真昼の梟
蜂木とけん
第1話 ふたりの仕事
目が覚めてすぐ、僕は昨日の自分を呪った。太陽の熱を全身に浴びながら。
起き抜けに確認するのは、アイマスクの有無。自分のまぶたが十分に機能しないことは、僕にとって常識だ。だから痛みがないという事実だけで、それがそこにあるって、僕は信じることができる。でも…………。
おそるおそる顔に手をやる。指先がまぶたを押し、ナイロンのその感触に、僕は体から力を抜いた。
「はぁぁぁ…………」
幸いアイマスクをしていたからよかったものの、下手をすれば大事な仕事道具を失っていた。
僕の眼は光に弱い。そういう風に出来ている。
ソファに寝転がったまま、そんなことを考えた。どうしようもないことなのに。
ほこりの匂いに混じって、秒針の音が聞える。
今は何時だろう。お腹はまだ、減ってない…………。
危機感とかやる気はもう無くなっていた。部屋の間取りは憶えているから、見えなくてもカーテンは閉められるけど――
どれくらいこのままで居るんだろう。
カチコチカチコチ。正確な音を聞き続けていると、時間の間隔があいまいになる。
ガラス越しでも太陽は熱かった。汗で服が張り付いて気持ち悪い。
何度目かのため息をつこうとした、その時。部屋の外から足音が聞えた。
鼻歌混じりで間隔の短いそれ。次第に大きくなっていく足音が、玄関の前で止まった。次にクレセント錠が回る。
小柄な足音の彼女は、ガサガサうるさいレジ袋と一緒に現れた。
「梟っごはん――って、ええっ!? カーテン開けっ放し!!」
「ねずみぃ、閉めてぇ…………」
鼠はレジ袋を取り落とすと、小走りで僕の横を過ぎていった。鼻をくすぐる彼女独特のにおい。僕はモソモソと寝返りをうつ。
鼠が小言を言っている。僕は気のない返事を返すのと、カーテンがレールを走るのは同時だった。
鼠がくると部屋がさわがしくなる。
でも僕はそれがきらいじゃない。今だって油が跳ねる香りに混じって、彼女はなにかと騒いでいた。
せわしないなぁ……。
テキパキと、蛇口が開いてすぐ閉まる。フライパンと木べらがぶつかって鳴った。
しばらくして、鼠のキーキー声が寝そべる僕に降り注いだ。
「いつまでも寝てないで、ほらっせっかく作ったご飯が冷めちゃうって!」
「ねずみはげんきだなぁ――」
おどけて両手を差し出す。でも、その手を鼠は取ってくれなかった。代わりに乱暴な手つきで、彼女は僕のアイマスクを引っぺがす。
「はいっ起きる! 夜の打合せするって、さっき言ったでしょ!」
「うぅ…………」
僕の眼は光に弱い。太陽は言わずもがな、蛍光灯だってそれぐらいに眩しい。
薄目で光を絞り、白んだ世界とつながる。
その中に、頬を膨らました鼠を見つけた。
「謝るよ、ごめん、ごめんなさい。だから、部屋のあかり――」
「ふんっ」
鼠は鼻を鳴らすと、持っていたリモコンをいじる。
部屋のあかりが常夜灯にかわった。
「で、今日の仕事なんだけど――」
「ん」
鼠の作ってくれたチャーハンを呑み込みながら頷く。
鼠は小柄な体型から、よく小さい子に間違えられるけど、とても料理が上手だ。カテイ的ともいえる。言うと彼女はすごく怒る。
すぐに話が始まらないから、不思議に思って顔を上げた。
鼠の眼はクリクリしてる。その目が僕を見ていた。
「どうしたの?」
「ん、んーん。おいしいのかなって――」
「おいしいよ? いつもありがと」
「~ッはい! じゃあここから仕事の話ねっ!」
仕事が始まる。そう言われた途端、身体の芯が冷たくなった。
炒飯を呑み込んでから、喉を鳴らす。
「鼠に任せるよ。僕は命令通りに狙って、撃つだけだから」
鼠は小さく息を呑むと、硬い声で笑った。
「そ、そんなこと言わないで――ほらっ聞き流してでも、頭に入れるの! 今回の対象は――」
白杖をギターケースに添えて置く。
こうでもしないと、強いビル風で飛んで行ってしまう。
「対象はアジア人。男。中肉中背で、肌は浅黒く、黒髪、短髪。左頬に五センチ程度の傷跡…………」
鼠から聴いた情報を繰り返し、スコープを覗き込む。
対象は今夜、ここ新宿で商談をするらしい。サングラス越しのネオンに眼を凝らし、それに合致する男を捜す。
この街の昼夜には、大した違いがない。雑踏が行き交い、騒々しく、居心地が悪い。
そんな中、俺は二台の黒い車両を見つけた。他の車とは雰囲気が違う。常に一定の車間距離を保っている。
右耳に付けたイヤホンに、僅かなノイズが走った。
『梟、来たよ。黒のエスユーブイ。多分後ろの奴に対象が乗ってる』
「確認した。始めるよ」
『梟、いい? 降車のタイミングが狙い目だからね? 分かってる? 建物にはいられたら――』
鼠の声を頭から締め出し、円形の世界に集中する。
ビルの森には、様々な方向から風が吹いていた。逐次変化するそれを想像して、引鉄を絞る。
車両が停車した。くる……。
心臓が大きく拍動する。鼓動と呼吸の間隔が長くなり――
前方の車から男達が降りた。彼らはすぐに周囲を固めると、数人が後続車両へと歩み寄る。一人がドアを開けた。最初に降りてきたのは護衛の男。
次。
――身体の震えが止まる。先鋭化していく視界の中、俺の眼が、黒髪の男を捉えた。
頬に、傷。
それを認識したのと、反動が肩を押したのは同時だった。
視界一杯に真っ赤な花が咲く。
「対象の死亡を視認」
『――現認したよ。ここからは手はず通りに、ねっ、わかった!?』
「うん」
手早くライフルをしまい、ギターケースを担ぐ。白杖を縮めて、屋上を後にする。
イヤホン越しに現場の状況は把握できていた。鼠曰く、警察もまだ動いていないようだ。
何食わぬ顔で、ホテルを出る。合流場所では鼠が待っていた。
「お疲れさま。じゃ、行こっか? おにーちゃんっ!」
「止めてよ、それ。なんだかむずむずする…………」
ギターケースを鼠に渡し、白杖を伸ばす。僕は固く目を瞑ったまま、彼女に手を引かれて歩き出した。
逃走経路は地下鉄。これがいつものパターンだった。
真昼の梟 蜂木とけん @hatch_observed
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