第11話


「あンのクソピンクーーーーー!!!!!」

 ダンッと思いっきりテーブルを叩くと「手を痛めますよ。あとテーブルが壊れます」と夜光さんにオロオロしながらそう言われた。

「はぁい……」

 俺はテーブルにゴンと額をぶつけ、そのままうつ伏せた。夜光さんは「災難でしたね……」とどこか歯切れ悪そうに言った。

 今現在図書館の地下、つまり『コア』にて盛大な愚痴大会(と言ってもエントリーしてるのは俺だけだけど)を開いていた。愚痴の内容は主に先週の日曜日に会ったクソピンクについてだ。主にというか全部か。

 特に依頼もないのに何故ここに来ているかというと、今日が給料日だからだ。コアでは毎月15日に給料が手渡しされる。俺はまだ1回しか働いてないから、貰える給料の総額は250円だ。マジで小学生が貰うようなちょっとしたお駄賃。俺は今日そのお駄賃のためにここに来ている。

「別に来月まとめてでも良かったんだけどなー」

 テーブルで伸びたままそう呟く。夜光さんは「朝蔭さんはそうですね」と笑った。

「ホントだよ。でもまあ、ずっと溜めてた愚痴もぶちまけられたし。ぶちまけられた夜光さんには申し訳ないけど」

「いやいや、私は別に良いですよ。というかこちらこそごめんなさい、ちゃんとヤバい陰魂の見分け方をお伝えしてませんでした」

 夜光さんは眉をハの字に下げてそう謝った。俺は慌てて顔を上げて「いやっ違うそういうクレームじゃない!」と弁明した。

「そうじゃなくても教えなきゃいけなかったので。本当に危険な陰魂は、見た目が人間に近いんです。危険度を増すほど姿形は人間に近づいていきます。朝蔭さんが出くわした陰魂は、話を聞く限りかなりヤバい奴でしたね」

