第2話

 

 家に「遅くなります」と連絡を入れた。そうしないと俺の晩ご飯がなくなる可能性がある。

 俺と夜光さんは、さっきまで俺が座っていた駅のホームのベンチに腰掛けていた。俺はスマホの電源を切ってポケットにしまい、隣に座っている夜光さんを見る。

「何から説明しましょう」

「さっきのあの化け物、アレ何?」

 一番疑問に思っていることを尋ねると、夜光さんは「いきなり難しい質問ですね」と唸った。

「難しいの?」

「難しいですね。上手く説明できなかったらごめんなさい」

 夜光さんはそう前置きした。

「さっきのアレは『陰』というものの集合体です」

「イン?」

「陰と陽って分かります?」

「あれだ、黒と白の勾玉みたいなのがこう、くっついて円状になってるアレ」

「そうそうそれです。ええと、人間って陰と陽の二つで構成された物なんですよ。簡単に言うと、ポジティブとネガティブって感じで」

「人間の心の話?」

「心だけじゃなくて、言動も含まれるんです。人間のポジティブな言動は陽、ネガティブな言動は陰とされます。で、ここからが本題なんですが、人間の起こした言動って具現化するんですよ」

「ごめん、早々に話についていけなくなっちゃった……」

 俺の国語の成績は五段階評価で表すと二だ。夜光さんは眉根に皺を寄せながら「ですよね、いきなりこんなこと言われても訳分かりませんよね。じゃあちょっと例を挙げます」と言った。かたじけない。

「犬が川で溺れていました」

「可哀想!」

「そう思う人は、大抵犬を助けますよね。この行動は『陽』に分類されます。でも犬を助けなかった場合、助けなかった、つまり行動を起こさなかったと言う事実が『陰』に分類されます」

「ええと、行動したときが『陽』、見殺しにしたときが『陰』?」

「そんな感じです。まあ物事ってそんなに単純な仕組みにはなってないんですよね、そこが難しいところです。さっきの例をまた出しますが、溺れているように見える犬が実はただ水浴びをしているっていう可能性も考えられます」

「そうなると、今度は『助けた』という事実が『水浴びの邪魔をした』という事実に塗り替えられるわけだから、『陰』になるってこと?」

「そうです! 流石です朝蔭さん。つまり結果的に自分の起こした言動がプラスに働いた場合『陽』、マイナスの場合が『陰』です」

 そう言って夜光さんはパチパチと手を叩いた。なんとなーく、本当に大まかって感じだけど理解出来た気がする。

「ここからが本題です。さっきのあの化け物は『陰』の集合体、もっと細かく言えばこの駅に漂っていた『陰』が集まって出来たものです」

「駅に?」

 首を傾げると「まあ駅だけじゃなくて電車の中とかも含まれるかもしれません」と返された。

「朝蔭さんって高校までは電車で通学してます?」

「そうだよ」

「と言うことは、ほぼ毎朝満員電車に乗ってるってことですよね。私チャリ通なんで電車に乗る機会があまりないんですけど、実際どうですか?」

「そうだなあ、俺の最寄り駅に電車が着く頃には既にいっぱい人が乗ってて当然席には座れないしスーツのおっさんにプレスされるし良いことはまっっっっったくないね」

「なるほど」

 夜光さんはコクリと頷いた。

「なら、あの化け物は朝蔭さんです」

「え?」

 いや……どういうことだ? 比喩? 「お前が自覚してないだけで実は周りからはこんなに気持ち悪く見えてるぞ」っていう意味を含んだ言葉?

「ごめん、これからあんまり話しかけないようにするね……」

「違いますよ! 悪口とかじゃなくて、ホントの話なんですって」

 夜光さんはブンブンと首を横に振りながら、早口でそう言った。

「朝蔭さんは毎朝『満員電車嫌だな』って思いながら電車に乗るんですよね」

「うん」

「その朝蔭さんの思いは『陰』です。『思った』『した』『言った』など人間から生み出されたそれらは、後々エネルギーになるんですよ。良いことを思ったり、したり、言ったりしたら『陽』のエネルギーが、悪いことを思ったり、したり、言ったりしたら『陰』のエネルギーが。エネルギーが強かったり沢山集まったりすると、あのような化け物が生まれるんです。まあ陽エネルギーが集まったところであんな化け物にはなりませんが」

