魔法の花と大精霊

前花しずく

魔法の花と大精霊

「ミル! そっち行ったよ!」

「オーケー任せといて!!」

 広大な砂漠の真ん中で、四人の男女が腹から垂れた臓器を引きずっている家畜たちと対峙していた。彼らは魔物から一般市民を守る冒険者であり、今は馬車も通る街道に住み着いた魔物の群れを駆除しているのだ。

「『煉獄の炎<ファイア・バースト>』!!」

 ミルが先端に宝玉のついた杖を振り上げながらそう叫ぶと、瞬く間に魔物の足下は火の海になる。さらにそこから杖を横に払うと、足元の火は瞬く間に火柱となって、魔物を飲み込んだ。

「さっすが、姉御の魔法は違うわ」

 ミルの仲間、ハリスは自身の剣を鞘に収めながらため息を漏らす。筋肉バカのハリスでさえ理解できるほど、ミルの魔法は桁違いに威力が高い。炎が収まって地面が見えてきたが、既に魔物たちは魔素に分解されてなくなっていた。


「いっつも姉御がいいところ持ってっちまうんだからなあ」

「あら、強くてごめんなさいね?」

 貰った報酬で、一行は今日もご褒美の酒を楽しんでいた。ギルドの一角にある冒険者用の酒屋だ。もう大きめのカップ二杯を空にしているハリスとは対照的に、下戸なミルは小さいカップに入った果実酒をちびちびと少しずつ減らしていた。

「ほんとだよー。僕らはいつもミルのお膳立てだもんな」

 エスタも鞘に入った自分の剣を抱えながら、目の前の果実酒を一気飲みする。エスタは童顔であるだけでなくお酒もあまり強い方ではない。今も既に顔が赤くなっていて呂律が怪しいくらいである。

「ハリスとエスタは仕事があるだけまだましよ。アタシなんかただ突っ立ってるだけなんだから。暇でしょうがないわ」

 エスタの横で一人、酒ではなくジュースを飲んでいるロリータファッションの少女はエリザベート。この一行の回復魔法を担当する魔術師だが、ミルがいつも無傷で勝ってしまうためにこのパーティに入ってから一度も戦闘に参加したことがない。今までに使ったことがあるのは酔い覚めの魔法くらいのものである。

「本当にごめんって、才能って罪だわあ」

「クソ! やけ酒だ! もう一杯!!」

 ハリスはミルのドヤ顔を見て、店の奥に怒鳴るように追加を注文した。

「でも真面目な話、お姉さまの魔法にはいつも驚かされるわ……。普段あまり練習なんかもしていないのに……」

「練習なんかしたことないよ。物心ついたころには既にある程度自由に魔法使えたし」

「だぁ~つまりぃ遺伝ってことなんじゃないのぉ?」

「全くどんな親を持てばそんな化け物に生まれるんだこのヤロー!」

「どんな親……ね」

 酔いが回って呂律の回らないエスタと調子づいて饒舌になったハリスに変わる変わる羨望の念をぶつけられていたミルだったが、どうやらその単語だけに引っかかったようだった。

「お姉さま?」

「あ、いや、なんでもないよ。……『化け物』ってのがちょっと傷ついたかなあ?」

 ミルがそう言って顔を手で覆ってわざとらしい泣き真似をすると、ハリスはちょっと気まずそうな顔をして明後日の方を向いた。

「それはそのなんだ、少し言い過ぎたかもしれないな……」

「珍しい! ハリスが素直だ!」

「なっ、姉御……絶対気にしてなんかいないだろ!」

 咄嗟の誤魔化しだったが、ハリスのやかましさのお蔭でどうやらどうにか流せたようだ。

 そう、エスタの言う通りミルの魔力は恐らく遺伝だ。でもミルはその遺伝のルーツ、父親がどんな人なのか、どんな顔をしていて今どこで何をしているのか……その一切合切を、何もかもを探し続けているものの未だに辿り着けていない。


 ミルはあまり裕福でない家庭に生まれた。のどかな牧草地の真ん中の、小さな村の端っこにある小さなうちの子供だった。

 父親のことはほとんど覚えていないが、せがんでもせがんでも一緒に外出してくれなかったことだけは覚えている。来客があっても奥の部屋でじっとしていて、その間は母親も父親なんて存在しないかの如く振舞っていた。

