side玲衣2


 どうしよう。

 どうしようどうしようどうしよう。

 急に意識を失った朝蔭サンを前にして、アタシはものすごく動揺してしまった。

 さっきからかけている電話はなかなか繋がらなく、そのことが輪をかけて不安を増長させる。

 どうしよう、もし朝蔭サンがこのまま起きなかったら。

 そうなったらアタシのせいだ。アタシが一発で仕留めていたらこの人が倒れることはなかった。

「どうして……」

 耳に当てたスマホを強く握りしめ、無意識に呟く。

 アタシのことが嫌いなのに、どうしてアタシのことを助けてくれたんだろう。

『もしもし、慈です。出るの遅くなってごめんね』

「慈!」

 電話が繋がって、声が聞こえただけで安心してしまう。

 朝蔭サンが倒れた瞬間、アタシの頭には真っ先に慈の顔が思い浮かんだ。どうにかしてくれると思ったからだ。

『どうしたのレイちゃん』

「慈、あのね」

 安心した瞬間、情けないという気持ちが徐々に湧いてきた。一呼吸置いてから話し始める。

「あのね、広大高校ってところで朝蔭サンと中和してたんだけど、3体目が出ちゃって。どうしても逃げ切れなくて朝蔭サンが中和してくれたんだけど、その後倒れたんだ。多分エネルギーの枯渇だと思うんだけど」

『なるほど、そんなことが』

「ねえ慈、大丈夫かな」

 慈の声に焦りは含まれていなかった。アタシが言った通り、朝蔭サンはエネルギーの使いすぎで倒れたんだろう。でもそう聞かずにはいれなかった。

『大丈夫だよ、大丈夫。レイちゃんの言ったとおり、陽エネルギーをちょっと使い過ぎちゃったんだろうね。軽い脱水症状みたいなもんだよ。……脱水症状は軽くてもヤバいか』

 でも大丈夫、と慈はもう一度念を押すように言った。

『減った陽エネルギーは元の量に戻るしね。広大高校だっけ、今から行くよ。家から近いしすぐ着くと思う』

「来てくれるの?」

 すごく助かるし嬉しいけど、申し訳ない。そう思って尋ねると『行くよ、というかもともと行くつもりだったし』という返事が返ってきた。

『実はそこに出た3体目の依頼は私に来てたんだ』

「え、そうなんだ」

『そうそう、すっごい偶然だよね。でもそっか、倒されたのか……給料、ただでさえ少ないのに……』

「ア、 アタシの分あげるよ!」

『嘘嘘嘘冗談だよ! じゃあね、ちょっと待ってて』

 そう言うと慈は電話を切った。ツーツーという電話の切れた音がし、スマホを耳から離す。

 さっきまであんなに不安で仕方がなかったのに、慈と話をしただけでかなり気持ちが落ち着いた。さっきより冷静な心持ちで、倒れている朝蔭サンの様子を確認する。

「スー……スー……」

「寝てる、のかな」

 朝蔭サンは、静かな寝息を立てて眠っていた。表情も穏やかだ。

「よかった」

 無意識にそう呟く。慈が来るまでの間、ずっとその寝顔を見ていた。

 

    ◇◇   ◇◇   ◇◇


「いたいた。お待たせ」

「慈」

 慈は電話してから15分くらいで来てくれた。家から近いのは本当だったみたいだ。

「おお、本当に倒れてる。……寝てる?」

「うん、寝てる」

「そっか、寝てるのか」

 慈と顔を見合わせて少し笑う。「まあ見た感じ大丈夫そうだね」と言ってアタシの隣に腰を下ろした。

「私も何回か1日で2体以上倒したことあるし。案外いけるもんなんだよ」

「だとしてもダメでしょ」

 思わずツッコむ。慈は「だよね」と言って笑い、アタシのことを見た。

「ダメだからね。レイちゃんはやっちゃダメだよ」

 慈は諭すようにそう言った。慈の思考を見透かすような視線に耐えられなくて、下を向く。

「……本当は、先に3体目に手を出したのはアタシ。アタシが仕留め損ねて、その尻拭いを朝蔭サンがしてくれたの」

「そうなんだ」

 膝の上に乗せている手をグッと丸め、爪を膝頭に食い込ませる。痛みは何故か感じなかった。

「あんなに暴言吐いた相手に尻拭いさせて、一歩間違えれば死なせるような真似をして」

 ギリギリと音が出そうなほど爪が膝頭に食い込んでいく。ようやくちょっと痛いと感じた。

「みっともないよなぁ」

 慈に話しているはずなのに、結局独り言のようになってしまった。

 アタシは本当に最低最悪な奴だ。

 まわりまわって自分のことしか考えていないから。

「レイちゃんは、どうして3体目を倒そうとしたの?」

 慈は少し首を傾げてそう尋ねてきた。

「それを取り逃したのがアタシだからだよ。3体目の依頼を受けた人が、来てみたら発生して1日経ってる凶暴な奴を中和することになりました、なんてあまりにも酷いから。本当なら、それはアタシが倒さなきゃいけないのに」

