第6話


「私から離れないでください」

 エレベーターから出ると、夜光さんは俺のほうを振り返ってそう言った。

「言われなくとも」

 触れるか触れないかぐらいの距離で夜光さんに張り付く。夜光さんは小さく頷いてガラスで出来た扉を開けて屋上に出た。

 まだ混む時間帯じゃないからか、屋上の駐車場には一つも車が止まっていない。そのことになんとなく安心する。

 ゆっくりと辺りを見回すが、あのデカい陰魂は見当たらない。

「いませんね」

「そういえば、陰魂になる前のヤツも見当たらないな」

「ああ、陰魂の近くにはいないんですよ。もしいても陰魂に取り込まれてしまうので。似た理由で陰魂も同じ場所に2体以上出現することはほぼありません」

 なるほど。そんな会話をしながら探すが、やっぱり見当たらない。

「おかしいなあ……」

 うーむと難しい顔をしながら夜光さんが唸った。俺はある可能性を思いつき、深呼吸をしてから夜光さんに声を掛ける。

「……あの、確認は夜光さんにして欲しいんだけど」

「何ですか?」

 俺はギュッと目を閉じて、少しだけ開けた。

「上にいたりとかしない?」

「上……? あ」

 ギュッと腕を捕まれたかと思うと、思いっきり後ろ向きに飛ばされる。

「見てないのによく分かりましたね」

「パニックホラー系の映画ではよくあるパターンだから」

 努めて冷静にそう返したけど、心臓はめちゃくちゃに暴れていた。叫び出さないようにフゥーッと長く息を吐く。

 陰魂は俺達の視点より高いところ、つまり俺達が出てきた、エレベーターがある建物の上にいた。陰魂は巨大な体躯を不規則に揺らしながら建物の上から降りてきた。

 その陰魂は、昨日駅のホームで見たやつとは違って全身が人間の腕で覆われているような姿をしていた。毛の一本一本が腕、というような感じだ。特に大きい腕が地面に四本突き出している。それらがどうやら手足の役割を果たしているらしい。顔らしき物は見当たらなかった。

 そしてやっぱり凄まじく大きい。十メートル近くはあるんじゃないかこれ!?

 目が離せないでいると「顔があるとしたらここら辺だろうな」という部分の腕が、まるで食虫植物が獲物を捕らえる時のようにパアッと円状に開いた。

「おなかぁすいたあごめんなさいこれでおしまいにしますぅごめんなさいぃ」

 き、昨日よりはマシ! 怖くない! そう暗示を掛けていると、夜光さんが「うーん」と首を傾げた。

「ど、どうしたの?」

「何というかこの陰魂、どうして陰魂になったか分からないくらい悪意が感じられないんですよね。おかしいなあ……」

 確かに、初めて駅で見たヤツと比べるとそうかもしれない。今目の前にいる陰魂は怖くないこともないが、昨日のヤツは身体の芯から恐怖を揺さぶってくるような感じがした。

 夜光さんは首を傾げながら陰魂に近づいていった。そんなに寄って大丈夫なのか?

「や、夜光さ」

「いやぁあくるなあしねえぇ!」

「うわっ」

 突然陰魂は甲高い声を上げたかと思うと、地に着いていた腕の一本を振り上げて、それを夜光さんに向かって勢いよく振り下ろした。夜光さんは間一髪でそれを避けたが、バランスを崩して転倒してしまった。

 さっきは感じなかった恐怖が一気に襲いかかってきた。冷水をぶっかけられたみたいに身体が硬直する。でも倒れている夜光さんが目に入り、一瞬でその恐怖が解けた。

「大丈夫!?」

 駆け寄ろうとすると、夜光さんはスッと手のひらを俺に向けた。

「大丈夫です。ちょっと油断しました」

 夜光さんはパンパンと膝を払って立ち上がる。

「なるほど、隠してたのか。分かんなかったよ」

そう呟いて、夜光さんはラケットケースから突き出ている刀を抜き取り、右手で柄を持ち、左手で鞘をつかんだ。

「開」

 スラリと刀を引き抜く。昨日と同じだ、夜光さんの様子が変わった。陰魂の方も形容しがたい叫び声を上げ始めた。

「大きいから切るのに苦労しそうだな」

 夜光さんは助走をつけてタンッと飛んだ。刀が太陽に反射してギラリと鋭く光る。

「えいっ」

 振り上げた刀を斜めに振り下ろしながら夜光さんは地面に着地した。陰魂は夜光さんの方を振り返る。振り返ったことで斬られたカラダがずれる。ずれたカラダが地面に崩れ落ちる前に陰魂は跡形もなく消滅した。

「閉」

 夜光さんは刀を鞘にしまい、それをさらに背負っていたラケットケースにしまい直した。

 そして俺のほうを振り向く。

「……終わった?」

「終わりました」

「怪我は? 大丈夫?」

「大丈夫です。ご心配おかけしました」

 そう言って夜光さんはいつも通り笑った。

「戻りましょうか」

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