第9話
赤紙が届いた。
いや、正確に言えば仕事の依頼だけど。
「ううううう」
帰りのホームルームが終わった後、俺はメール画面を開いたままのスマホを机に投げ出して突っ伏していた。突っ伏しながら唸り声を上げる。教室には既に俺以外誰もいないので、俺の奇行について触れる者はいない。
『コア』で働く手続きをしてから二日経った。そして二日後の今日、初めて陰魂退治の依頼がきた。奇しくも俺が初めて陰魂を見たあの駅でまた出たらしい。
『仕事の依頼はメールで来ます。基本的に通知が来たら24時間以内には依頼をこなさなきゃいけないことになってます。まあ24時間を過ぎてもいいんですけどね、その代わり陰魂が凶暴化して倒しづらくなりますが』
手続きが終わった帰り際に夜光さんに言われた言葉を思い出し、のろのろと椅子から立ち上がる。
ポケットに無造作に放り込んでいた陽具、もといただのメリケンサックをポケットの上から触る。まだ一回も使ったことがないので、ちゃんと作用するか分からない。
つーか俺そもそも殴り合いの喧嘩とかしたことないし! 人間同士でもやったことないことをバケモノと出来るわけ無いだろ!
そんなことをゴチャゴチャ考えながら、学校のトイレで黒いジャケットを羽織って(陽具と同様にこのジャケットも常備しておかないといけないらしい。荷物が増えて面倒くさいことこの上ない。わざわざトイレという人目の着かないところで着替えてるのは、人に見られた状態で制服を着ても「認識されない」という機能がうまく働かなくなることがあると夜光さんに聞いたからだ)目的の駅に向かう。
ガタンゴトンと電車に揺られながら、俺はずっと重苦しいため息をついていた。一駅、また一駅と近づいていくたびに恐怖で頭をかきむしりたくなる。歯医者の待合室で名前を呼ばれるのを待っているあの感覚と似ている。いっそのこと早くとどめを刺してくれ! いややっぱやめて……。
ただ自分でも進歩したなと思うのは、陰魂になる前のヤツに関しては少し慣れたところだ。今も俺の隣に座って顔を覗き込んでくるヤツがいるけど(俺が座った瞬間隣に座ってきた。全身が黒い靄で覆われていて、それが人っぽい形を取っている)、目を閉じてなんとかやり過ごすことが出来ている。見た目はおぞましいけど、陰魂と対峙した時のあの本能的な恐怖は全く感じない。
「だぁ……だいじょぶぅ……?」
大丈夫です。
『次は竜胆~竜胆~お出口は右側です』
ついに目的の駅に着いてしまった。はあ、と思いっきりため息をついて立ち上がる。怖いからもうメリケンサック付けちゃおうかな。メリケンサック使うのも怖いけど。
プシューッとドアが開く。意を決し一歩を踏み出す。
メールでは駅のホームにいると書いてあった。広いホームじゃないからすぐに見つかるはずだ。ゆっくりと歩きながら辺りを見回す。
陰魂、陰魂どこだ、どこにいる……。
「朝蔭さん」
「うわーーーーー!!!!!」
「……どう話しかければよかったんだろう」
バッと後ろを振り向くと、申し訳なさそうな顔をした夜光さんがそこに立っていた。
「え、あれ、なんで夜光さんがここに」
「まさかいきなり新人一人きりで任せませんよ。サポートしに来ました」
「センパイ……!」
両手を組み合わせて夜光さんのことを見ると、夜光さんは「だからそれやめてくださいよ」とはにかんだ。
「朝蔭さんが慣れるまでは補助するつもりなので、そんなに気負わないでください」
「うう、本当にありがとね」
「朝蔭さんにはコンビニでいつもお世話になってるので」
本当によく出来た後輩だ。人生何周かしてそう。
「まず陰魂を探しましょうか。駅だとホームの下にいることもあるので、隅から隅まで見ていきましょう」
「はーい!」
そう言って夜光さんはキョロキョロと辺りを見回しながら歩き始めた。俺も真似してその後ろを着いていく。
良かった、夜光さんがいるならなんとかなりそうだ。すっかり安心しきり、さっきとは打って変わって軽い足取りでホームの中を進んでいく。
「見つかりませんね〜」
夜光さんは、地面に這いつくばってホームの下を覗き込みながらそう言った。今はジャケットを着ているから良いけど、普段の格好であんなことしたら通報されそうだ。
「どうです、いました?」
「ううん。あ、もしかしたらこういうところにいるのかも。なんちゃって」
そう言って、俺は青いバケツ型のゴミ箱の蓋をパカッと開いた。
「みつかっちゃった」
そっと音を立てずにゴミ箱に蓋をする。
何で!? 普通こんなところにいないだろ!!
