第2話

さて。


皆さんに注意していただきたいことがあります。それは、私の頭は相当なまでに狂ってるかもしれないということです。つまり、皆さん自身で私の見解を批判しつつ読まないと、ワケの分からない文章を読むゴミのような時間になりかねないということです。



話は変わりますが、皆さんは初詣にいきますか? お賽銭にお金を入れて一年の健康か何かを祈ってますか?


そのことを当然と思われる方には少し気持ち悪いことを言うかもしれませんので、謝っておきます。


どうして御利益と金がトレードできると思ってるのですか? また、どうして神が御利益を授けてくれるのですか?


宗教を批判しているわけではないですが、神と供にあることと御利益と金と人が結び付いていることに少しだけ注目してください。さて、私は皆さんに、聞きたいことがあります。それは、御利益と金を抜きにして、神の存在とその価値を信じることができますか?


私は、現段階では神の存在を確信することができません。しかし、人の存在、極端に言い換えますが魂のようなものはあると確信しています。


しかし残念なことにこの魂というものの価値を他人に証明することができません。あくまで、私にはできないというだけで、もしかしたら世界にはすでに神と魂の存在を証明した人がいるかもしれませんが。


私は神も魂も、目には見えないので人にどのようなものかを簡単に述べることができないものだと思います。よって、人類は様々な手段でそれらを表現してきたのだと思います。


初詣では、人は御利益と金を通して神の存在を感じているのだと思います。マナーも人に説明するのが面倒な目に見えないものです。さて、これを講師はどのような解決をしたか。私は、虚偽の効果である「美しい結晶」で人に説明することにしたのだと考えました。


美しい結晶という価値を通して、マナーの存在を確信してもらうというわけです。しかし、私はこれを非常に気味の悪い邪道だと思います。虚偽を交えてマナーの価値を広めるのは、マナーの価値を貶めているからだと思うからです。




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マナーの美しい結晶 古新野 ま~ち @obakabanashi

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