「でも来てみたら陰魂はもう倒されてていませんでしたってほうがガッカリすると思うけど……まあ私だからよかったけどね」

 思わずまじまじと慈の顔を見る。慈は「一つ、先にこの仕事を始めた者としてのアドバイスだよ」と前置きした。

「まだ知らない先のことや相手のことよりも、自分を優先して考える!」

 字面は酷いけど、その言葉は海の底に下ろされる錨のようにゆっくりと心の底に沈んでいく。

「未来のことなんか考えてもキリがないしね。それよりも、その時の自分が一番上手くいくように頑張る方が建設的だと思うんだ」

 まあこれは私の考えだけど、と慈は笑った。

「3体目と鉢合わせしちゃったとき、レイちゃんはまずどうしようって思った?」

 3体目が目に入ったあの瞬間。

「逃げなきゃって、思った気がする」

「そう、つまりそういうことなんだよ!」

 慈は少しおどけたように、両手の人差し指をビシッとアタシに向ける。

「後のことは考えなくていいんだ、レイちゃんは何も考えず逃げて良かったんだよ。ただでさえレイちゃんは陽エネルギーが少ないんだから。貧陽なんだから」

「貧陽って」

 響きが若干頻尿っぽいからその言い方はやめてほしい。

「逃げ切るのも大変だろうけど、成功したときのことを考えると今回は逃げたほうが良かったよ。逃げずに真っ先に陰魂に立ち向かったのは……」

「愚策だったね」

 そう言うと「そこまでは言ってないけど」と慈は焦ったように言った。

「だからね、つまり無理しちゃダメだよってことを言いたいんだ。レイちゃんは責任感が強いから、色々深く考えて自分を犠牲にしてるから……」

「責任感なんてないよ、下手に深読みして自滅してるのは合ってるけど」

 膝を抱え、膝と膝の間に額を埋めたため声がくぐもった。

 くぐもった声のまま、アタシは言葉を吐き出す。

「違うの、本当は新しく依頼を受けた人のことなんてちっとも頭になかった。本当は、本来はアタシが倒さなきゃいけなかった奴がいたことに焦って……朝蔭サンにあんな態度を取っていた癖に、アタシが仕事をきちんとこなせてないことに焦って、どうにかしなきゃって思って。……自分の言動に正当性を持たせたかっただけなの」

 最悪だ、アタシは本当に馬鹿だ。きっと優しい慈も呆れてしまっただろう。

 もういいや、と思いながら思っていること全てを口に出す。

「アタシのしたこと、空回ってた、意味なかった。全然朝蔭サンのためなんかになってない。朝蔭サンは確かに怖がりだけど、動ける人だった。アタシより、アタシなんかよりずっと」

「レイちゃん」

 慈はアタシの背中をぽんぽんと優しくたたいた。

「そんなことないよ、レイちゃんがしたことには意味があるよ」

「ごめん、気を遣ってくれて。でも本当に……」

「本当に私はそう思うよ」

 顔を上げると、にこっと慈に笑いかけられた。

「レイちゃんは完璧主義だからなぁ。もしかしたらレイちゃんの思った通りにはいかなかったのかもしれないけど、意味がないことはないよ。レイちゃんのやったことは、絶対何かしら朝蔭さんに届いてる。だから、自分がやったことが意味ないなんて言わないで」

 そう言うと、慈はぱちりと瞬きをした。

「そうじゃないなら、レイちゃんはただ意味もなく朝蔭さんに暴言を吐いたことになるよ」

 何故だか無性に謝りたい気持ちになった。

もしかして、慈は怒っているのかもしれない。

「そう、だね。ホントだ、ごめん」

 謝っても仕方ないのに、耐えきれなくて言ってしまった。すると慈は慌てた表情になって、手をワタワタと動かしながら「ごめん、言い方がきつかったかもしれない。怒ってるわけじゃなくてね」と言った。