「いや見間違えかもしれないし……」
「どうしました?」
今まで這いつくばっていた夜光さんが立ち上がってこっちに近づいてくる。
「こっち側のホームの下にはいなさそうでした。ゴミ箱の中はどうでしたか?」
固まっている俺の横を通り過ぎて、夜光さんはパカッとゴミ箱の蓋を開けた。
「またみつかっちゃった」
「わっ」
夜光さんは驚いた声を出して飛び退いた。
「びっくりしたぁ、まさかこんな所にいるとは。やっぱり朝蔭さんは陰魂を見つけるのが上手ですね」
「嬉しくない……」
俺は冷や汗をだらだらとかきながらゴミ箱のほうを向いた。陰魂はペタペタと音を立ててゴミ箱から這い出てきた。
「みつかっちゃったみつかっちゃったみつかっちゃったみつかっちゃった」
陰魂はブツブツと呟きながら首をグルグル360度回転させた。今回のはかなり人間っぽい形をしている。ただ全身の皮膚がどす黒く、骨が浮き出るくらい痩せ細っているのでやっぱり人間からはほど遠い。
そして身の毛もよだつほど恐ろしい。
夜光さんはピクリとも動かない俺のことを見て「朝蔭さん、今日は陽具の使い方を教えます」といつも通りの声色でそう言った。
「使い方……? この間の動画で見たよ」
「動画越しじゃ分からないこともあると思うので! 今日は使い方を見て覚えてください」
そう言って夜光さんはパッと笑った。そして陰魂の方に向き直る。
「まずは陽具をすぐに使うことのできる状態にします。まあ朝蔭さんは手に嵌めるだけなのですぐに使うことが出来ると思いますけど」
夜光さんは背負っていたラケットケースから刀を取り出し、鞘から刀を抜く。
「で、後は唱えたら倒しちゃうだけです。『開』」
吼える陰魂に向かって走って行き、夜光さんは一太刀で陰魂を切り伏せた。
「『閉』。最後に唱えるのを忘れないでくださいね。下手したら陽エネルギーが尽きて死んじゃうので」
俺のほうを向き、刀を鞘にしまいながら夜光さんはいつも通りの調子でそう言った。
「すいません、出張っちゃいました。朝蔭さんにいいところ見せたかったので」
「……いや、全然」
情けないな本当。俺はため息をつきたいのをこらえて笑った。
怖くて一歩も動けないのを見破られてしまった。きっと強制されても戦うことが出来なかったと思う。
情けない。恥ずかしさと悔しさで喉に石が詰まったみたいに苦しくなる。お礼の言葉を言おうと、俺は無意識にうつむけていた顔を上げて無理矢理口をこじ開けた。
「夜光さん、ありが」
続きの言葉が途切れる。ゴクリと喉の音が鳴った。
夜光さんのすぐ後ろに陰魂がいた。さっきのやつじゃなく別のヤツだ。
なんで? いつの間にそこにいた? 元から駅に二体いたのか?
夜光さんはそいつに気づいていなくて、急に喋らなくなった俺を怪訝そうに見ている。
陰魂はカビのように白くガサガサとひび割れた肌をしていて、ぎょろりと血走った目をしていた。さっきのヤツと同様に姿形が人間に近い。何故か口を真一文字に結び、一言も言葉を発していなかった。
そして、さっきのヤツとは比べものにならないほどの悪意が感じられる。心臓を直に撫でられているような恐怖を感じる。今にも握られて潰されてしまいそうだ。
陰魂は何も言わずにじっと俺のことを見、ふいと視線を外して夜光さんのことを見た。
そして今まで閉じていた口をパカッと開け、ニタァと口角を上げた。
それを見て、何かがぷつりと切れた。
おぼつかない動きで制服のポケットにしまっていたメリケンサックを取り出し、右手にはめる。
「朝蔭さん? どうしました?」
それで、そうだ、ええと何だっけ。
「『開』!」
そう叫んだ途端、全身が炎に包まれたかのようにカッと熱くなった。不思議とその熱さが心地良い。
身体の奥底から得体の知れない力が湧いてくる。もう目の前の陰魂に対して微塵も恐怖を感じない。
陰魂は俺のほうを向き、目を剥いて「ぎいいい」と唸った。そこでようやく夜光さんが後ろにいた陰魂に気づき「うわっ!」と叫んだ。
俺は大きく一歩を踏みだし、右手をギュッと固く握る。
「後輩を」
右腕を上げ、後ろに振りかぶる。
「気持ちの悪い目で見るな!!」
そして拳を思いっきり陰魂の顔面に叩きつけた。殴られた陰魂は「ぐひっ」と小さく悲鳴を上げ、地面に叩きつけられる前に跡形もなく消えた。
倒せた……倒したのか? 俺が?
