第7話


「さっきはありがとうございました」

「え?」

「朝蔭さんが、陰魂が上にいるって気づかなかったらこんなに早く終わってませんでした」

 図書館まで戻る道すがら、夜光さんからそう言われた。ちなみに帰りは電車と徒歩だ。ジャケットを着てるんだから無賃乗車出来るんじゃ、と冗談のつもりで夜光さんに言ったら初めて見るような凄い顔をされた。冗談だよ。

「いえいえ」

「やっぱり流石朝蔭さんですね。この調子だとすぐに技術が追い抜かれてしまいそうです」

 それはない。というか今更だけど、俺あんな風に戦えない。そもそも刀なんか触ったことないし。竹刀ならギリ中学の体育で剣道をしたときに握った。それくらいだ。

 本当に俺働けるのか? 疑問を込めた目で夜光さんをじいっと見ると、俺の視線に気づいた夜光さんは「手続きの時に色々詳しい話をしますから」と言った。なんか奇跡的に噛み合った気がする。

 30分ほどで図書館に着き、さっきと同じようにエレベーターに乗って地下に行く。

「じゃあ手続きしましょうか。難しくはないんですが、割と時間は取られるんですよね。この後何か予定とかあります?」

「なるほど、ちょっと失礼」

 スマホを取り出して時間を確認する。18時か、一応帰りが遅くなるって連絡しておこう。

「いや、特にないよ」

「それなら良かった。じゃあまず受付に……」

いつくさん?」

 夜光さんはキョロキョロと辺りを見回し始め、何かに気づいたかのように目を見開いた。

「あ、優谷先輩」

「お疲れ様、今までお仕事あったの?」

「ちょうど帰ってきたところです」

 身長177cmの俺より少し低いくらいの背丈の男子が、ニコニコしながらこちらに近づいてきた。サラツヤな黒髪にパッチリ二重の美少年だ。その美少年が俺に気づいて眉を上げた。