「物事がどっちかだけに傾く事って、なかなか無いと思うんだ。結果的に上手くいったとしても、その過程で上手くいかなかった部分だってあるだろうし、上手くいかなかったとしても、上手くいった部分だってちょっとはあると思う。良いことも悪いことも、一緒くたになって起こるんじゃないかな、と私は思います。ヘヘ、暴論」

「一緒くたに……」

 それはどうなんだろう、と正直思った。でも失敗を積み重ねて成功が生み出されるなんて言葉もあるから、間違ってはないのかもしれない。

「……意味はあったのかもしれないけど、やる必要はなかったかな」

「意味もあったしやる必要もあったけど、レイちゃんが辛そうだから。別の方法にしよう、朝蔭さんが陰魂を怖がらずに動けるようになる方法」

「朝蔭サンは動ける人でしょ」 

 首を傾げてそう指摘すると、慈は首を振って寝ている朝蔭サンに目をやった。

「朝蔭さんってね、目の前にいる人がピンチの時は絶対助けてくれるんだけど、自分が危ないときはちっとも動けないんだよ」

 そう言われて、アタシはつい先ほどのことと初めて朝蔭サンに会ったときのことを思い出す。確かにアタシが陰魂に襲われそうになったときは動きに迷いがなかったけど、初めて会ったとき、朝蔭サン自身が襲われそうになっていたときは棒立ち状態だった。

