探偵事務所の朝

七日

第1話

AM 9:00


「こまさん!コーヒー淹れますよー。冷める前に起きてきてくださーい」


声をかけてからわずかばかり。寝室のドアが開き、ネクタイを首に引っ掛けた無精ひげの男がのっそりと出てきた。


「おはようございます」

「……」

「今日は園日スペシャルブレンドコーヒーNo.15です」

「……え、なんでいるの」

「なんでって、助手ですから」

「雇った覚えはねぇ」


ぶっきらぼうにそういうと、どっかりと応対用の事務所のソファに腰かけてずるずると横になる。


「こまさん、ほら、コーヒーですよ。目を覚ましてください」

「コーヒーはいいけどよぉ。お前なんでわざわざこんな朝早くに事務所来るわけ?その前になんでうちに入ってこれたわけ?カギは?」

「わたしが作らないとこまさん朝ごはん食べないじゃないですか。それにわたし、出かける前にはきちんと朝ごはん食べる主義なんです」

「いや朝ごはんはいいんだよこの際。カギは?ねえカギは?」

「今日のブレンドは自信あるんですよ~?」

「怖い怖い怖い。人の話聞いて?」


カギはこまさんがわたしを置いて現地調査に行ってしまったときに、さくっと作ってもらった。

自分でもこの一年、さすがに合鍵を勝手に作るのは……と思っていたが、風邪を引いて事務所のソファーでひっくり返っていたこまさんを発見してからはもう躊躇しなくなった。


「もういい加減さあ、通うのやめてくれよほんと頼むから」

「ええ。もう通いませんよ」


コーヒーを注ぎながらそういうと、こまさんの動きにわずかな間が開いた。


「……」

「こまさん、ほら、早く受け取ってください。コーヒー」

「ああ……」


何気なく新聞を片手で広げているが、目が文字を追っていないのがわかる。

こまさんの明らかな反応ににやにやと上がる口角を隠しながら、半熟に焼くつもりだった固めの目玉焼きを皿に移した。


「なんだ、その、どんな心境の変化だ?」

「え?」

「お前がどこにいこうと知ったこっちゃないが、付きまとわれてた身としては一年間の心労が急にポッと消えたようで、なんか、薄気味わりぃんだよ」

「それって……さみし」

「それは断じて無い」

「そんな言い方あんまりなんじゃないですか?……でもまあ、何かしらの違和感を持ってくれたってことですよね?嬉しいです!」

「お前の脳みそには自動ドーピング機能でもついてんのか?」


呆れながらコーヒーを啜るこまさんの目の前に、焼いたトーストと目玉焼きを並べて、ようやく自分も向かいのソファへ腰かける。


「……園日ブレンド、おいしいですか?」

「クソ不味い」

「えええ!結構いい線行ってると思ったのに!」

「あのなぁ。コーヒーってのは素人がお遊び感覚でブレンドしていいもんじゃねぇんだよ。混ぜないで素直に淹れりゃあいいの。豆がもったいねぇだろ」

「でもなんかいろいろ混ざってるほうがお得な感じしません?」

「まずその考え方がアウト。お前コーヒー淹れるの向いてねぇよ。……まあ、でもな……」

「うわっ、コーヒー不っ味!……え?なんですか?」


ゆったりとソファーに寄りかかり、あれだけ不味いと言っていたコーヒーをまたそっと一口飲んで、こまさんは言った。


「こんなクソ不味いコーヒーでも、飲めなくなると思うといささか……寂しく感じるな」


聞き間違いかと思った。


「聞き間違いかと思った」

「あ?あぁ……俺も一応人間だからな」

「わたしがいなくなったらめちゃくちゃ寂しいってことですね!!」

「おまえ“いささか”の意味知ってるか?」

「“ほんの少し・わずか”という意味ではありますが、現代では“かなり”という意味をさすことも多いです。逆説ですね」

「ちッ、文学娘が。あと、お前じゃなくてコーヒーの話だ」

「光栄にございます。……ふへへ」


口に含んだコーヒーは調和という言葉を愚弄するような味がしたが、それでもつい、笑みがこぼれた。


「じゃあ、こまさんが美味しいっていってくれる園日ブレンドをいつか完成させて見せますね。また明日から精進します!」

「いや来なくていいよほんと」

「いえ、どうせ朝御飯作るならコーヒーも淹れますし……あ、和食派でしたか?」

「また話噛み合ってねぇな。おまえ明日から来ないんだよな?」

「来ないというか、通いませんよ?住所ここに移しましたし」

「は?」


鳩に豆鉄砲。

コーヒーカップから立ち上る湯気が、口を半開きにしたこまさんの無精髭に当たって消えた。


「通うと電車賃もかかりますし、大学以外はほぼこの事務所にいますから。もういっそここを支点に行動した方が何かと都合がいいと思いまして」

「……おま………」

「ふつつかものですが、よろしくお願いします」

「よろしくねぇ!!なんだそりゃ!?」

「引っ越し業者の方が10時に来ますので、それまでにご飯食べちゃってくださいね」

「聞いてねえ!人んちだぞ!?わかってんのか!?」

「え?でも一部屋余ってますよね?」

「違う!その前!最も大きな問題があるだろ!?警察呼ぶぞ!?」

「じゃあこまさんも一緒に刑務所暮らしですね。なんなら逮捕される材料はこまさんの方が揃ってますし」

「テメッ!」


こうしてわたしは、まんまとおんぼろ探偵事務所へ転がり込んだのだった。

こまさんを絆す1年の下準備を経て。


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探偵事務所の朝 七日 @nanokakan

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