第5話 断らないでーという心の叫びが聞こえた気がした。

 ぼくは独立直前、スイスの写真展で賞をもらった。賞をとれたので独立できたといったほうが適切かもしれない。受賞作は世界をまわって、チャンスを与えてくれた。いろんな国から仕事のオファーがくるようになった。遅れて日本でも仕事をもらえるようになった。

 独立間もないころの話だ。


 出版社から仕事をもらえるというので、オフィスでの打ち合わせに呼ばれた。

 出版社の人には申し訳なかったんだけど、ぼくは本を読まない。ぼくなんかが来ていいのかななんて思いながら、打ち合わせの行われるという会議室に通された。立派なビルで、窓からいい景色がながめられた。庭園らしい緑のある場所も近くにあって全体が見下ろせた。小春日和というやつで天気がいいし、帰りに寄ってみようかなんて思った。

 ドアが開いて入ってきた人を見て目を見張った。ふたりいたんだけど、ひとりは目にはいらなかった。ストレートのロングヘアで、スリムなのにブラウスの胸は張りだしていて、それでいて色気があるというより、きよらかな印象の美人だった。装飾のない、素のままの美しさ。ぼくにポートレートを撮る腕があったら、即座にモデルの依頼をするところだ。

 ぼくの目にうつらなかった、もう一人の人が編集者で、透明なガラスのような美しさの美人は小説家だった。この外見を売りにする必要がないほどの小説を書くのかと、信じられない思いがした。

 ぼくの仕事は、小説の表紙につかう写真を撮ることだった。依頼の連絡をもらったとき、小説家をモデルにするならほかの人に頼んでほしいと断ろうとしたら、そうではないというので、こうしてやってきたわけだけど、やっぱり小説家を表紙にしたほうが売れるんじゃないかと思う。

「ぼく風景しか撮れませんけど」

「はい、大丈夫です」

「あの、小説家の方をモデルにしなくていいんですか?」

「小説家はたいてい著書の表紙になりません」

「そうですよね、電話のときに教えてもらいました。でも、信じられない。モデルもやって、小説も書くわけではないんですよね」

「モデルはされてません」

「すると、小説はすごい価値のあるものなんでしょう?」

「もちろん。すばらしいですよ」

「ぼくの写真を表紙に使うのでいいんですか?イラストレーターさんとかデザイナーさんとかじゃないですか?表紙を担当するのって」

「デザイナーさんもいます。タイトル文字をいれたり写真を加工したりしますので」

「はあ。じゃああまり、写真は重要ではないですか」

「そんなことはありません、元の写真次第のところがあるのです。デザイナーさんを発奮させるようないい写真をお願いします」

「はあ」

 彫像のように無駄をそぎ落とした美人は、ずっとこっちを見て微笑んでいた。なんだろう、ぼくに愛想よくする必要なんてないと思うけど。誰に対しても愛想をふりまく人なのかな。小説家のイメージは、こう我が強くて怖い人って感じなんだけど。

 ぼくはいろんなタイプの代表的な写真をファイルにしてもってきていた。それを見てどんなイメージの写真にするか要望を聞こうと思った。ところがだ。美人は意味がわからない。

「わたし写真わからないから、おまかせします」

「え?だって、わざわざ写真家に依頼するんですよね」

「なんというか、いい写真を使いたいけど、どういうのがいい写真かわからないんです」

 ぼくは途方に暮れた。自分で判断しないで、多くの人がいいと思いそうなものを適当にみつくろえってことか?

「つまり、あまり気にしないってことですか?」

「そうじゃないんだけど、見てみないとわからないというか。まだこの世に存在しないものでしょう?頭で想像できないんです。小説とちがうから」

 うーん、この世に存在しないものは撮影できないんだけど。

「わかりました。小説を読んでください。それで、なにかインスピレーションが湧いたら、それに合うように写真を撮ってください」

 丸投げだ。

「はあ」

 正直気乗りしない。編集者を見ると、すがるような目で見てくる。断らないでーという心の叫びが聞こえた気がした。もしかしたら、すでに何人かに断られているんじゃないか。それでぼくみたいな駆け出しにお鉢がまわってきた。そんなところか。

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