がんばれエノキン

白川津 中々

 南西小学校では週に一度クラス会が開かれる。

 議題は生徒たちが出席番号順に考えるものだから、時には世界平和の実現についてだとか、時には他クラスよりも早くグラウンドのスペースを確保するにはどうしたらよいのかとか幅が広いのだが、大抵はしょうもない盛り上がりを見せ、適当に終わるのであった。

 が、今回の6年4組のクラス会は一味違った。

 

「それでは、上村君はなぜ気持ち悪いかについて話し合いたいと思います」


 クラス委員長の登別がそう述べると早くも教室中にざわめきが生まれる。

 如何に学童といえどもストレートな表現に動揺を隠せない様子。実際上村には衛生観念といったものが皆無であり女子生徒から蛇蝎の如く嫌われていたが、クラス会で話し合いにまで発展してしまうともはやいじめの領域である。つまるところ、一線を超えてしまったのだ。


「まじかぁ……」


 担当教員の榎木金斗ことエノキンは焦っていた。物臭でどうでもいいと議題をろくすっぽ確認しなかった自分を悔いていたのだろうがそれも後の祭り。いつかこのような事態になると想定はしていたのだが、まさか今日とはといった面持ちである。


 しかし保険はかかっている。

 東西小学校週一クラス会の内容は秘匿が絶対。そのルールは何人たりとも犯せぬご法度。例え保護者であろうとも知る事は許されない。これは学校側が問題を握り潰す為に成立させた規律であり、もし破ったとあれば……




「おい。加納! お前なんだよこの議題!」


 男子のリーダー格である丸堂が議題を上げた加納に食って掛かる。さすが体育5。正義感が強い。


「だって、いっつも鼻水垂らしてるんだよ上村。気持ち悪いじゃん」


 対する加納は女子のボス的存在であるである。

 彼女はファッションセンスがよく、歯に衣着せぬ物言い(はっきりと述べれば容赦も恩情もない悪口)で何につけても攻撃的な女児であった。彼女が何故リーダーではなくボスなのかといえば、つまりはそういう性格だからである。


「ばっかお前! 確かに鼻水は垂れてるけど上村は初代バリヤードの鳴き声めっちゃ似てるんだぞ!」


 支離滅裂な援護を行うのはお調子者の鎌崎で、案の定成績はよくない。



「はぁ? なにそれ?」


「お前知らねーのかよ! おい上村! ちょっとバリヤードの鳴き真似やって驚かせてやれよ!」


「ブンボッパ」


「はは。似てる」


 つい口にしてしまったのはエノキンであった。彼は何を隠そう彼は38歳。ポケモンブーム真っただ中を駆け抜けた人間である。


「先生! ふざけないでください!」


「すまん」


 加納の講義に素直に謝るエノキンは童貞である故に女子にめっぽう弱い。


「だいたい鼻水くらいなんだよ! 女子なんか股から血出してんじゃねーか! この前の体育の時の相模みたいに!」


 そう口を滑らせたのは葛城である。彼は上村とは別の意味で女子から嫌われていたが、この発言で殺意まで持たれてしまう事だろう。御愁傷である。


「あ、お前それは……」


 狼狽し葛城を制しようとするエノキン。だが、時既に遅し。


「ちょっとお前ふざけんなよ」


「信じられないんだけど! 死ね!」


「最低! ゆみちゃん泣いちゃったじゃん!」


 響く女子の抗議の嵐。葛城の小学校生活。いや、中学までのハブはこの瞬間に確定した。



「その辺にしよう。収拾がつかん」


 暴動寸前まで発展した女子のシュプレヒコールにエノキンが介入。クラス会は原則生徒のみで進行されるのだが、埒ない場合は教師の政治的判断による解決が義務付けられていた。


「いいかお前ら。このように争いは何も産まない。だから、思っていても角の立つような事は言ってはいかんのだ、女子も男子も、余計な言葉は控えるように」


 一見まともそうな言葉だが、裏にある「面倒ごとを起こすな」という意思がありありと、明確に、まったく分かりやすく、如実に表れていた。エノキンはそういう男である。


「出た! 日和見主義!」


「ただの欺瞞じゃん!」


「そんな情けない事いってるからいつまで経っても彼女できないんだよ!」


「死ね! 童貞野郎!」


 それを見抜いた生徒たちから容赦ない罵倒を浴びせられるエノキン。哀れである。


「うるさい! いいから今日はこれでお終い! あと最後に童貞って言った奴! 二度とそんな言葉を吐くなよ!」


 エノキンは童貞を気にしていた。


「でも榎木先生。結局、上村の件どうするんですか? このままだと、上村ずっと女子にキモがられちゃいますよ」


 丸堂の正論。正義感の強さから、あえて解決しないというグレーな結論に納得がいかないのだ。将来苦労するタイプである。


「そんな事言ってもなぁ……」


 エノキンは面倒くさそうに上の空を見た。正直どうでもよかったのだろうが、生徒の言い分を無視すにはいかない。が。


「あ、先生。僕、気にしてないんで大丈夫です。あと、鼻水拭きます」


「あ、そう」


 クラス集会は当事者である上村の一言で解決した。

 同時に鳴るホームルーム終了のチャイムに生徒達は急いで帰宅の準備を始める。放課後は遊ぶ者や塾に行者と忙しい。いつまでもくだらないクラス集会にかまっていられるほど、子供は暇ではないのである。


「じゃ、先生さようなら」


「さようなら」


 最後に残った卍鏑を見送ったエノキン。教室には彼だけが残った。

 寂寞ばかりが支配する教室で彼は最後に一言呟き、事務作業をする為に職員室へと移動する


「童貞はないだろ……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

がんばれエノキン 白川津 中々 @taka1212384

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