 そう聞くと不仲な夫婦なのだと思われそうだが、両親自体の仲は他の家庭とは比べ物にならないくらい良かった。狭い家なので、ミルの耳にも夜な夜な色んな音が聞こえてきてしまい、寝付けないこともしばしばだった。

 家の中でならとっても優しい父親だった。肩車もしてくれたし、身体をくすぐりあって笑い転げたりもした。後ろで束ねてある黒く長い髪の毛をたまに引っこ抜いては、軽く頭をチョップされた。いつも暗いところにいたから定かではないが、少し色黒であった気もする。

 そんな日々が唐突に終わりを告げたのが、ミルが4歳の時。目を覚ますと、定位置に父親の姿はなかった。やっと外で遊んでくれる気になったのかと外へ飛び出してみたけれど、だだっ広い草原が広がるばかりで人影一つ見当たらない。一通り探し回って家へ戻ると、母親は見たことのないピンク色の花弁をもたげた小さな花束を抱えて泣いていた。

 それから月日は流れミルが15歳の時、母親も病にかかってそのまま亡くなってしまった。人当たりのいい人であったから、葬儀には村中の人が集まってくれた。だが、ミル本人はその強すぎる魔力のために村の人々から敬遠されてしまい、葬儀が終わってからは交流がほとんどなくなってしまった。

 そこでミルは例の失踪した父親のことを思い出した。もしかしたらどこかで生きているかもしれない父親に、母親と自分を残して出ていった父親に、もう一度会ってみたくなったのだ。聞きたいことは山ほどある。特にどうして母親を悲しませるようなことをしたのかと頬を叩いて問い詰めたかった。

 しかし、記憶は薄れていないにも関わらず父の顔がどうしても思い出せない。かつてはもちろん「パパ」と呼んでいたし、いなくなってからは話題に上らなかったために名前すらも分からない。

 手がかりは長髪であることと、色黒であること、そして残していった見たこともないピンク色の花だけ。生きているかどうかも定かではない父親を見つけることなんて、まず無理かもしれない。でもこの小さな村で孤独を抱えて生きていくよりは、父親を追ってこの広い世界を駆けまわることをミルは選んだのだ。


「おーいミルー、聞いてたか?」

「え? あ、ごめん……なんだっけ」

 顔の赤いエスタに真面目な顔で話しかけられ、ミルは回想から我に返った。気付けばギルドはシンと静まり返ってみな一点を見つめている。その視線の先では、ギルドマスターが腕を組み、険しい顔をして仁王立ちしていた。

 ギルドマスターがギルドに直々にくるのは珍しいことだ。余程の事態でも起きたのだろうか。

「お姉さま、こんな大事な話を聞き逃すなんてらしくありませんよ……?」

「いや、ごめん……でどんな内容だったの?」

「簡単に言やぁ、最上級の魔物が出たって話だ。アカシチ砂漠に炎の大精霊とやらが出たんだそうだ」

 ハリスが事態をかなり凝縮して伝えてきた。これだけ情報をもらえればまあ十分だ。

 ギルド内では魔物をランク付けしていて、ワームが最低ランク、スライムが低ランク、オークや先の家畜寄生虫なんかが中ランクなどとなっている。この辺では中ランクが普通で、高くても高級程度。上級などが出た日には大騒ぎだ。それが最上級だというのだから、今のギルドの雰囲気も理解できる。

「もう既に二十人以上治療室に運び込まれてるんだってさ。死者が出てないのが奇跡みたいだーって」

 エスタが酔い覚ましのために水を飲みながらどこか他人事でそう付け足した。上級の魔物の討伐でも当たり前のように死者が出ているので、確かに死人が出ていないのは奇跡だと言っても過言ではないだろう。

「今回は敵が敵だけに参加は有志とする! 自分の腕に確かな自信があるヤツだけついてこい! 出発は明日の朝とする。いいな!!」

 ギルドマスターの大きいしわがれ声に合わせて、ギルド内にいるほぼすべての冒険者が「おー!!!!」と勇ましい声を上げた。ミルも声を上げはしなかったが、内心は好奇心と興味でノリノリであった。