乱れた呼吸を整えようと肩を上下させて呼吸していると、ポンポンと背中を叩かれた。
「朝蔭さん、エネルギーが出っぱなしになってます。しまわなきゃ」
「あっ、そうか。『閉』」
そう唱えると、途端に疲労感が襲ってきた。思わず近くにあったベンチに座り込んでしまう。
「朝蔭さん、やりましたね」
夜光さんはそう言って俺の隣に座った。隣を見ると、興奮でキラキラと輝いている目と合う。
「やっぱり朝蔭さんはすごい人です。何でも出来る」
「それは、買いかぶりすぎだと思う……」
弱々しい笑い声が漏れ出た。
身体は疲れ切っているのに、不思議と心が満たされている。俺は右手に嵌めたメリケンサックに目を向けた。
「……案外なんとかなったな」
「陽具は自分と合うものだったらちゃんと作用しますからね。でも、陽具がメリケンサックの人は初めて見ました。だから少し、ほんのちょっと心配だったんですけど」
夜光さんは「流石ですね、朝蔭さん」とにっこり笑った。
嬉しいけどすごく照れくさい。俺はごまかすようにガシガシと頭を搔き「ところで聞いてなかったんだけど、これ一体倒せばどのくらいお金貰えるの?」と聞いた。
「……」
「急にどうした」
さっきまでの笑顔が嘘のように、夜光さんは真顔になってしまった。
「え、何、こんなところでは話せないくらい凄まじい金額なの?」
「話したとしてもほとんどの人には聞こえませんよ」
そう言って夜光さんは苦笑した。確かに。
個人的にはこういう仕事ってお給料が高そうなイメージがあるんだよな。そう考えると、案外このバイトが出来るようになったのはラッキーかもしれない。思ったより陰魂を倒すのも難しいことじゃなかったし。開状態になってしまえばこっちのもんだ。
「ねえねえ、いくらなの?」
ウキウキしながらそう聞くと、夜光さんは目を瞑り、瞼を薄く開けた。
「大体日給250円ですかね」
「遠足のお菓子も買えないじゃねえか」
びっくりしすぎて普通にツッコんでしまった。え、てか、マジで?
「いくらなんでもすぎない!?」
「そうかもしれませんね」
「コンビニバイトより割に合わない仕事を初めて知った」
下手すると小学生が貰うお小遣いより酷い気がする。夜光さんは気まずそうに視線をあちこちにやりながら「でもまあ、陰魂を倒すのって実はそんなに労力いりませんし」と言った。
「ええ!? 俺めちゃくちゃ疲れてるんだけど」
「初めのうちはそうです。だんだんコツを掴んでくると、陽エネルギーの放出を最小限に抑えて戦うことが出来るようになります」
「だとしても、仮にもこの仕事って自分の命をかけてるようなものじゃん」
陽エネルギーのこともそうだし、陰魂のこともそうだ。あの動画のコアラが言ってたように下手をすれば死んでしまう。
夜光さんは目を瞬かせて「そうですね」と言った。
「確かにそうです。……命をかけてるなんて、自覚したことがなかった」
そう言って夜光さんは何か考え込み始めた。いや、伝えたいことは別にそういうことじゃなかったけど。
なるほど、『コア』のブラックな所って働いてて死ぬ可能性がある他に、給料が異様に安いっていうのもあったのか……。
「でも、一日に何件も依頼こなしたら250円以上もらえるんじゃないの?」
「一日に一体以上倒すのは、身体に負担がかかってしまうので原則禁止されてるんです」
「そうなんだ」
頷きながらはっとする。ならもし、さっきの二体目を俺が倒そうとしなかったら二重の意味で夜光さんがヤバかったのか。
「……まあ、裏ルートの仕事は高いお金が貰えるらしいんですけど」
「裏ルート?」
首を傾げると、夜光さんは「噂ですけどね」と付け加えた。
「高いお金が貰えるのはヤクザなどの裏社会の人からの依頼です」
「ヤクザ!?」
ギョッとして思わず声を挙げる。夜光さんはコクリと頷いた。
「そういう方々が仕事した後の現場って、かなり凶暴な陰魂がうようよいるらしいんです。そういうのは倒すのが厄介なので、経験豊富な人に極秘に依頼が来るらしいですよ」
まさか『コア』がそんな後ろ暗いところとつながりがあるとは。黙りこくっていると「まあ、あくまで噂ですよ。それに十八支部がそんな依頼を受けてるとは到底思えません」と言われた。
