第10話


「ふわ~あ」

 大きな欠伸が口から漏れ出る。咄嗟に手で押さえたけどやっぱり声は抑えられなかった。間抜けな顔を晒さなかっただけよしとするか。

 コンビニで8時間勤務はやっぱりきつい。店長め、休日だからって鬼のようにシフト入れやがって。もし俺に予定があったらどうするつもりだったんだよ。まあ別にないんだけど。お金が欲しいから、長時間シフトを入れられることは実のところそんなに嫌じゃないんだけど、ないことを見透かされてるのが腹立たしい。

 朝の9時から働いて夕方の5時に終わった。勤務中は一歩も外に出ないから、真っ青な空がいつのまにか真っ赤になったように思えて不思議な感じだ。今みたいに夕暮れの中をゆっくり歩いて帰るのは、バイト終わりのちょっとした楽しみだったりする。

 そういえば、あっちのほうのバイトは初勤務後一度も依頼が入ってない。まあ依頼がないならないで平和で良いんだけど。だって陰魂が出ないってことは世の中の不満が少ないってことになる。俺の場合は単純に陰魂が怖いからっていうのが一番の理由だけどね。平和なのは世の中と俺だ。

「なんか暇だな~……」

 思わず心の声が出た。無趣味人間の悪い口癖だ。

 せっかくのバイト終わりにこういう気持ちになるのは嫌すぎる。帰ってポテチでも食べながらゲームでもするかな。あっそうだ忘れてた、明日2限に漢字の小テストがあったんだ。ゲームはちょっと勉強してからにするか。いやゲームしてから勉強か?

 頭の中で家に帰ってからの予定を立てていると「すみませぇん」という声が後ろから聞こえた。周りを見回すと、俺以外道を歩いてる人はいない。もしかして、俺に声を掛けているのだろうか。

「ええと、すみませぇん」

 声を聞く限り若い女の人だ。俺は声が聞こえた方向に顔を向ける。

「は、」

「やっぱりきこえてた」

 穴のように黒い目が数cmの距離で細められる。え、え、と固まっていると、いつの間にか俺のすぐ後ろにいた女の人は、大きな唇を笑うようにして歪めた。

「ねぇえおぉはなししよぅ」

 陰魂だ。ザッと全身の血が引く。

 見た目だけじゃ全然陰魂だなんて分からない。だって声も普通の女の人だし、姿形は今まで見た中で一番人間に近い。

 それなのに、今までで一番恐怖を感じる。

「おはなしぃしようぅ」

 この陰魂から、明確な殺意が向けられているからだ。

 フッフッと浅い息を吐いて、早鐘のように打つ心臓をどうにか落ち着けようとする。足は金縛りにかかったように一歩も動かせない。

 大丈夫、陽具を使えばなんとかなる。俺は陰魂から目をそらさずに、ゆっくりとメリケンサックが入ったポケットに手を伸ばす。

「おはなし、しないの」

 陰魂は黒々とした瞳を見開いてこきり、と首を傾げた。

「それならしね」

 あ、間に合わない。

 そう確信した瞬間、パァンという音が辺りに鳴り響いた。かと思うと、目の前の陰魂が顔を歪め、俺に手のひらを向けた格好のまま地面に崩れ落ちていく。

「いぃいい」

 そして陰魂は消滅した。

「一体、何が」

「『閉』」

 顔を上げると、10メートルほど先に見たことのある黒いジャケットを着ている女の子が立っているのが見えた。手元を見ると拳銃を持っている。

 陽具が銃のエリートだ! お礼を言うために、俺は女の子に近づいた。

「本当に本当に本当にありがとう!! マジで死ぬところだっ……」

 女の子がものすごい目で睨んでいることに気づき、続きの言葉が途切れた。

「……たよ。はは……」

「いや、別に仕事なので。助けたわけじゃないです」

 とってつけたような敬語でそう言うと、女の子はジロリと俺のことを見上げた。

 うん、近づいて分かった。この子ヤンキーな気がする。敬語が使えるインテリヤンキー。だって頭髪どピンクだし。人生何があったら頭をピンクに染めようと思うんだよ。顔はモデル並に可愛いのにヤンキー成分で台無しだ。

「もしかしてああいう化け物見たの初めてだったりします?」

「ううん、まあ見え始めたのもつい最近だけど。というか、えと、俺も多分君と同じところで働いてます」

 小さく右手を挙げてそう言うと、女の子は「はあ?」と声を上げた。

「じゃあ陽具持ってるってことですよね? 倒せたじゃないですか、さっきの」

 ぐっと言葉が詰まる。何も返せないでいると、女の子は「もしかして」と目を瞬かせた。

「もしかして、怖くて動けなかったんですか?」

 図星。本当のことなので、俺は笑ってごまかそうとした。

「はは、まあ……」

「アハッ」

 女の子は心底おかしそうに笑い、馬鹿にするような目で俺のことを見てこう言った。

「なっさけねえの」

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