温まる黄色 ──彼女の魅力を俺だけが知っている

燈夜(燈耶)

温まる黄色

「怠い」


 俺は呟いた。

 ホームルームも終わり、皆が帰り出したころ。

 俺の隣の席。

 黄色のマスコットの付いた鞄を取って立ち上がっていた彼女の手と足が止まる。

 見上げれば、ゴミを見るような冷たい目が見下ろしていた。

 切れ長の、睫毛の長い目である。

 優しげ……とは程遠い、真正の屑を見下ろすような、正直な目だ。

 彼女にも今の俺の呟きが聞こえたのだろう。眉根を寄せて、あからさまに嫌そうな顔をされている。

 でも、そんな彼女の顔も新鮮だ。


「悪い、あんたに言ったわけじゃない」

「そう。でも、怠いんだろ?」


 彼女が奇跡的に口をきいてくれた。

 その押し殺したような低い声音は、他人を威圧するに充分だ。

 だが、俺はその程度ではめげない。


「なにか用でもあったのか?」

「ねぇよ……ていうか、あったけど怠いんだろ?」


 まただ。

 彼女、ずっとこの調子だ。

 今日は不思議な事が続く。彼女から二言目を聞き出すことが出来た。


「別に怠くなんかねぇ」

「それなら、紛らわしいこと言うなバカ」


 酷い言い草である。

 でも、奇跡だった。紛れもない奇跡と言えた。

 なぜなら、お隣の彼女から三言目を引き出すことが出来たからだ。


長内おさない、俺に用があったんじゃないのか?」

「なんだよ」

「なんなら、付き合うけど」

葉月はづき、お前頭おかしくなったんじゃないのか? 急にニタニタして。キモイ」


 彼女、長内は秀麗な顔をしかめ、今度こそ逃げるようにその場を立ち去った。


 ── * ──


「よう、恭介きょうすけ

「おう」


 背後からすり寄り、ぶつかりざまに肩を慣れ慣れしくも握って来たのは花明来人かめいらいと。俺のダチだ。

 正直うざい。でも、良い奴だ。


「今から帰りだろ? どこ寄ってく?」

「どこにも寄らね」

「そんな事言うなって。ゲームの攻略で詰まっているとこあるんだ、教えろよ」

「ググれ」


 俺は来人を突き離す。


「そんな事言うなよ。ハンバーガーショップ寄って行こうぜ! 教えてくれよ」

「仕方ないな。まぁ良いけど」

「よっしゃ、今日中に攻略ー!」

「言ってろ、ゲーマーめ」

「俺はライトなの。ライト。ゲーマーってのはドでかいパソコン買って、腰を据えてガチでやる奴らのことを言うんだよ!」

「アホか。どうでもいい」


 来人が俺の正面に回る。


「それよりさっきの見たぞ? 長内だろ。話してたよな。お前、怖くないのかよ」

「怖い?」

「あのドスの聞いた声。恨みでも持たれているんじゃないのかお前」

「長内から恨みか……」


 色々と思いだす。

 長内の数学のテストが38点だったのが目に入り、しれっと口に出して呟いた時、恐ろしい目で睨まれた。

 古文の岩崎の授業で居眠りをしている時に俺がくしゃみをしたせいで起こしてしまった時にも睨まれた。あの時は、それからすぐに岩崎の奴に指名された長内が何も話せず赤い顔をして机とにらめっこしながら肩を震わせていたのを覚えている。