「おい! こっち一人やられた! 何人か応援回してくれ!」

「こっちは三人やられてんだ! そんな余裕ねえ!」

 戦闘が始まった直後から、戦場では冒険者らの怒号が飛び交っていた。

 砂漠は高さ数十メートルはある無数の炎の柱と炎の壁で囲まれており、魔物本体の位置さえも確認できない。

 ミルたちもその炎の壁の周囲をグルっと回り、入り込める隙間がないことを確認してから攻撃に参加する。

「魔法相手じゃ僕の剣術の出る幕ないんだよなあ」

「魔物の下までは姉御に頼るしかねえな……」

「お姉さま、お願いします」

 燃え盛る火炎に成す術のない仲間たちにアイコンタクトを取り、早速ミルは杖を構えた。誰も巻き込まないよう、冒険者の少ない場所を選んで杖を向けて力を集中させる。力を込めれば込めるほど杖の先の宝玉が赤く発光していく。

「いくよ……『炎の旋風<ファイヤ・ブロウ>』!!!」

 ミルが目を見開くと杖の先端から渦状の火焔が発生し、炎の壁とぶつかって外炎が広範囲に飛び散る。

 しばらく膠着状態が続いたが、あるタイミングを境に渦の中央の空洞が一気に開き壁を通るトンネルのような形になった。

「今のうちに中に!」

 ミルの誘導に従って、仲間三人は渦の中を通り抜けていく。ミルも、トンネルを維持するために魔力供給は続けつつも三人の後に続いた。

「空洞にするのはいいんだけどあちぃのは変わらねえんだよなあ」

「なぁに言ってんだか、ミルがいなけりゃ僕たちだけじゃ中に入ることすらできないだろ?」

「そりゃあそうだけどよぉ……」

「お姉さまに文句言うんならあんたの防御壁張らないわよ」

 何やらハリスが二人に睨まれているが、ひとまず無事に壁の中へと入ることができたので後続がいないことを確認しつつトンネルを閉じる。

 そして灼熱の壁の内側、その中心に目を向けるとやっと魔物、すなわち炎の大精霊であろう姿が確認できた。

「近付くよ」

 ミルたちは砂漠の崩れやすい砂を踏みしめ一歩ずつ近付いていく。その距離が二十メートル程度になったあたりでようやく相手の全体像を確かめることができた。

 相手は少し大きい成人男性と同じくらいの背格好の人型で身体は赤く隆々とし、頭からは髪の毛ではなく白く赤く燃え盛る炎が上下左右に長くなびいていた。その足下に目をやると、その身体は地面から少しだけ浮き上がっているのが見てとれる。

「ほう、炎の壁を抜けてくる人間がいるとはな」

「なっ!? 魔物が喋ったぞ!」

 ハリスが驚くのも無理はない。魔物本人が自分の口を動かして人間の言語を発するなど上級の魔物ですら見られなかった現象なのだから。いきなり他の魔物との格の違いを見せつけられた形だ。

「だが、すぐに壁の外へ追いやってやろう……自らの無力さを思い知れ」

 炎の大精霊がその真っ赤な太い腕を両方とも突き出すと、そこから高温で完全に白く飛んだ凄まじい火炎が噴き出した。炎は一直線にミルたちの元へ突き進んでくる。

「させないわ! 『空魔障壁<ウィンド・ウォール>』!」

 エリザベートは一歩前へ歩み出ると両手を胸の前で固く結ぶ。すると巨大なつむじ風が全員を包み込み、炎の矢は風の壁にはじかれてちりじりになった。

「次はこっちの番よ! 『煉獄の炎<ファイア・バースト>』!!」

 ミルがまたいつものように杖を振り上げて叫ぶ。大精霊に負けず劣らずの凄まじい炎は轟音を上げながら瞬く間に大精霊を飲み込んだ。

「やったか!?」

 ハリスが思い切りフラグを立ててしまい、案の定煙の中から特に外傷のない大精霊が浮き上がってきた。少しばかり腕で顔をガードしていたが、それ以外は障壁も何も張っている様子はない。

 それほど余裕であるはずの大精霊だが、ミルの攻撃の直後から様子がどうやらおかしい。

「今の炎はまさか……」

「ミル! あいつ怯んでるみたいだよ! 一気に攻め込もう!」

 四人は一斉に攻撃するべく各々の武器を構え直した。

「まて!」

 そこに待ったを掛けたのは意外や意外、大精霊本人だった。さっきまで身長の二倍近くあった髪の毛、否炎はかなり小さくなっていた。どうやら敵意がないことを示しているらしい。

