命かけてるのでもう少し給料上がりませんか?

増若布

第1話       

「おいコラふざけてんのか?」

 今、目の前ではたいそう機嫌の悪そうなおっさん、もといお客様がガンを飛ばしている。俺は「大変申し訳ありません」と頭を下げた。

「さっき買った五個入りの唐揚げの袋によォ、見ろ、蠅が入ってたんだよ。信じられねえ、食品取り扱ってるにしちゃあ自覚が足りねえんじゃねえの?」

 お客様はどこか勝ち誇ったかのように唐揚げが入った袋を見せてきた。どうでもいいけど既に四個食ってんじゃねえか、もうそこまで食ったんなら蠅くらい見逃してくれよ。いや無理か。

「本当に申し訳ありません、すぐに返金と新しい商品を……」

「今の時代、えすえぬえすに書き込めばコンビニの一つや二つ簡単に潰れちまうようになったよな」

 言い慣れていないのか、たどたどしくSNSの手軽さを語るとお客様は下卑た笑い方をした。嫌な予感がして、目線だけ上げてお客様のことを見る。

「書き込まれたくなかったら、今すぐ土下座しろ、どーげーざー」

 ああほらやっぱり。ため息をつきたくなるのをこらえ、俺は頭を上げた。

「あの、お客様……」

「おい土下座くらいできんだろ、さっさとしろ、書き込んでこの店潰すぞ」

 書き込んだだけで潰れるわけねえだろ。……いや、どうだろ。本当にそれだけで潰れるのかな。それは困る。

 お客様は最早蠅のことよりも俺の土下座を見るのに目的がシフトしていた。バンバンとカウンターを叩きながら「早くしろ」と急かしている。他のお客様は何事かとこっちをチラチラ見ていた。

 全く、コンビニバイトなんてするんじゃなかった。仕事量の割に給料は低いし無理矢理シフトは入れられるし、何より客層が悪い。人間の底辺みたいなヤツばっかり来店してくる。

 つーかその蠅絶対後付けだよな! その唐揚げついさっき詰めたばっかりだぞ、蠅が入る隙なんてあるわけがない。持参したろその蠅。マイ箸ならぬマイ蠅だろ。

 だんだん店内が混んできた。レジは二つしかない。このままではレジが混雑して他のお客さんに迷惑になってしまう。しかしこのおっさんは引く気配がない。

「土下座のやり方知らねえのか!? 膝ついて両手をそろえてお前の軽い頭地面にこすりつけるだけ! 分かったなら早くしろ!」

 ああもう仕方ない、一時の恥だ。土下座で済むなら安い。バイト先高校から離れた場所にして良かった、こんな姿知り合いに見られずに済む。

 俺は床に膝をつこうとした。

「すみません、少しいいでしょうか」

 俺の隣から恐る恐るといったような声が聞こえてきた。声が聞こえてきた方を見ると、こっちのレジが休止しているせいで、もう一つのレジをフル稼働させていたバイトの後輩である夜光やこうさんがこっちに顔を向けていた。

「あ? なんだよ」

 お客様に気圧されたのか、夜光さんはビクッとたじろいだ。でも、視線をお客様からそらさず、真っ直ぐに見つめている。夜光さんはフゥと小さく息をつき、口を開いた。

「あの、恐れ入りますがお客様、当店では蠅の持ち込みは控えさせていただいております」

 ブッフォと店内にいるスーツ姿のお客様が吹き出しているのが見えた。

「な、何言ってんだお前!」

「お客様が買われたこの五個入りの唐揚げ、つい数十分前に揚げたものでございます。袋詰めしたのは私なのですが、その時袋の中にこの蠅はいませんでしたし、もちろん唐揚げにもついていませんでした。それに、揚げる前の唐揚げについていた場合この蠅も揚がっているはずです。これを見る限りこの蠅は一般的な状態の死骸なので、後から死んだ、もしくはこの袋に混入したときから既に死んでいたという可能性が高いです」