「本当に自己犠牲な性格してるんだよ、朝蔭さんって」

「おれが、何?」

「ギャア!!」

 慈は明け方に鳴く鳥のような叫び声を上げて飛び退いた。叫ばなかったけど、アタシも多分すごい顔になっている気がする。

 さっきまで寝ていたはずの朝蔭サンが、パッチリと目を開けていた。

「あれ、夜光さんがいる……」

「い、いつから起きてました?」

「今さっきだよ。え、も、もしかして俺の悪口言ってたの……?」

「言ってないです! 寝ているとしても本人の前で言いませんよ」

「その言い方だといないところでは言ってるって事になる気がするんだけど!?」

 起きて早々元気だなこの人。慈と朝蔭サンが喋ってる様子をぼうっと見ていると、突然朝蔭サンはアタシのほうを見た。

「急に倒れて寝ちゃってごめんね。しかも起きるまで待っててくれたんだ、ありがとう」

「……いや、そんな」

 思わず口ごもった。

 どうしてこの人はこんなに優しいんだろう。

「いやいや~だって結構長く寝てるはずだ……し」

 声が尻すぼみになったと思うと、朝蔭サンの顔色はどんどん青くなっていった。

「え、ちょ、どうしたんですか」

 まさか、さっきの後遺症でまだ具合が悪いんじゃ。

「い、今何時?」

「え?」

 そう聞かれたので、アタシはスマホを取り出して起動させる。

「19時18分です。あ、19分になりました」

「やばいやばいやばいやばいまずいまずいまずいまずい!!」

 やばいとまずいを連呼すると、朝蔭サンは真っ青な顔で自分のスマホをいじり出した。

「どうしたんですか、何か予定でもあったんですか?」

 見かねた慈がそう聞くと、朝蔭サンは「ないけどあるんだよ」と哲学のような返事をした。めちゃくちゃ動揺してるな。

「あああ今日夜遅くなるなんて言わなかったから、絶対……やっぱりLINE来てる! ああ、そんな殺生な……」

 そしてガックリと肩を落とした。一体何があったんだろう。思わず気になって尋ねた。

「あの、どうされたんですか?」

「簡潔に言えば俺の今日の晩ご飯が消えました……」

「ご家庭が厳しすぎる」

 朝蔭サンは力なく笑いながら「そういうルールがあるんだ……」と言った。

「……あの、良かったらご飯奢ります」

 思い切ってそう言うと、朝蔭サンは驚いた顔でアタシのことを見た。

「え! いや、ありがたいけど悪いよ」

「いえ、というかそもそもこうなったのもアタシのせいなので。本当にすみません」

 努めていつも通りの声色でそう言った。

手のひらにツキリとした痛みを感じた。無意識に拳を握りしめていたらしい。

「じゃあ奢ってもらおっかな!」

 朝蔭サンはニッと笑ってそう言った。

 その笑顔を見て、今までのことを全部ぶちまけて「ごめんなさい」と言いたい気持ちになった。でもそんなことをしたら本当に意味がなくなるから、思うだけで留めた。

 それに「いいよ」なんて言われたら、きっとアタシは消えたくなる。

「やっぱり花厳さんって優しいよね」

「……え」

 なんつったこの人。

「そんなこと、ありませんけど」

 驚いて思わず開いてしまった口を閉じてから、声が震えないよう我慢してそう言った。

「だって今のもそうだし、それに3体目の奴が出てきて俺がパニックになったときも励ましてくれたでしょ。あの時結構安心したんだ、ありがとう」

 そう言われて、アタシはさっきの出来事を思い返した。……無意識に素出てたわ。

「ピンク頭とか、今まで酷い呼び方してごめん。花厳さんの言葉が全部図星だったからカッとなったんだ。俺が腑抜けなのは間違いじゃないから……」

「腑抜けは、訂正します。さっき助けてくれたので」

 でもごめんなさい、それ以上は訂正しません。

 自分のやったことには意味があったはずだと信じたいので。

「マジ? やった!」

 朝蔭サンはそう言って嬉しそうに笑った。

「あー、なんか急にお腹空いてきた。花厳さんホントに奢ってくれるの? 俺遠慮しないよ」

「いいですよ別に。お金はあるので」

「そ、そのセリフ生きてる中で一度は言ってみたいやつ……。そうだ、夜光さんもこれからご飯食べに行こうよ! それとももう食べちゃった?」

 朝蔭サンはクルッと慈のほうを向いてそう言った。慈が来るのは嬉しいけど、慈の分までお金足りるかな……アタシお冷やだけでいいや。

「食べてないですけど、えっとすみません、私実はこれから用事があって……」

「えっ用事あったの!?」

 思わず声を上げると、慈は何故かしどろもどろになって「え、ま、まあ大した用事じゃないから」と言った。

 様子がおかしい。というかもともと依頼受けてたから、ここに来る予定じゃなかったっけ。

「そういえば、夜光さんはどうしてここに?」

「3体目の依頼を受けたのが慈だったみたいで……」

 そう言うと、朝蔭サンは「えっごめん、さっき俺それ倒しちゃった」と慈に向かって謝った。

「せっかく来たのにごめんね、倒した分の給料は渡すから」

「い、いや、大丈夫で……」

「あれ、慈さん?」

 聞いたことのある声が後ろから聞こえてきた。声のしたほうを見ると、少女漫画から抜け出してきたような美少年がこっちに向かって歩いてきていた。確か、慈と同じ高校の先輩だ。優谷サンだったっけ。

 慈は何故かぎこちない様子で優谷サンのほうを向いた。

「ゆ、優谷先輩」

「こんばんは。あれ、淚くんと玲衣さんもいる」

「お久し振りです」

 名前を呼ばれたので、ぺこりとお辞儀をしながら挨拶をする。……いや、何故この人がここにいるんだ?

「こんばんは優谷くん。えっと、どうしてここに?」

 朝蔭サンもアタシと同じ事を思ったのか、首を傾げてそう尋ねた。

「ああ、ここの依頼を受けたんだ」

「えっ! まさか、4体目が?」

 朝蔭サンはサッと顔を青くさせて辺りを見回した。その様子を見た優谷サンは、綺麗な顔をちょっと傾ける。

「いや、確か3体目だったかな」

 慈のほうを見る。

「ごめん、嘘です」

 慈は観念したように苦笑した。

 アタシは慈との電話での会話を思い出す。

『広大高校だよね、今から行くよ。家から近いし結構すぐ着くと思う』

『来てくれるの?』

『行くよ、というかもともと行くつもりだったし。実はそこに出た3体目の依頼は私に来てたんだ』

『え、そうなんだ』

『そうそう、すっごい偶然だよね』

 そんな偶然あるわけねえよ、気づけ馬鹿。

「気遣わせちゃってごめん」

「いやいや……むしろ逆に」

 慈は気まずそうにそう言って「最後までやりとげられないところが夜光クオリティーなんだよね」とボソッと呟いた。

「……ありがとう慈」

「いえいえ」

 慈はアタシに気を遣わせまいと、自分が依頼を受けたなんていう嘘をついたんだ。きっと慈のことだから「この後予定がある」と言ったのも、本当に依頼を受けた人に引き継ぎするためにここに残るつもりだったのだろう。

 アタシの周りにいるのは優しい人ばかりだ。いつか、与えられた優しさを返すことは出来るのだろうか。

「え、結局……え、どういうこと?」

 未だにあたふたしている朝蔭サンと首を傾げている優谷サンのほうを向いて、慈は「あの」と声を掛けた。

「奢るのでこれからご飯食べに行きませんか」


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