そういう嘘は嫌いです!

フィーカス

そういう嘘は嫌いです!



 僕の妻は、何かにつけて僕の昔の話に因縁を付けてくる。成績が良かったといえば嫌味だといい、昔付き合っていた彼女がかわいかったとか、一度デートで来たことがあるとか、そういう話をするとすごく不機嫌になる。そのため、あまり僕の昔話をすることができない。

 特に嘘が嫌いなので、僕の嘘がばれた時は酷いことになる。

「この前、残業って言ってたけど、会社の人と飲みに行ってたらしいじゃない。私、そういう嘘は嫌いなんだけど」

「ごめんごめん、今度からちゃんと言うよ」

「今日のご飯はおかず一つね」

 新婚間もないころ、「飲みに行く」と言うと何か言われると思い、ちょっとごまかそうとしただけでこれである。酷い時には夕食が出なかったこともある。


 ある日、仕事に夢中になっていると、いつの間にか終業時間から二時間が経過していた。残業で遅くなるという連絡をすっかり忘れ、帰る頃に妻から怒りの電話が飛んできた。

 そんな妻のゴキゲンを取るべく、いつもより高いケーキをお土産として買った。これで許してくれるといいのだが、とゆっくりと玄関を開ける。リビングでは、妻がつまらなさそうにテレビを見ていた。

「……ただいま。今日はごめんね。これ、ちょっといい奴だから」


 そう言ってケーキをテーブルに置く。連絡をしなかった理由をあれこれ言ってみたのだが、妻は「またそんなこと言って。そういう嘘は嫌いです!」と言って聞かない。

 だが、不機嫌にケーキの入った箱を開けると、少し顔が緩んだ。

「……今日はこれで許してあげる」

 嘘や僕の過去には厳しいが、甘いものには寛容なようだ。今日のところはこれで許してもらえたが、夕食は無かった。


 息子が幼稚園ともなると、授業参観や運動会などの行事が増えてくる。しかし、そういう日に限って、仕事が多かったり、休日出勤になったりする。なんとか休めないかと頼んでも、他にできる人がいないと言われ、僕がするしかない。

 運動会の日くらいはと思い、昼前に仕事を切り上げて会場に向かったが、既に息子の出番は終わっていた。

 せめて昼ご飯だけは一緒に食べようとテントに向かうと、妻は不機嫌そうにおにぎりをつまんでいた。

「まったく、あなたしか出来ない仕事なんて、あるわけないでしょ。他の人が出てくれないから、わざとそういう言い方をしてるに決まってるわ。そういう嘘、大嫌いなんだけど」

 今日に限っては、僕ではなく会社に怒っているようだ。少しほっとしながらブルーシートに座ると、息子が「パパの分だよ」とハンバーグを差し出してくれた。


 妻が不機嫌になるので、僕は昔の話をしないようにしている。しかし、息子が「両親の昔について調べよう」という宿題を持ってきたので、仕方なく話すことにした。

 とはいえ、妻がいない時に、だ。一緒に聞いていたら、何を言われるか分からない。

「……そういえばパパって、あまり昔のこと、話さなよね。どうして?」

 メモを取りながら、息子が僕に尋ねる。

「ママが、あまり聞きたくないんだって。昔の話なんて、聞かされるとイライラするからって」

「へぇ、そうなんだ。でもママ、パパのアルバムとか、よく見てるよ。ママも学生時代に、パパと一緒だったら良かったのにって思ったんじゃない?」

 それは意外だった。てっきり妻は、僕の過去に興味がないのだと思ってた。

「まあ……でも、ママには、あまりパパの昔の話、しないようにね」

「わかった。でもぼく、そういううそ、好きじゃないんだけどなぁ」

 息子は妻に似たようだ。


 いつも同じような日々の繰り返しでも、時間は容赦なく過ぎていく。息子は中学、高校、大学と順調に進学していき、社会人になった。その頃、僕の体に変化が現れた。

 ある日、あまりにも変なので病院に行くと、すぐに入院することが決まった。どうやら、無理が祟ったようだ。

 妻が果物を手に、見舞いに来てくれた。僕が寝るベッドの横のパイプいすに座ると、フルーツナイフを片手にリンゴを剥いてくれる。

「まったく、大丈夫大丈夫言うから、何も言わなかったのに。そういう嘘は嫌いだって言ってるでしょ?」

 いつも通り愚痴をこぼすが、心配してくれているのは顔色からうかがえた。

「はは、ごめんね。あまり心配させたくなかったから」

「いつも言ってるでしょ。嘘をついてそういう配慮されるの、私嫌いだって」

 リンゴを剥く手が進む。僕は「そうだったね」と軽く流した。

「ところで、お医者さんはなんて?」

 何気なく言った言葉に、妻の手が止まった。

「……過労だろうって。少し休めば良くなるって」

「そっか。いつもいつもありがとう。僕は君といられて、ずっと幸せだった」

「……はぁ、まったく。私はそうじゃなかったわよ。あなたはいつも嘘ばっかりついて、全然幸せじゃなかったわ。子育てだって大変だったし。早く治して、さっさと仕事に行ってちょうだい」

 結局妻は、剥きかけのリンゴを置いて出て行ってしまった。リンゴを剥く手が止まってから、妻は一度も目を合わせてくれなかった。


「……僕だって、そういう嘘は嫌いなんだけどな……」


 誰もいなくなった病室で、僕はぼそりと呟いた。

 そして、僕の嫌いな嘘を聞くのは、これが最初で最後となった。


 *******


 父が亡くなって数日後、遺品の整理をしていた母が、リビングでアルバムをめくっていた。

「母さん、また父さんのアルバム見てるの?」

「え、あ、アルバムの整理よ。昔の写真なんか、取っておいても仕方ないし」

「ふぅん、でも、ちょっとうれしそうだね」

「そんなことないわよ。さ、そろそろ出かけるわよ。準備はいいの?」

 父の写真が詰まったアルバムをしまうと、母はバッグを持って玄関に向かった。


 僕は母に似て嘘が好きではない。

 そもそも、そういう嘘は父に言ってあげればいいのに。


 でも、こういう嘘なら、僕は好きになれるかもしれない。

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