「あれ、もしかして初めまして?」

「昨日から陰魂が見え始めたんでここで働くことになりました」

 軽く手を挙げながらそう言うと、その男子は「わ、大変ですね」と眉をひそめた。

「慈さんと同じ高校に通ってる二年の優谷海渡ゆうたにかいとです、よろしくお願いします」

 そう言ってにっこりと笑いながら手を差し出してきた。その手を握りながら俺も自己紹介する。

朝蔭淚あさかげりつです。あの、俺も高二です」

「そうなんだ! 同い年か、嬉しいなあ」

 えへへ、と笑いながら握った手をブンブンと上下に振られる。

「何か困ったことがあったらいつでも言ってね。じゃあ僕、これからお仕事があるから。慈さんもばいばい」

 優谷と名乗ったその男子は名残惜しそうにそう言って、右手を振りながらその場を後にした。

「優谷先輩は同じ地学部なんですよ」

 夜光さんは優谷先輩の後ろ姿を見送りながらそう説明した。

「そうなんだ、親切でいい人だね」

 あとあまりの顔面偏差値の高さに目が潰れそうになった。「イケメン」じゃなくて「美少年」って感じだ。純文学に出てきそう。もちろん純文学は読んだことない。

「優谷先輩の魅力はそれだけで留まりませんよ」

 そう言って夜光さんはふふんと笑う。

「優谷先輩は地学部の他に弓道部でも活動してらっしゃるんですが、なんと去年入部して一年も経ってないのに全国大会に出場されたんです」

「すげえ!」

 全国大会!? あんなほわほわしてる人がまさかそんな猛者だったとは。

「地学部でも、優谷先輩の書かれた研究レポートは毎回高い評価をされてるんですよ。文武両道を地で行く人なんです、優谷先輩は」

「へえぇ」

 何というか、凄まじくモテそうだ。凄すぎて感想がそれしか出てこない。

「優谷先輩って彼女とかいるの?」

「ね、狙ってるんですか!?」

「なんでだよ、違うよ」

 ただの純粋な興味に決まってるだろ。変な勘違いをした夜光さんは少し顔を赤くしながら「いないと思いますけど」と言った。

「人気ではあるんですが、完璧すぎてそういう相手としては敬遠されてる気がします」

「なるほど……」

「まあファンクラブはあるんですけど」

「がっつりモテてんじゃねえか」

 なんだファンクラブって。マンガの世界だけにしか存在しないものだと思ってた。

「いかにも『星の王子さま』って呼ばれてそうだしな」

「よく分かりましたね」

 呼ばれてるのかよ。

「でもそんな素敵な先輩に下の名前で呼ばれてるなんて、夜光さんも隅に置けないな~このこの~」

 そう言って夜光さんを肘で突くまねをすると「朝蔭さんから正月にしか会わない面倒な親戚みを感じる……」と言われた。

「冗談でもそんなこと言わないでください、ファンクラブから刺されてしまいます」

「ファンクラブ過激だな」

「それに、優谷先輩は基本的に下の名前で呼ぶ人なんです。ほらそろそろ手続きしますよ」

 夜光さんは照れて赤くなった顔でそう言った。いじりがいあるけど、やりすぎても可哀想だからここら辺でやめておこう。

「まず受付に行きましょうか。正式に採用して貰わないと始まらないので」

「あの、ここまで来てなんなんだけど、もし採用されなかったらどうするの?」

 ずっと気がかりに思っていたことを言うと、夜光さんは「それはないので安心してください」と言った。

「採用というよりも、陰魂を退治出来るっていう証明書を貰う感じですね」

「ということは、ここで雇って貰えないとあの化け物倒せないんだ」

「多分そうですね。働かないって人を見たことがないので断言できないですけど」

 受付に行くと何枚か書類を書かせられた。書類では生年月日やメールアドレスなどの基本的な個人情報を書いたり、「ここで働きます」「陰魂等の存在を一般人に絶対に言わないことを約束します」などということについて同意するサインをしたりした。思っていたより普通だ。血判とか押さなきゃいけないのかと思ってた。

「これで手続き終わり?」

「いや、陰魂退治について詳しい説明を受けてもらいます」

 そう言うと、夜光さんはいつの間にか用意していたタブレットを操作して俺に渡してきた。

「10分程度の動画なんで」

「コンビニバイト初日の時も見たなぁこういうやつ」

 なんか、偉い人から直接重々しく説明されるのかと思った。案外ライトな感じなんだな。

「分かるところは飛ばしてくれて大丈夫です。じゃあ、私はちょっと準備してきます」

 そう言って夜光さんはどこかに行ってしまった。

「とりあえず見てみるか」

 動画再生ボタンを押すと、軽快な音楽と共にコアラを模したキャラクターが出てきた。微妙な動物選んだな。

『やっほー、初めまして! ボクは陰魂対策組織コアで働いてるんだ! 新人さんのキミに、ここでのお仕事について分かりやすく説明してあげるからね』

「あっだからコアラか」

『ここは、陰魂っていうものを退治してるんだ。陰魂っていうのはね……』

 ここら辺は飛ばして大丈夫そうだな、さっき夜光さんに教えてもらったし。動画を早送りしていると「陰魂の倒し方」という文字が出てきたので通常再生に戻す。

『次は陰魂の倒し方について教えちゃうよ! あっちなみに陰魂を倒すことを中和するって言うんだ。なんで中和っていうかとね、陰魂を倒すことで世の中の陰と陽のバランスがとれるからなんだ。中和するのは平和な世の中を維持するためにとっても大事で尊いお仕事なんだよ! まあぶっちゃけみんな普通に退治するとかぶちのめすとか○すとか言っちゃってるけどね』

 なるほど、だから中和するって言うのか。あとこのコアラ発言が割と物騒だな、バイト説明の動画でピー音入ることってなかなかないんじゃないか?

『さっきも言ったとおり、陰魂は陰のエネルギーが沢山集まったものなんだ。だからそれを倒すには陽のエネルギーが必要なんだよ。え? 陽のエネルギーなんてどうやって用意すれば良いんだー! って思ってる? そもそもそんなのどこにあるかって? チッチッチ、全くキミは分からず屋だなあ』

「なんか腹立つなこのコアラ」

『さっきも説明しただろ? 陰エネルギーが人間から生まれるのと同じで、陽エネルギーも人間から生まれるんだ。つ・ま・り、キミの中にある陽エネルギーを使って陰魂を倒すのさ!』

「俺の?」

無意識にタブレットを持ち上げて顔の近くに引き寄せる。

『でも難しいことに、陽エネルギーっていうのは出そうと思って出るものじゃないんだ。○んこでもあるまいしね! う○こも出そうと思っても出ないことがあるけど。その状態のことを便秘って言うんだけどさ』