「いくらお金を積まれても、それはいやだなあ……」
「ですよね。あ、あと弓や銃とかの飛び道具を使ってる人は若干給料が高いことがあるんですよ」
「なんでなんでなんで!?」
「ちょ、どうしてそんなに鬼気迫った顔してるんですか」
夜光さんは少し身を引いて俺から遠ざかった。
「二日前、メリケンサックが箱の中に入っているのを見たあの瞬間から銃が陽具の奴が妬ましくて仕方が無い」
「マジで完全な八つ当たりですね。じゃあクイズです、どうして飛び道具を使ってる人は給料が高いのでしょうか?」
夜光さんはピンと人差し指を立ててそう問いかけてきた。首をひねって考える。飛び道具を使ってるってこと自体に理由があるとしたら……。
「えーダメだ、分からん。遠い場所から倒せるからとか?」
「おお、正解です」
「マジで?」
夜光さんはパチパチと手を叩いた。
「そうなんです。弓や銃は遠距離から陰魂を倒すことが出来ます。つまり陰魂から直接的な攻撃を受ける可能性が低いんです。そういう理由から飛び道具が陽具の人は、そこそこ危険な陰魂が依頼で回ってくるんですよ」
「俺メリケンサックで良かったよ」
「鮮やかな手のひら返しですね」
なんだ、銃だとそういうリスクがあったんだ。俺は初めて自分の陽具がメリケンサックだったことに安堵した。
「ちなみに優谷先輩の陽具は弓です」
「へえ! 流石弓道部」
弓矢で陰魂を倒すのか。難しそうだけどかっこいいな。
だんだん疲労が回復してきた。両肩を回していると「どうですか?」と聞かれた。
「ん?」
「この仕事、好きになれそうですか?」
夜光さんはじっと俺のことを見つめてきた。俺は少し考える。
「……好き、ではない。慣れても好きになれるか分からない、陰魂怖いし」
正直にそう言うと、夜光さんは少し眉を下げた。
「でも、働けて良かったなとは思うよ」
「……本当ですか?」
「うん。きっと大学生になってもコンビニでバイトして安い時給貰って、大学卒業してどっか適当なところに就職してサラリーマンになって何のためになるのか分からない仕事をして安い年収貰って、退職後もやっぱり安い年金貰って死ぬんだろうなって思ってたから。それがまさか、こんな思いも寄らない仕事をすることになるなんてね。まあ給料はそんなに貰えないけど」
この歳になると、自分の立ち位置が薄々理解できるようになった。
特出した能力も持たず、脇目も振らず努力出来るくらい熱中できる好きなこともない俺は、きっと子供が持つような「夢」からは一番遠い存在になるんだろうと思っていた。
「だからまあ、好きになれたら良いなって思う」
「……やったあ」
言い終わると、今まで黙って聞いていた夜光さんは本当に嬉しそうに笑った。
「よし、朝蔭さんが好きになってくれるよう頑張ります!」
「いや夜光さんはもう十分頑張ってるって。あとは俺の努力次第なんだよなあ」
「あはは、ありがとうございます」
帰りましょうか、と言って夜光さんは立ち上がった。俺もグンと伸びをしてから立つ。
「あ、すぐじゃなくていいんで陰魂倒しましたって返信メールをしてください。そうしないと給料貰えないので」
「そうなんだ、ありがとう!」
よし、電車乗ったらメール送ろう。すぐ送信できるように頭の中でメールの文面を考えていると、ふとある疑問が頭に浮かんだ。
「ねえ、そういえばさ、陰魂って同じ場所に二体以上はいないんじゃなかったっけ?」
そう聞くと、夜光さんはパチリと瞬きをした。
「普通はいませんが、ありえないことじゃないです」
そう言ってニコッと笑い「だからさっき、完全に油断してたんで朝蔭さんが仕留めてくれて助かりました、ありがとうございます」と言った。
どうしてかは分からないけど、夜光さんの言動がどこか不自然に思えた。
「朝蔭さん?」
「あ、うん、そっか、それならよかった。じゃあまた」
「はい、さよなら」
いや、気のせいか。俺の勘あんまり当たんないしな。俺は自転車でここまで来たのだろう夜光さんに手を振り、次に来る電車の時刻を調べようとスマホを取り出した。
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