「私はこれ以上お前たちと交戦するつもりはない。去れ」

 大精霊は野太い声でそう言うと、そのまま立ち去るつもりなのかどんどん上昇していく。しかし冒険者が敵に待てと言われて待つわけがない。

「てめえ! 逃げるのか!」

 最後の足掻きでハリスが自らの剣を投げつけるが、当たる直前に大精霊の姿は忽然と消えてしまった。テレポートだ。周囲にあった炎の壁も本体が消えるのに伴って火の粉ひとかけら残さずに消滅し、あとには負傷者と呆然とする冒険者たちだけが取り残されていた。


「どうにも釈然としねえなあ」

 ハリスは今日も毒づきながら酒を煽る。今回はハリスだけでなくギルド全体がそんな雰囲気だった。とてつもない強敵が自分達の相手をすることすらなく消えてしまったのだ。まだ負けた方が清清しいというものだろう。

「大体、僕らが辿り付いてすぐ消えるってどういうことなんだか。まさか本当にミルの攻撃にビビったわけでもなかろうし」

 エスタも顔を赤くしながらもずーっと考え通しなので酔いが回らない様子だ。

「まあ考えてたって仕方ないわよ。とりあえずどっか行ったんだし喜ばなきゃ」

 そう言うミルも、少し引っかかっていることがあった。大精霊など一度も遭遇したことないはずなのに何故か既視感があったからだ。正直まったく心当たりがない。エスタと同じく酔いが全然回らないのでもう二杯目も空にしてしまった。

「ちょっとお手洗い行ってくるわ」

「変質者には気をつけるのよ」

 エリザベートからの注意に軽く返事をしつつ、ミルはギルドの建物から出た。お手洗いはギルドの建物から出て左の路地へ入った所の離れにある。奥まった所なのでたまに変な男がうろついていたり、スラムの人が集まっていたり、怪しい露店が出ていたりするのだ。

 今日は怪しい露店が一軒、ギルドの屋根の下に店を広げているのみのようだ。

 ミルはその露店を避けるように出来るだけ距離をとって道の反対側の端っこを進んだ。話しかけられるかもしれないため、少しばかり緊張しながら早歩きで通過する。

 用を済ませた帰りももちろん露店はある。行きと同じように、露店を横目に反対側の端を早歩きで通過しようとした。しかしチラッと店を見たその瞬間、そこに並べられた商品の一つに目が留まった。

「このお花……」

 鉢に植わった花がいくつも並んでいる中の、一番左端の花。それは紛れもなく父親が残していった花。父親の唯一の手がかり、まさにそのものだった。ただ似ているだけではない。色合い、形、そして香りまでもがあの時の花と全く同じであった。遠い記憶のはずなのに、目にした瞬間に頭に鮮明に蘇ってくる。

「気に入ったかい?」

 声をかけられてはっと我に帰ると、ミルはいつの間にかその花を手に取って眺めていた。

「す、すみません! 商品なのに勝手に触ってしまって……」

「なに、いいってことよ。それより、この花がそんなに好きかい」

 フードを深く被ったかなりのお爺さんと見られる店主は、不気味な声でそう繰り返し尋ねる。

「はい、とっても。このお花、どこに咲いているのかご存知ですか?」

 怪しい店主に注意を払うのも忘れ、少しでも父親に近付きたい一心でミルは前のめりになって質問をぶつけた。店主はフードの中から伸びる長い髪をいじりつつ「ぐっふっふ」と喉の痛そうな笑い声を漏らす。

「確かにこれは珍しい花だからな。魔界にしか咲いていない、アシフスレという花だ」

「……まかい?」

 呆けるミルにお構いなしに店主は続ける。

「なんでも、魔素とかいう魔界にしかない成分を栄養に育つんだそうだ。人間界ではまずお目にかかれない珍しい花だぞ? 少し高めだがね」

 魔界の存在はもちろん概念として知ってはいるが、イメージが湧かない上、信じられない。仮にその話が本当だったとして、その花を持っていたということは父親は魔界に行ったことがあることになる。人間が魔界に行くなんて前代未聞だ。