「ええと、じゃあつまりさっきの化け物は俺が『ああ今日も臭いおっさんに挟まれた辛い』って感情が形になったものなの?」

「そういうことです。もちろんあんなに醜悪だったら他の人の『陰』も入ってますけどね」

 確かに、さっきの化け物は色々物騒な言葉を喋っていた。

「なるほど、じゃああの化け物は結局の所人間が生み出したものってことなのか」

「うんこみたいなものですね」

「分かりやすいけどその例えはいかがなものかと思うよ」

 ホームに電車が到着するというアナウンスが聞こえてきた。ちょうど俺が乗りたい方面だ。化け物の正体も解決したし、そろそろ帰ろうかな。

「ああいう化け物みたいなのいたんだな、フィクションだと思ってた。初めて見たよ」

 そう言いながらベンチから立ち上がって振り返ると、夜光さんはなんとも言えない顔で俺のことを見上げていた。

「一番伝えたいことです」

 夜光さんは堅い声で言った。

「アレ、普通の人は見えないんですよ」

 電車が停まるとき、キィーッという音がした。その音と被さったからか、夜光さんの言葉に靄がかかったようだった。

「22時か……流石に今日はもう遅いので後日詳しく話します」

「え、ちょっと、え」

「何か変なものが見えたらコレおでこに貼ってください。セロテープで固定できるので」

「いやまって」

「気をつけて帰ってください。あれくらいなら大丈夫です」

 半ば放心状態の俺の制服のポケットに何かを詰め込み、ぐいっと電車内に俺の身体を押した。

 プシューッと電車のドアが閉まる瞬間、咄嗟に俺は「夜光さんは乗らないのッ!?」と尋ねた。

「自転車で帰ります!」

 ドアが完全に閉じられる前に夜光さんは元気よくそう言いきった。

 ゴトン……と電車がゆっくり動き出す。夜光さんがどんどん遠ざかっていく。やがて電車は加速していき、駅のホームすら見えなくなった。

 それなりに遅い時間だから空席が目立っていた。それでも俺はどこにも座らず、「すぐに出ることが出来るように」ずっとドアの付近に立っていた。

『アレ、普通の人には見えないんですよ』

「嘘だろ頼む嘘だと言ってくれ」

いや、なんか、今俺のすぐ真後ろにさっきの化け物が二回りぐらい小さくなったヤツいるんだけど! バリバリ見えるよ!

 さっきの化け物ほど悪意は感じないけど、始終「つかれた……ねむぅい……」と呟いている。女子高生かよ! ワハハ!

 脳内で必死に陽気なことを考えていると、ピロリンと俺のスマホが鳴った。電源をつけると夜光さんからメッセージが来ていた。

『お疲れ様です。最後まで話しきれなくてごめんなさい。一番大事なことを話せませんでした。理由は分かりませんが、どうやら朝蔭さんは見える人になったようです。できるだけ早めに今後についてお話ししたいと思うのですが、いつ頃都合が良いですか?』

 本音を言うなら今すぐにでもだよ! と頭の中で叫びながら「いつでも大丈夫」と送った。しばらく経つとまたメッセージが来た。

『なるほど、では明日はどうですか?』

『大丈夫』

『じゃあ、明日の放課後に東図書館でお願いします』

 図書館? なんでそんな会話するには不向きそうなところを選ぶんだ? でもまあ何か考えあってのことなんだろう。「了解です」と送るとまたメッセージが来た。

『お願いします! あと、さっきポケットに入れたのを額に当てて化け物がいる方向を見てみてください』

 そういえばさっきなんか入れられたな。右手で制服のポケットを漁ると、紙切れが何枚か入っていた。その中の1枚だけ引き抜く。

 出てきたそれは、どう見てもコンビニのレシートだった。

『入れるもの間違えたのでは!?』

『間違えてません! 裏を見てください』

「裏?」

 くるりと裏側をひっくり返すと、紙の真ん中に黒のボールペンで「閉」と丸っこい字で書かれていた。

 え……これ……落書きでなくって……? 半信半疑でそれを額に当て、ギュッと目を閉じてから覚悟を決めて後ろを少し振り返った。

 後ろには何もいなかった。

『即席で作ったお札です。破れると効力がなくなるので、一応何枚か予備入れておきます』

『すごい! これで祓っちゃった感じ!?』

『見えなくしただけです』

 じゃあ後ろにまだいるんかい! 冷や汗がドバッと出てきた。

 でも見えなくなっただけで大分違う。やってることはまさしく臭いものに蓋だけど。

『ありがとう。ちょっと落ち着いた気がする』

『良かったです! ほとんどの奴は、ちょっかいを出さなければ基本的に無害なので安心してくださいね。ではまた明日よろしくお願いします。おやすみなさい』

 夜光さんからのメッセージはそれで途切れた。『こちらこそ。おやすみ』とメッセージを送り、スマホの電源を切って制服にしまった。電車内にまもなく最寄り駅に到着するというアナウンスが鳴り響く。

 うん、明日になれば全て解決するはず、今日だけの我慢だ。

 それにしても、随分遅い時間になった。晩ご飯まだ残ってれば良いけど……。

『自転車で帰ります!』

 ……わざわざ俺とのメッセージのやりとりで帰るのが遅くなっていたら申し訳なさ過ぎる。

 電車のドアが開き、最寄り駅のホームに降り立つ。試しにレシートもといお札を額から外すと、階段付近をうろついている化け物が見えたので額に当て直した。なんとなく息を止めながら階段を降りる。本当に夜遅くで人が少なくて良かった。こんな姿通報待ったなしだ。

 あ、そういえば夜光さんのあの格好と刀は何だったんだ?

 今更疑問に思った。まあどうせ明日分かるだろ。

 改札を通った瞬間、安堵から大きなため息が口から漏れる。

「腕疲れたー!」

 大きい声でそう言いながら、俺は上げていた右手を下ろした。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る