締めると、なんとか外そうとロープを被害者が首とロープの間に手を入れる。その時に爪などで引っ掻いたりしてできる傷が吉川線だそうだ。
「覚悟の上の自殺の場合だとそういう傷はまずできません。もちろん、なかなか死ぬことができずに苦しさから解放されようと無意識のうちにロープを外そうとして付くケースもありますが……」
そういう言い方だと今回の場合には当てはまらないと考えているのかしら。私はあまり遺体を見ていないから國分くんの首にそんな傷があったなんて気がつかなかった。
「え……っと、一応彼からいじめの件を聞いた時に服を脱いで見せてもらいました」
教えてもらったから、こちらも捏上さんの質問に答える。
「先生と國分くんの二人きりでですか?警察だって身体検査には同性の警察官を使うのに」
捏上さんの言うことは、もっともだと思うけどその物言いにカチンと来る。
「ええ、そうですね。自分でも不注意だったと思います。……どうぞ、このことも報告してくださって結構です」
私の方もキツい物言いになってるが仕方ないと思う。
捏上さんは私の発言を気にするでもなくニヤニヤ笑ってる。
「すみません。人の嫌がる質問をするのは職業病ですから」
そう言えば許してもらえると思っているのかしら。
「肌が露出している顔や手とかには傷をつけてないんですよね。……かなり悪質ですね」
早崎さんがメモをとる手を休めて重村さんに話しかける。
「改めて伺いますが、國分くんをいじめていた子の名前を教えていただけますか」
重村さんが話題を戻してくる。
「それは……言えません。証拠があるわけじゃありませんし。國分くんからも名前は聞かされていませんでしたから」
「……わかりました。別に先生の発言だけで疑いをかけるわけではありませんから、もし仰っていただく気になりましたら遠慮なく声をかけてください」
それでは……と言って話を切り替えてきた。
「彼が行方不明になったと気がついてからの先生の一連の行動を伺ってもよろしいでしょうか」
「はい。今日の昼食後の休憩中に彼の班員から『國分くんがどこにもいない』と報告がありました。それで戻ってこないので私と学年主任の田所先生で探しにいくことになりました」
「お二人、一緒にですか」
「いいえ、手分けして」
「具体的な時間はどれくらいでしょうか?」
「午後一時から一時半くらいです。結局行いませんでしたが、一時半からオリエンテーリングをする予定でした」
「では、その時に班員の目を盗んでどこかに行ったと。他に戻らなかった生徒はいましたか」
「いいえ、念の為に点呼をとりましたが彼以外は全員、揃ってました」
重村さんは当てが外れたような顔をした。
「……國分くんは、なにか変わった様子はなかったですか」
「……」
「どうかされましたか?なにか思い当たることがあるなら遠慮なく仰ってください」
逡巡したが思い切って言った方がいいかもしれない。
「いじめられてると言ったことがバレたみたいだと言ってました。ずいぶん怯えていて『もうダメです』みたいなことも言ってました」
「……なにが『ダメ』なんでしょう?具体的に、なにかあったか話してくれましたか」
「いいえ、私も『ダメじゃないよ、大丈夫だよ』と励ますだけで内容まで聞けませんでした。今にして思えば、もう少し彼の話しをきちんと聞いてあげればよかったです」
うなだれる。その時、ノックの音が聞こえた。扉が開いて先程の大柄なお巡りさんがヌッと顔を出して重村さんを呼び出した。
「ところで……」
部屋の隅であぐらをかいて座っていた捏上さんがまた話しかけてきた。が、
「ちょっと、あなたは部外者なんだから、とっとと出ていってくれない」
早崎さんが睨みつける。
「うわっ怖っ。
「下の名前で呼ぶな!」
女の刑事さんは早崎薫って名前なのか。「かおる」じゃなくて「かほる」って読むのは珍しい。早崎さんは私の方に向きなおって
「付きまとわれて困ってるなら、いつでも言ってきてください。すぐに逮捕しますから」
と言ってくれた。