 夜光さんは丁寧な言葉で「お前が蠅の死骸入れたんだろ」と疑いを掛けた。お客様は興奮して赤黒くなった顔を歪めて怒鳴った。

「じゃあ後から入って死んだんだろ!」

「こちらの商品、袋詰めしてすぐに密閉してからレジ横のケースに並べております」

 まさしく勝負あり、という感じだった。お客様、もといおっさんは真っ赤な顔でブルブル震えると「二度と来ねえよこんな店!」と捨て台詞を吐いて店を飛び出していった。

 誰かが「すっげえ、ドラマかよ」と呟いたのが聞こえた。

 夜光さんはどこか気まずそうな顔をして肩をすくめていた。


    ◇◇   ◇◇   ◇◇


「夜光さん、さっきはありがとね」

 店内のお客さんもまばらになって業務も落ち着いた頃、ようやく俺はお礼を言うことが出来た。

「いやいや全然大したことしてないので」

「してたよ! 俺土下座する寸前だったし。何にせよ俺はすごく助かったからさ、本当にありがとう」

 そう言うと、夜光さんはぽりぽりと頬を搔き「でも嘘ついちゃったので」とぽつりと言った。

 そう、実は夜光さんは全くの正論であの迷惑おっさんを撃退したわけではなかった。あのおっさんが買った五個入りの唐揚げは中身がよく見えるように、ケースに入れる際は「袋を開けたまま」の状態で並べるのだ。まあおっさんはそれに気づかなかったから、自ら蠅を袋の中に入れたのは事実だろうけど。

「気づかれなかったから大丈夫だよ」

「そうでしょうか」

「そうそう、物事全体が綺麗に収まるなんてことなかなかないし。あのお客さんからの反論もなかったしね。夜光さんが行動してくれなかったら、俺は無駄に土下座なんかさせられるところだったんだ」

 だからありがとう、と改めてお礼を言うと、夜光さんは少しはにかんで「それなら……」と呟いた。夜光さんは考える素振りを見せてから「実は」と話し始める。

「さっきのお客様、時々来店してそのたびに文句つけてたんです。お弁当の並べ方が雑だとか商品の品揃えが悪いとか。今までは謝るだけで済んでいたから特に対策を取らなかったんですが、今回は度を越して酷かったので」

「そうなんだ……。俺今日初めてあの人に会ったよ」

 もしかしてさっきの夜光さんが見せた華麗なる論破(嘘もあったけど)は、別に俺を助けたんじゃなくて自分の鬱憤を晴らすためのものだったかもしれない。「俺のため!?」とちょっとうぬぼれてしまった。恥ずかしい。

「何にしろ、もうあの人は来ないでしょ」

「そうですね。他のお客様も迷惑そうにしていたので、対処できて良かったです」

 そう言うと夜光さんはちらっと俺のことを見上げた。

「ん? どした?」

「その、まだここで働き始めて一ヶ月くらいしか経ってない私に言われるのも癪だと思うんですけど」

「何何、何でも言いなさいよ」

「あ、朝蔭あさかげさんはすごく仕事が出来るし、私がトチッたときに怒らずにフォローしてくれるし、とても尊敬しています。だからその、全然頭は軽くないというか何というか……」

