第17話


「すみません、警察ですが」

「な、何もしてません」

 そんな会話が隣のレジから聞こえてきた。見ると、困り顔の男の人と冷や汗をかいているバイト先の後輩が目に入る。吹き出しそうになるのをこらえて、目の前にいるお客様の対応を終わらせて隣のレジに行った。

「お話は伺っております、事務所の方へどうぞ」

 右手で事務所のドアを指し示す。警察だと名乗った男の人は「ありがとうございます」と丁寧にお礼を言って事務所のほうに向かっていった。

「……あの、対応ありが」

「ブフッ」

「笑わないでくださいよ」

 夜光さんは顔をショボショボとさせてそう言った。そんな夜光さんを見てちょっと申し訳ない気持ちになり、頬の内側を思いっきり噛んで笑いをこらえる。

「……グフッ、無理…………」

「むしろそんなにウケてくれてありがとうございます」

 レジ近くにお客様がいないことを良いことに、気持ちを落ち着かせようと大きく深呼吸をする。はぁ、ちょっと落ち着いてきた。

「『何もしてません』って、動揺しすぎだし怪しすぎない?」

「いやだって、ぼーっと突っ立ってたらいきなり警察手帳パカッてされて『警察です』なんてされたらテンパりますよ」

「さっき散々店長から『警察来るからね』って言われてたのに」

 というか勤務中にぼーっとしちゃダメだろ、というツッコミは心の中でする。

「……警察の人私服でしたね」

「まあ、制服だったら周りに変な圧かけちゃうしね。犯罪の抑止力にはなりそうだけど」

 話をそらされたことについては何も言わず、俺は頷きながらそう返す。

「まさか、ここが万引きの被害に遭うとは思いませんでした」

 夜光さんはポリポリと頬を搔いてそう呟いた。

 昨日の夜、俺と夜光さんのバイト先であるここのコンビニで万引きがあったらしい。今日来たら事務所にある掲示板に、防犯カメラに写っていた万引き犯の写真が大きく貼られていた。

 ちなみに事務所に入った瞬間、万引き犯に対してめちゃくちゃキレていた店長から「警察! 警察呼んだから!」とものすごい剣幕でまくし立てられ、ビビった俺は「まだ何もしてません!」と口走ってしまったことは夜光さんに内緒だ。「まだ」を付けた分夜光さんより質が悪い。

「写真を見る限り、普通の女性って感じでしたね」

「そうだったね。今時の防犯カメラって画質良いんだなって思ったよ」

 夜光さんが言うとおり、防犯カメラに写っていたのはごく普通の40代くらいの女の人だった。もしかしたら、旦那さんや子供がいるかもしれないような人。

「どうして万引きなんてしたんだろう」

 心の声が思わず口から出た。聞いていた夜光さんは「そうですね」と律儀に答えようとしてくれる。

「案外、ゲーム感覚のような軽い気持ちでやってしまったのかもしれませんよ」

「ゲーム感覚……」

 俺は無意識に、女の人に対して「貧乏でお金に困って仕方なく」といった身の上を想像していたらしい。夜光さんの回答に少しびっくりした。

「私もスーパーとかで買い物してるとき、たまーに『この位置だったら盗ってもバレないんじゃないかな』って考えたりします」

「おい、コンビニ店員」

「想像するだけで留めてますって」

 夜光さんは苦笑いして「朝蔭さんは考えたことありませんか?」と聞いてきた。

「ない、って言えなくもないなー。万引きGメン特集とか『俺だったらもっと上手くやれる』って思いながら見てる気がする」

「もっとヤバいじゃないですか」

「振ったのにひくんじゃないよ」

 少し俺から離れた夜光さんは「まあつまり、万引きは割とみんな考えることなんじゃないでしょうか」と言った。

「やろうと思えばやれる犯罪ですし。一番線を踏み越えやすい気がします」

 でも、と夜光さんはレジ下の消耗品入れの棚を引き出しながら続ける。

「踏み越えやすくても引き返しやすい訳ではありませんけど。万引きって一度やったら癖になるみたいですよ」

「なんか、怖いな」

 たった一度きりの度胸試しのはずが、依存症のようにやめようと思ってもやめられなくなってしまう。

 どこにでもいるようなあの女の人は、昨日初めて万引きしたんだろうか。

「まあ、万引きする理由は色々ありますよ。どんな理由だとしても万引きしちゃダメですけどね」

「そりゃそうだ」

 消耗品であるお手拭きを引き出しの中に綺麗に並べながら、夜光さんは「そういえば、近くのリンドウスーパーも最近万引きの被害が酷いらしいですよ」と言った。

「去年あたりからちょくちょく被害に遭ってたみたいですが、最近になって更に悪化したらしくて」

「マジか、それ同一犯じゃない? 犯人捕まってないの?」

「詳しくは分かりませんが、多分」

 どこも大変だな。

 夜光さんのほうのレジに人が来たので、会話はそこで終わった。店内の様子を見てお客様の数が少ないことを確認し、常温品の品出しをしようと思って事務所に行く。

「……ですから、ゴミ捨て場の方もお願いしたいんですよ」

「はあ、ですが」

 そういえば警察の人来てたんだった。変に緊張し、出来るだけ気配を消して事務所の中に入る。

 常温品が入ったボックスをキャスターの上に積み上げながら、店長と警察の会話を盗み聞く。なんか揉めてるっぽいぞ。

「さっきも言ったとおり、最近誰か知らない人が勝手にゴミ捨て場に立ち入ってるんですって! 廃棄のお弁当が入ったゴミ袋とか開けられた形跡があるんです、調べてくださいよ」

「しかし、こちらも手一杯なんですよ。そうだ、ゴミ捨て場付近に監視カメラを取り付けるのはどうでしょう?」

「ただでさえウチは存続が厳しいんですよ、カメラを買うお金なんかありません!」

 そういえばそんな被害もあった。掲示板を見ると、隅の方に「ゴミ捨て場荒らした奴誰だ出てこい」と赤字で荒々しく書いてある。店長は従業員を疑ってると思ってたけど、一応警察にも相談するんだな。

 警察は丁寧な口調で(そこまで手回せるか!)という旨を店長に一生懸命伝えているが、なかなか伝わりそうにない。俺は心の中で警察に(お疲れ様です)と言い、キャスターを押しながら事務所を出た。

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