「そうだったんだ……」

 確かに、俺に対しての敵意が今まで見た陰魂とは比にならないくらいのやばさだった。

「あの、そういう奴ってどんな陰エネルギーが集まってできてるの?」

 気になって尋ねると、夜光さんの顔が明らかに曇った。

「……そういう奴は、人の命に関わるほどの陰エネルギーが集まって出来たものなので」

 一番重いケースだと殺人とか、と夜光さんはぼそりと言った。首筋に冷えた汗が流れるのを感じた。

「まあ、それは考える辺り最悪の場合ですけどね。今回朝蔭さんが見たのは多分そこまでの奴ではないと思います」

「それならいいんだけどね……。つーかなんで俺ギリギリまで陰魂だって分かんなかったんだろう、声だけじゃ全然人と見分けがつかなかったよ」

「陰魂は目で見て初めて認識できるものですからね。現場で陰魂をすぐに見つけられない理由はそれです、目でしか探し当てることが出来ないので」

 なるほど、そうなのか。確かに小学五年生から陰魂退治をしているベテランの夜光さんもなかなか陰魂見つけられてないしな。そういう理由があったのか。

「とりあえず、人間に近い形をした陰魂は危険なので」

「危険なので?」

「もし出くわしたら頑張って倒すか全力で逃げてください」

「ねえマジで対処法それなの?」

 頭を抱えてそう言うと、夜光さんは「その2つしかないです」と無情にもそう言い放った。

「どうしよう、次また会ったとしても倒せる気がしない」

「まあ、そういう陰魂はレアなんでなかなか出ないですよ。出たとしても今回みたいに近くに遠距離系の陽具を持った人がいることが多いです」

「だったらいいけどね……」

 またあのクソピンクに助けられるのは絶対に嫌だけど。優谷くんあたりが助けてくれないかな。

「なんで人間に近い方が危ないんだろうな~、変なの」

 ふと思ってそう言うと、夜光さんは「そうですね」と反応した。

「人間だけだからじゃないですか、負の感情を持つのが」

 夜光さんはちょっと首を傾げてそう言った。まばたきをして夜光さんのことを見る。

「はっきりした理由はないんだ」

「ないですね。まあ、分かったところでどうにもならないので」

 夜光さんはどこか自嘲的にそう言った。そんな夜光さんが珍しいので少し目を見張っていると「夜光さん、夜光慈さん」と受付の人が呼ぶ声が聞こえてきた。

「あ、呼ばれたんで行ってきますね」

 夜光さんはそう言って席を立った。後ろ姿にヒラヒラと手を振り、パタリと手を下ろす。

 このバイトをするようになってから(といってもまだ一回しか働いてないけど)考えることがある。悲しいとか苦しいって感じることは悪いことなんだろうか。だってそんな感情がなかったら、そもそも陰魂なんてものは生まれてないのだ。でも感情は自然に生まれるものだから、それを制御するなんて無理な話だ。

「イタチごっこだなあ」

 終わりが見えない仕事だ。なんだか途方もないことに思えて、思わず重苦しいため息をついてしまった。あ、もしかして今俺がこう思っていること自体陰魂が生まれる糧になってるかもしれない。

 混乱して髪を掻きむしっていると、見覚えのあるピンク頭が視界に飛び込んで来た。うわ、と思わず顔を顰める。なんでいるんだよ。

「ああ給料日だからか。そりゃいるよな」

 あそこで陰魂退治していたなら、所属している支部もここだろうし。他の支部がどこにあるか知らないけど。

 ピンク頭に見つからないよう机にうつ伏せていると「お待たせしました」と言って夜光さんが帰ってきたのでちょっと顔を上げて「おかえり」と言った。

「眠いんですか?」

「いや、ちょっとね……」

 早くどっか行ってくんねえかな……と思いながら視線を向けると、ピンク頭は何故かこっちをガン見していた。うわ、見つかったなこれ。

 ピンク頭はズンズンこっちに近づいてきた。俺はせめてもの抵抗に「去れ!」という念を全力で飛ばす。こっちに近づくにつれて、何故かピンク頭はパアッと笑顔になった。なんでだ。

「もしかしてMか?」

「何がですか?」

「いちゅく~!!」

「グエッ」

 ピンク頭は後ろから思いっきり夜光さんに抱きついた。夜光さんは潰れた蛙のようなうめき声を上げ「レイちゃん?」と怪訝そうに言って後ろを向いた。

「慈~久し振りだね~相変わらず可愛いね~」

「うん、久し振り。可愛くないよ。あと急に来られるとびっくりするから次はやめてね」

「は~い」

 ピンク頭はなおも夜光さんに抱きつきながら素直に返事した。抱きつくだけには飽き足らず、右手で夜光さんの頭を撫で、夜光さんのほっぺに頬ずりしている。やりたい放題か。夜光さんもされるがまま過ぎる。

 てか、え、こんな感じだったの? これが素か?

 呆気にとられて夜光さんのほうを見ると、夜光さんは困ったように笑って「あの、実は顔見知りなんです」と言った。

「レイちゃん、レイちゃん顔上げて。新しく入った朝蔭さんだよ、もういっこのバイトのほうでお世話になってるんだ」

「わ、他の人もいたのか。邪魔してごめんね」

ピンク頭は夜光さんから離れ、俺のほうに向き直った。

「初めまして、花厳玲衣かざりれいです。……なんだ腑抜け野郎じゃん」

「よおクソピンク」

 怒りでこめかみがビクリと引き攣るのを感じる。夜光さんは居心地悪そうに「これこれ二人とも……」と漫画とかによくいる年を食った村長キャラのような口調で俺達のことを諫めた。