 売店の最後のカツサンドを長内と狙い合い、一瞬の差で俺が掻っ攫って言った時にも睨まれた。


 うーん、確かに恨まれているのかもしれない。


「身に覚えがあり過ぎる」

「そうだろう?」


 俺が言うと、来人がうんうんと頷く。


「あの女、俺の脛に蹴りをくれたこともあったんだぞ? ローファーのつま先で蹴りだぞ? 痛いのなんの」

「長内、俺だけに冷たいのかと思ってた」

「冷たい? あれは狂犬って言うんだ」

「……って、噂をすれば……」

「長内じゃないか。あいつ、何してるんだ?」

「スケボー?」

「なんだろうな」


 俺は見た。

 長内は気づかない。

 長内は、スケートボードに乗って遊んでいた。制服のままである。

 長内が動くと、輝いて見えた。

 長内がターンを決めると、危なっかしく見えたのが、綺麗に着地を決めて安心できた。

 もう一度、長内がターンを決めてスケートボードを何回転もさせてまたその上に乗ったとき、俺は口笛を吹いていた。


 その時だった。

 魔法が切れたのは。

 長内が俺を認める。


「……」


 長内が片付け始める。

 宴は終わった。

 俺は来人に袖を引かれるまで、なにも言わない長内を、ずっと見ていた。


 ── * ──


 次の日の朝の事である。

 それは突然の事だった。


「ストーカー」

「!?」


 教室で自分の席に着いていた俺は、背後から言われた、その長内の台詞に噴出した。


「ど、どうしてそうなるんだよ!」

「写真撮っていたくせに」


 耳元で小声で囁かれる悪魔の言葉。


「あれは不可抗力!?」

「〇〇〇でも見えてたか?」


 俺は二度も噴出した。


「あれはお前があんまり綺麗で」

「……」


 長内が黙る。俺も言葉を失った。

 顔面から血の気が引いていた。

 時間が止まった、と言えよう。


「あ……」

「冷めた。葉月、英語のノート見せて」


 何もなかったように長内が俺に話しかけてくる。

 昨日よりも、ずっと親しく。


「え?」

「写真撮ったんだろ? 消さなくていいから、英語の宿題見せろよ。いま、花明から写させてもらってるんだろ?」

「あ、ああ」


 長内が笑う。突然、笑ったのである。

 俺は長内の笑顔を間近で始めて見た。

 俺の心臓がドキリと跳ねる。


「なぁ葉月、いつからあたしのことがその……いや、なんでもない」

「気になることを言うな」

「言いづらいんだよ」

「それなら言うな」


 長内が笑う。今度は小悪魔的に。

 長内が俺の正面に来る。

 顔をぬっと出す。


「でも、気になるんだろ?」

「……」


 長内の香しい体臭が気になる。


「否定したくないんだろ?」

「……」


 顔が、俺と長内の顔と顔が、その、物理的に寄っていて。

 とても良い香りがした。


 ──お互いの鼻と鼻が、触れようとした時。


 予鈴が鳴った。ホームルームだ。


 結果、俺と長内は離れた。


「葉月。今度、葉月の好きな物、教えろよ」

「え?」


 長内が笑っている。


「お前だけあたしの趣味を知っているのは卑怯だ。今度教えろ」

「……」


 俺は顔に穴が開くかのように長内の顔を見ていた。

 その整った顔立ち、流れる様な黒髪。すっと通った鼻梁。

 それから、それから……。


「黙ってないで、早くノート貸せ」

「あ、ああ」


 俺は呆けたように、長内にノートを手渡す。

 それからずっと、俺の頭を長内が占領し続けた。

 俺は、魔法に掛かってしまったらしい。


 教室に担任が入って来る。

 クラス委員が号令を掛けた。


 ── * ──


「葉月の趣味が散歩、ってな爺むさいことは無さそうだな」


 その日、誘ってみた海浜公園。

 長内は意外にあっさりと、黙ってついて来た。


 長内が銀色の手すりに寄り掛かる。

 夕日を浴びて、手すりに掛かる黒髪が流れた。

 正直、見とれた。

 長内がここまで絵になるとは思わなかった。

 いや、教室の、いや、学校の誰もが気付いている。

 だけど、朝の、そして今の長内の表情を引き出せる人間はいない。

 いなかったというべきか。


「飲めよ」


 長内が笑う。

 投げられたのは熱い缶。


『お汁粉』とある。

 笑うところだろうか。


「温まる……なぁ葉月」

「ん?」

「お前、どうしてあたしをここに連れて来た」

「なんとなく」


 長内が破顔した。


「そっか、なんとなくか!」


 何がおかしいのか、長内は笑い続ける。


「あたし、正直、彼氏なんていらないと思ってた。でも、葉月、葉月は立候補するよな? と言うか、あたしのキープだからな?」

「それって……?」

「この場所はあたしが幼い頃、母さんと別れた場所だ。父さんと何度も来た場所だ。そこにお前は連れて来た」


 長内が片目をつぶって見せる。瞬間、俺は指の銃で撃たれた。


「──ピンポイントに!」


 太陽がもうすぐ海に沈む。だけど、赤と黄に染まりながら、俺たちは何か話していた。

 学校の事、趣味の事、家の事。

 話は止めどとなく続いた。


 街灯が点灯する。


「今日は楽しかった、葉月」

「俺もだ、長内。ところで、明日はあるよな?」

「なに言ってるんだ?」

「いや、なんとなく」


 長内は爆笑した。「またそれか」と。


「あたしは前々から思ってたんだ。お前はバカなんじゃないかって」

「悪かったな」

「いや、バカで結構だ。あたしはそんなバカな葉月に興味を持った。──いや、好きになった。お前はバカのままでいろ。その方が面白い」

「面白い?」

「そう! このあたしがだ!」


 笑いながら長内が夜道を駅へ向かう。

 俺は走って追いつき、「バカじゃない!」と言い続けたと思う。


 ──結局、長内は駅に着いた後も笑い続けた。鞄に見える、黄色のマスコットの笑顔が映える。

 おそらく彼女、家に帰りつくまで笑っていたんじゃないだろうか。




 長内の笑顔は、今では俺の物だ。

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