「大丈夫です。一応、弱味も握ってますから」
どれほどの効果があるか、わからなくなってきてるけど。
重村さんが渋い顔をして頭をかきながら戻ってきた。手にはナイロン袋を持っている。
「ちょっと、これを見てもらえますか」
そう言ってちゃぶ台の上にさっきのナイロン袋を置く。二つの袋の中にはB5サイズのノートを破いたような紙が一枚と白い洋形六号の封筒が一つそれぞれ入っている。封筒は土で汚れてるし、どちらも、くしゃくしゃだ。
「先程の現場の茂みの中から見つかったんですが、これに見覚えは?」
「いいえ」
否定する。重村さんは気にする風でもない。
「こちらの封筒の方は生徒たちの足跡やらで汚れているのでわからないのですが、中に入っていたこちらの紙には指紋が一種類だけ検出されたそうです。まだ確認は取れていませんが、おそらく國分くんの可能性が高いと思われます」
紙の入ってる袋をこちらにスッと押し出す。
「中に『自分は三人の生徒からいじめを受けている。もう生きていくのも辛い』というような文章と、その三人と思われる名前と國分くんの署名が手書きで書かれてますね 」
袋を受け取った私は「はい」とだけ答える。
「國分くんの手書きの字が書いてあるノートなどで筆跡も鑑定しますが、先生にも伺います。……これは國分くんの字でしょうか?」
「そうだと、思います」
國分くんの字は綺麗だけど、少し小さく書く癖がある。
「それで、この三人が先生が疑っている生徒でしょうか?……ええと、志鎌
「『おこひら』です。
難しい読みだから訂正する。ただし、彼らを疑っていることは伝えないでいる。
「ありがとうございます。後でこちらの三人にも話を聞かせていただきます」
重村さんは名前を手帳にメモする。
「これ、なんだ?……こ?……いや、跳ねが全然違うか」
いつのまにか私の背後に回って肩ごしに覗き込んでる捏上さんが紙のなにも書かれていない場所を指差す。
「ちょっとなにやってんの」
早崎さんが立ち上がって捏上さんの腕を取ろうとするが間一髪、手を引っ込める。
「いや、これノートを破ったやつですよね。ここんところに前のページに書いた文字の跡があるんだけど……なんて字だろう?」
言われたところを見ると、たしかにひらがなの「こ」の字に似てる文字が見える。
「きっと下敷きを使わない子なんでしょうね。……あっ!」
捏上さんは私の左横に移ったかと思うと、そのまま私が持っていた袋をバンっとちゃぶ台に押さえつけた。
「だから証拠品を乱暴に扱わないで」
早崎さんの抗議を意に介さずに彼は紙をジーッと見つめると、やがて
「『い』だっ!これ、ひらがなの『い』ですよ」
叫んだ。たしかに彼の方から見たらひらがなの「い」に見える。
「あっ、そうか。これ国語のノートだ。遺書が横書きに書かれているから気が付かなかったけど、国語だったら大学ノートを横にして縦書きにするから『い』が『こ』に見えちゃうんだ」
「遺書って決めつけるな」
重村さんが注意する。
「国語の縦書き用のノートって売ってませんでしたか?」
早崎さんが誰にともなく尋ねる。重村さんも捏上さんもポカンとした顔をしてる。
「……あれ?私、変なこと言いましたか?」
戸惑ってる早崎さんに助け舟を出すか。
「今は縦書き用の大学ノートも売ってます。お二人の時代には小学生が使うノート以外で縦書きはなかったんだと思います。ただ、そんなに出回ってないので今でも大学ノートを横にして使っている子は多いです」
おじさん二人は感心した顔をしてる。
「……そう言えば先生は国語の教師でしたね」
捏上さんがニヤニヤしてる。「ええ」とだけ答えた。
「どうして、国語のノートを遺書に使ったんでしょうね。心当たりはありませんか」
「だから、まだ遺書って決まったわけじゃないでしょう。単に手許にあって使いやすかっただけかもしれないじゃない」
捏上さんは早崎さんの反論に「そうかもね」と相づちを打った。
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