 俺はパチパチと瞬きをして夜光さんのことを見る。

「……えっと、商品補充してきます」

「夜光さん、ありがとう。商品補充お願いね」

 そう言って笑うと、夜光さんは汗を搔いた顔で笑い、商品の在庫を置いてある裏の事務所の方に行った。

「後輩にフォロー入れられる先輩って」

 ガシガシと頭を搔いて、俺はハァと息をついた。


    ◇◇   ◇◇   ◇◇


「あれ、夜光さんももう上がり?」

「朝蔭さんもですか?」

「20時半に終わり。終わる時間が被るの、なんか珍しいな」

 次のシフトの人に仕事を引き継いで、帰り支度をしようと裏の事務所に行くと、ちょうど夜光さんが更衣室から出てくるところに鉢合わせた。

「すいません、まだ業務残ってましたか?」

「いや? 切り上げようとしたらちょうどお客さんがレジに来たから、その対応してから終わりにしたんだ。今日廃棄何ある?」

「それなら良かったです。ええと、今日も菓子パンとおにぎりくらいしか……」

「そっかあ……あ! ちょ、見て!」

 二人してしゃがみ込んで『廃棄(点検済)』と書かれた紙が貼ってあるプラスチックの箱の中をゴソゴソと漁ると、激レア物が奥から出てきた。

「嘘、プリンだ……!」

「俺、ここで働いて一年くらいになるけどプリンの廃棄なんて初めて見た」

 しかもこれ一個200円近くするちょっとお高めのヤツだ。ちょうど二個あるから俺と夜光さんで一個ずつ持って帰ろう。

「いや、でもちょっと待ってください」

 夜光さんはいつになく真剣な顔で、プリンの容器に貼られているラベルを見ながら言った。

「これ……消費期限今日の朝です。しかも今の今まで常温で放置されてました」

「……オゥフ……」

 ホントだ、今日の7時までになってる。

「どうします?」

「どうしますって、え、でもこれ……」

「……私は持って帰ります」

 ハッとして夜光さんを見る。彼女は覚悟を決めた顔をしていた。

「これは、腐ってもプリンなので」

「いやこの場合腐ってたらアウトだから。腐っても鯛みたいに言うんじゃないよ」

「朝蔭さんがいらないなら二個とも持って帰ります」

「俺も持って帰りますけど!?」

 死なば諸共だ! と言ってプリンと惣菜パンを二つ取って立ち上がると「死にたくはないですよ!」と夜光さんはツッコんだ。

 ピロリンと電子音が鳴った。どうやら鳴ったのは夜光さんのスマホらしい。夜光さんは「ちょっと失礼します」と言って、着ていたコートのポケットをゴソゴソと漁ってスマホを取り出した。しばらくスマホの画面を見ていたかと思うと、フゥと小さく息をついた。

「どうしたの?」

「あ、いや、何でもありません」

 絶対嘘だな、何かはあっただろ。夜光さんは結構分かりやすい。

 でもまあプライベートなことに首を突っ込むのもなあ。俺は「そっか」とだけ返した。

「じゃあお疲れ様でした。お先に帰ります」

「お疲れ~。気をつけて帰ってね」

 既に身支度が終わっていた夜光さんは、ぺこりと会釈をして事務所を出て行った。さ、俺も早く着替えて帰ろう。


    ◇◇   ◇◇   ◇◇


 電車を待っている間、駅のホームのベンチに座って廃棄のパンを食べることにした。

家に帰ったら晩ご飯が用意されてるだろうけど、それまで胃が持たないんだよな。背負っていたリュックから無造作にパンを取り出して袋を開ける。大口を開けてパンを齧ると、少し油っぽい味がした。タダだから毎回貰っちゃうけど絶対身体に悪いんだよなコレ。

 食べきってもまだお腹が不満を訴えている。むしろ下手に胃を刺激してしまったので更に食欲が増した気がする。そうなることを見越してもう一個パンを貰っておいて良かった。再びリュックからパンを取り出して齧り付く。このメロンパン湿気ってて悲しい味がする。

 ちなみにおにぎりの廃棄は絶対に貰わない。前に一回だけ持って帰ったことがあるんだけど、外側の米がカピカピになっていてボロボロ落ちるし、中の米も水分が抜けかけていて食感が消しゴムっぽかった。消しゴム食べたことないけど。でもまあ消しゴムくらいならなんとかいけると思って食べ進めていったら、具に到達した瞬間「これ駄目なヤツだ」と悟った。しばらくツナマヨがトラウマになった。おにぎりに比べてパンは包装がしっかりしているから比較的安心だ。まあやっぱり食べ頃は過ぎてるから美味しくはないけど。

 二個目のパンも食べ終わると、ようやくお腹も落ち着いてきた。家に着く頃にちょうどお腹がまた空き始めるだろう。スマホを制服のポケットから取り出して時間を確認する。電車が到着するまであと数分だ。

「ふわ~あ」

 大きな欠伸をして伸びをし、周りを見渡す。そんなに遅い時間でもないのに、駅には俺以外誰もいない。

 なんか変なことでもしようかな。

 おもむろに立ち上がり、右膝を曲げて左足と左腕を後方に伸ばし、右手を額に当ててうつむく。

「モノマネ。小言を言った後思いっきり扉にぶつかりどうにか威厳を保とうとしてとった店長のポーズ」

 んっふ。

「え!?」

 え!? 誰かいるの!? いたの!? 俺は慌てて立ってあちこちに視線をやった。

「……い、いないじゃん」

 気のせいか、良かった~! でももう奇行はしないようにしよう!