「あなたは魔界へ行く方法を知ってるんですか?」

「おっと、それは企業秘密だぜ、へっへっへ」

 店主はシワだらけの顔を歪ませ、シワだらけの舌を出して笑うだけで答える素ぶりはない。

「それより買うのか? 買わないのか? こっちは商売をしてるんだ。冷やかしなら帰んな」

 店主に判断を催促され、ミルは考え込んだ。いかにも怪しいが、今まで冒険をしながら探しに探しても見つからなかった花なのだ。喉から手が出るほどほしいに決まっている。

「……下さい」

「へっへ、まいど。本当はもっと高いんだがね、あんたは人が良さそうだし3エルカで譲ろう」

 3エルカと言えば決して安い金額ではないが、ミルはごねるでもなくポケットから三枚のエルカ金貨を出して机に並べて置いた。

「せっかく買ってくれたんだ、いいことを教えてやろう」

 鉢を持ってさっさとギルドへ戻ろうとしていたミルに店主が再度話しかけてきた。聞き流すのも人が悪いような気がして、ミルは立ち止まって振り返る。

「花にはそれぞれ意味があるって知ってるか?」

「意味……ですか?」

「そうだ。西の方の田舎の風習なんだがな、花に意味を付けて、その花を贈ると気持ちを伝えることができるんだそうだ」

「お花で気持ちを……なんだかロマンチックですね。それじゃあこのお花にも?」

「ああ、もちろんだ」

 ミルは花を眼前まで持ち上げて、どんな意味があるのかと考えを巡らせる。

「アシフスレの意味はな、『不変の愛』だ」

「不変の……」

 それを聞いてミルは肩を少しだけ震わせる。

「すまなかったな」

 店主は辛うじて漏れ出したような声を出す。その言葉は夜の生温かな風にかき消され、ミルの耳に届くことはなかった。

「誰か愛する人にでも渡すといいかもしれないな」

 店主は今度はミルに聞こえるようにそう言って枝分かれした長い髪を揺らす。どうやらそれが彼の最後の挨拶らしかった。

「……ありがとうございました」

 ミルはその鉢を胸元に寄せてぎゅっと抱きしめて、ギルドの入口へととぼとぼと向かった。

 不変の愛。それが父親の最後の気持ちだったのだ。今までは母親を悲しませたことへの怒りが先行していたが、父親自身も断腸の思いだったのかもしれない。もちろんそれですべてを許せるわけではないが、もし会えたならその時は最初にハグをしようと心に決めた。

「おかえり……ん? なんだそりゃ」

 ハリスがミルの胸元の鉢植えを見て片眉を上げる。

「そこの露店で……」

「なっ、お姉さま、まさか怪しい露店で変なものを買わされたんじゃ……! 気を付けてって言ったじゃない!」

 エリザベートが元々きついつり目をさらにつり上げてミルを睨む。本当のことなので、ミルは言い返せずにそっぽを向いて口笛を吹いた。

「まったく……こんな枯草買わされてどうするのよ」

「え? 枯草なんかじゃ……」

 エリザベートに否定しようとして鉢の中を覗き込むが、確かにそこに植わっている花は既に花弁が茶色くなって地面に横たわっていた。

「なんで……これはアシフスレっていう魔界のお花だって……」

「魔界の花なんて売ってるわけがないだろー。ぱちもんに決まってる」

 ミルは枯れた花を見て混乱し、酔っぱらったエスタにすら馬鹿にされる始末だ。しかし、その会話を聞いていた隣のテーブルの翁が興味を持ったようで、席を立ってのそりのそりとミルの下へと歩いてきた。

「どれ、見せてくだされ……」

 翁は枯れた花の花弁を持ち上げてしげしげと眺める。

「おお、これはまさしくアシフスレ……こんなもの、どこで手に入れましたのかな?」

 翁がそう言ってくれたものだから、偽物だと思って落ち込んでいたミルはまた顔を輝かせて翁にぐっと顔を近付けた。

「やっぱり本物なんですか? さっきまでお花が咲いてたのに、どうして突然枯れちゃったんですか?」

 翁は一歩下がって咳払いをすると、細い目で天井を見ながら花について語りだした。

「それはですな、あなたさんもさっき仰られたように、魔界の花ですから魔素というものがなければ花を咲かせていられないのです。魔物はみな魔素を持っていますが、恐らく人間界で綺麗に花を咲かせるとしたら、最上級くらいの魔物でないと……それでも咲くのはその魔物の半径二、三十ハイルンがせいぜいでしょう。それより、花が咲いてたって本当にあなたさんは一体これをどこで……」

 翁が言い終わるのを待たず、ミルはつんのめりながら駆け出した。倒れた椅子なんかを気にしている暇はなかった。

 ミルが外に出た時にはもう、露店は見る影もなくなっていた。その跡には暗い場所では黒く見える赤く長い髪の毛が一本、泥に塗れて落ちているのみであった。

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魔法の花と大精霊 前花しずく @shizuku_maehana

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