「しつけえ!」

『うん○は置いといて、陽エネルギーの出し方だね。陰魂を倒すには刀や弓、銃などを模した陽具が有効だってさっき説明したけど、あれはキミの中にある陽エネルギーを出すように誘発させる役割を果たすんだ。便秘薬みたいなもんさ』

 陽具? 知らない単語が出てきた。さっき飛ばした部分で出てきたんだろうな。でもなんとなく分かる。多分夜光さんが持っている刀のことだ。銃や弓なんかもあるのか。

『陽具はキミにしっくり合うものじゃないと上手く作用しないんだ。他の人のものを借りることは出来ないから、忘れたり無くしたりしちゃダメだよ! 陽具の使い方は簡単。使いたいときに開、使い終わった後に閉って一言言うだけさ。開って言うと陽エネルギーが全身に満ちてアドレナリンがバンバン出まくってるような状態になるんだ。配管工が主人公のゲームでいうところのスター状態みたいなもんさ! 開状態になることは陰魂と対をなすのと同じことだから、陰魂からは激しく威嚇されるよ。その状態になったら陽具を使って早めに倒すように心がけてね。そして倒したらすぐ閉って言うんだ。陽エネルギーを出しっぱにしてると自分の中にある陽エネルギーが尽きて最悪死んじゃうからね! ま、陰魂に攻撃されて打ち所が悪かったら死ぬこともあるけどね。ハハッ!』

「死っ!?」

 何だそれ初耳だぞ!? 

「朝蔭さんどこまで見ました?」

「ギャッ!」

 急に後ろから夜光さんがタブレットを覗き込んできたのにびっくりして悲鳴を上げてしまった。俺の声に驚いたのか、夜光さんも「うわっ!」と声を上げた。

「お、驚かせてしまってごめんなさい」

「夜光さんこの仕事でしっ死ぬことあるの!?」

 勢い込んでそう言うと、夜光さんは「あー……」と口ごもった。

 こういうところがブラックなのかよ! 最悪じゃねえか!

「流石に死ぬことはなかなか無いですよ。絶対無いとも言い切れませんけど、少なくとも私は聞いたことないです」

「そ、そうなんだ。良かった……」

「……まあ嘘をつきたくないので伝えますが、安全な仕事というわけでもないです」

「ひぃえあ……」

 自分の口から形容しがたい声が漏れ出た。夜光さんは気まずそうな顔をして俺からタブレットを取り上げて動画停止ボタンを押した。

「大丈夫です、朝蔭さんがすっかり慣れるまで私がサポートするので」

「……よく考えたら俺、一生陰魂に脅かされることになるんだよな……」

「あ、朝蔭さーん!」

 俺は座っていたイスからズルズルと崩れ落ちる。あわあわしながら夜光さんは俺の近くに膝をついた。

「目を背けてたけどいきなりハードな現実が襲いかかってきてやられてしまった……」

「しっかりしてください!」

「無理……」

「そんな……あ、そうだ、朝蔭さん!」

「何……?」

「実は突然陰魂が見えなくなるケースがあるんですよ!」

「……何だって?」

 俺はグデグデしてしまった身体をゆっくり起こして夜光さんのことを見た。夜光さんは力強いまなざしで俺のことを見つめ返した。

「レアケースなんですけど、実際あるんです。ある日突然見えなくなって、陰魂に直接干渉されなくなる人がいるんですよ」

「そうなの?」

「突然見え始めたんだから、突然見えなくなることも充分あり得ます。突然見えるようになった朝蔭さんならそうなる可能性が限りなく高いはずです!」

 夜光さんはそう言ってパッと笑った。

「それまで一緒に頑張りましょう、朝蔭さん!」

「……何というか、夜光さんは宗教勧誘が得意そうだね」

「ど、どういうことですか。褒めてないことは分かりますけど」

「褒めてるよ。ありがとう、ちょっと取り乱したよ」

 俺は立ち上がってフウと息をついた。

 そうだ、もう仕方ない。それにすっかり終わってしまったわけじゃないことが分かった。とりあえず今は頑張るしか道がない。

 俺はぐっと堅く拳を握った。

「いつか見えなくなると信じて……!」

「自分で言っといてなんですが後ろ向きの目標ですね」

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