 リュックを背負い直し、膝をはらっているともうすぐ電車が到着するというアナウンスが流れた。

 やっとか、待ちくたびれた。目をつぶると眠気を感じた。なんか今日疲れたな。

 ふわあ、とまた欠伸をすると、電車が来たのかかなりの風圧を感じた。

「……ん? あれ?」

 くるりと後ろを振り返る。特に変わったところはない。

 プシューッと音が鳴り、電車の扉が開く。しかし俺は足を動かさなかった。電車は誰も飲み込むことなくこの駅を通り過ぎて行った。

 どうしてだか胸騒ぎがする。心臓が早鐘を打っている。

 俺は線路側に顔を向けていた。つまり電車が来る方向だ。電車による風圧を感じるなら顔や腹など身体の前面だろう。

 風は俺の背中を押すように吹いた。

「いやいやいやいやどういうことだよ……」

 じんわりと手のひらに汗がにじむ。両手をスラックスにこすりつけ、辺りを見回す。

 このとき、俺は何故か「なんかいるんだな」と思った。理由はないけど、そのことが黒板にでっかい字で書かれたみたいに見過ごすことの出来ない、決定事項のように思えた。

 意識的に俺は瞬きをした。

「アッ」

 小さい悲鳴が唇から漏れる。

 俺の数メートル先に化け物がいた。

 生き物ではない、化け物。見るも無惨なそれは、十ほどの人間を団子状にしたような様相をしていた。身体の至る所から不規則に手や足が突き出していて、いくつもの人の顔が面のように張り付いていた。

 化け物は俺には気づいていないのか、無造作に突き出ている手や足を蜘蛛のように動かして俺から遠ざかっていった。

 俺は足音を立てず、ゆっくりと後ろに下がった。

「わっ」

「ああああああああ何何何何何何何何!?」

「あ、朝蔭さん、私です、夜光です」

 え、と振り向くより先に、腕が横方向にグイッと引っ張られて走ることを促された。チラリと後ろを振り向くと、あの化け物がこっちを見ていた。かと思うと、転がるようにして俺達が逃げている方向に向かってきた。

「無理無理無理無理移動の仕方まで気持ち悪い!」

「やっぱり見えてますか……」

 俺の腕を引っ張って走っているのは、さっきまで一緒にコンビニで働いていた夜光さんだった。何故か帰るときには着てなかった黒いジャケットを着ている。

「や、ね、や、夜光さん、あれ」

「少し、待っていてくださいね」

 夜光さんは俺を安心させるかのように、腕をつかんでいる手に軽く力を入れ、口角を上げた。そして俺の腕を放し、いつの間にか俺達の真後ろにいた化け物に向き直った。

「……あいつなんか喋ってる?」

 化け物は、身体の至る所にある口からとめどなく言葉を発していた。好奇心、というか怖い物見たさ(聞きたさ?)から耳をそばだてる。

「つらいしにたいいきたくないやめたいしにたいしねきえたいきえろしねしねしねしね」

 鳥肌が立った。無意識にさっき夜光さんに握られていた二の腕をさする。

 なんだ、この悪意の塊のような化け物は。

夜光さんはじっとその化け物を見ていたかと思うと「今日のは流石に酷いな」と呟いた。

 そして背中に背負っていたラケットケースから何かを引き抜いた。

「刀……?」

 夜光さんが持っているそれは、見間違いじゃなければ日本刀だった。夜光さんは刀を鞘から抜き、鞘をそっと地面に置いた。そして刀を両手で持ち直し、剣道の構えのような姿勢をとる。

「『開』」

 夜光さんがそう呟いた瞬間、夜光さんの何かが変化したように感じた。

 さっきよりもあきらかに化け物が凶暴になっている。言葉にならない唸り声を上げ、化け物は夜光さんに向かって突進してきた。

「夜光さん!」

 咄嗟に名前を呼ぶ。夜光さんは後ろを振り返り「なんですか、朝蔭さん」と言って笑い、刀を振り上げた。

 ヒュッという風が吹き抜けるような音がしたかと思うと、夜光さんの目の前にいた化け物はいつの間にか真っ二つになっていた。

「あ、ェ」

 半分になった化け物は、ゴロリと地面に崩れ落ちる前に、跡形もなく消えてしまった。

 夜光さんはしばらく刀を振り下ろした状態で静止していた。なんだかいつもバイトで会う彼女とは違う気がして、声を掛けることが出来なかった。

「『閉』」

 夜光さんはそう呟いて地面に置いていた鞘を拾い、刀を納め、背中のラケットケースにしまった。その一連の動作をこなしていた夜光さんは、元の「夜光さん」だった。

「……あの、夜光さん」

 恐る恐る話しかけると、何故か夜光さんも恐る恐るこちらを向いた。

「ええと、朝蔭さん」

 しばらく俺達はじっと見つめ合った。

「このあとお時間あります?」

 夜光さんはナンパの常套句を言ってヘへッと笑った。

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