「クソはやめてください。つか頭髪の色にクソ付けただけって呼び名のセンスもゴミカスなんてマジで救いようないですね」

「口悪コイツ!」

「ああすみません、お気に障りました?」

「お気に障るわ! 当たり前だろこのキチガイピンク! キチピン!」

「それはマジでやめろ」

「うう、普段は良い子なんです……良い子のはずなんです……」

 端から見ればまさに地獄絵図だろう。俺とキチピンが不毛な言い争いをしている傍らで、夜光さんは諦めたようにうなだれている。

「テメどこ中だオラァ!」

「才智大学付属ですが」

「お前嫌いだ」

 才智大学ってこの国で五本の指に入るぐらいの難関大学じゃねえか。コイツこのナリで頭良いのかよ……。

「今は高等科に通ってますよ、慈と同じ高一です」

「年下じゃねえか!」

「てか、腑に落ちないんですが」

 ピンク頭は腕を組んでスッと目を細めた。

「アタシ、的外れなことは言ってないと思うんですよね」

「あ?」

「あなたが腑抜けだってことですよ」

 ピンク頭はそう言ってハアとわざとらしいため息をついた。

「人って本質を突かれると動揺するってのはよく聞く話ですが、いざ目の当たりにするとガッカリしますね。慈からあなたの話を聞いてましたが、なんというか期待外れです。期待外れどころか失望?」

 ピンク頭はグッと顔を近づけて囁くように言った。

「どんなに周りからいい人だと思われても、ガワを剥がせばこんなもんなんですね。マジで残念です」

 俺こいつに何かしたっけ。あまりの言われように言葉を返せないでいると、ピンク頭は更に言葉を続けた。

「あの日、あなたが指先一つ動かせなかったのはマジの話じゃないですか。陰魂目の前にしてカカシみたいに棒立ちになるなんて、よほどの馬鹿かどこぞの陰魂愛好家しかいませんよ。『怖い』なんて理由で何にも出来ないなんて、そんなカスみたいな理由でどうすることも出来なくなるなんて、人や日常生活を守るために働いてるアタシ達には絶対に許されないことですよ。ああ、それとも自殺志願者だったりします? なら別の手段でお願いします、陰魂関係で死なれちゃうと残されたアタシ達に迷惑がかかるので」

「レイちゃん、そこまでだよ」

 今までうなだれていた夜光さんが顔を上げてそう言った。そして俺のほうを向いて「朝蔭さん」と一言そう呼んだ。

「朝蔭さん、朝蔭淚さん」

 受付の人に呼ばれたので椅子から立つ。

「夜光さんごめん、俺この後バイトあるからそのまま帰るね」

「分かりました、気をつけて帰ってください」

「うん、それじゃあ」

「……アタシの言ってることが的外れなら、ニコニコ笑って聞き流せば良かったじゃないですか。どうしてそんなにムキになってるんです?」

 ピンク頭はニヤリと笑ってそう尋ねてきた。俺はピンク頭の問いには答えず、夜光さんとピンク頭に背を向け、受付のほうに向かって歩き出す。無意識のうちにどんどん早歩きになっていく。

 畜生、畜生、畜生! 図星だからに決まってるだろクソが! 

 全部本当のことだって分かってるから聞き流せないし、自分の惨めな部分を見抜かれたのが恥ずかしくて、それを誤魔化そうとして躍起になったんだよ。ぜーんぶお前の言う通りだ!

 とんでもない羞恥心から髪を掻きむしりたくなる気持ちを抑え、受付で今月の給料(250円。この金額も俺の羞恥心を煽り立ててくる)を受け取ると、受付の人が「さきほど竜胆公園で陰魂が発生したらしいので、出動できませんか?」と聞いてきた。

 竜胆公園はバイト先(コンビニ)の近くにあるので、バイト前でもバイト後でも余裕で24時間以内に行くことが出来る。無理な話ではない。ただ、俺自身が。

『なっさけねえの』

「行きます!」

 思わずデカい声でそう言うと、受付の人は少し驚いた顔をして「じゃあお願いします」と笑った。会釈をして、図書館一階にしかいかないエレベーターに向かう。

 最悪だ。これからずっと、陰魂退治に行く度にあの声が脳内で再生されそうだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る