第二十八話 ごめんね

 ……どれくらいの時間がっただろうか。

 いつの間にか、母様を飲み込んだ影が消えていた。

 辺りは未だ炎に包まれているが、とても静かだ。

 まるで、嵐が静まった後の、穏やかな海のようだ。


 ……終わったのだろうか。

 ……わたしは、母様を鎮められたのだろうか。

 ふと疑問に思う。


 その瞬間、背筋が寒くなる。

 もしかして、母様は……。

 最悪の想像が浮かぶ。

 でも、今なら間に合うかもしれない。

 そう思うしかない。

 恐る恐る視線を母様がいた方に向けると。


「……っ」


 思わず、息をのむ。

 ……力なく、うつぶせになって倒れていた。


「母様!」


 気が付けば母様へ駆け寄っていた。

 そして、母様を抱きかかえる。


「母様、母様……」


 ゆすったり、声を掛けたりするが、目を覚まさない。

 ……当たり前、かもしれない。

 全身、傷だらけ。

 あちらこちらから、血を流していた。

 わたしの全力の「ナイトメア・ブレイカー」が直撃したのだから、なおさら……。


「リカバリー! ヒーリング!」


 黄魔法を二つ使って治療する。


 お願い。

 死なないで……。

 死なないで!


「……うっ」


 その時。

 かすかに、聞こえた。

 母様の声が。


「母様!?」


 必死に呼びかける。


「母様! わたし! 桜月! お願い! 目を……、目を覚まして!」


 ……。


「お願い……、だからぁ……」


 いつの間にか、涙があふれてくる。

 こらえきれず、嗚咽を漏らす。

 その涙の雫が、あっという間にたくさんこぼれ。

 わたしの顔を。

 母様の顔を、濡らしていく。

 ……。



 ※



 ……なんだろう。

 静かにまどろんでいたのに、誰かに呼ばれている気がする。

 でも、体が重い。

 眠い。

 疲れた。

 もう、休ませてほしい。

 このまま、意識を手放したい。

 そうすれば、温かな眠りにつけそうだから。


 ……あれ?

 そういえば、こんなことが、前にもあった気がする。

 いつだっけ?

 でも、すごく懐かしい気がする。

 もう、遠い過去に埋もれてしまった、大切な記憶だと思う。


 ……でも、思い出せない。

 ……その声しか。


 すごく、あたたかい。

 すごく、やさしい。

 すごく、心地いい。

 なんだか、心安らぐ。

 そんな声音。

 その人に、そっくりだ。


 ……自然と、涙が出てくる。

 なんでだろう?

 わからない。


 でも。

 このまま、別れたくない。


 もし、眠っちゃったら。

 この人に、会えなくなるかもしれないから。

 私の、大切な人のように。

 もう、そんなの、嫌。


 だから、せめて。

 私にその顔を見せて。

 そして。

 そのまま、静かに、逝かせて……。

 その安らぎに包まれたまま。


 ……うん。

 こんなに、必死に呼ばれてるんだから。

 最期の挨拶をしなきゃね。

 ……。



 ※



「母様……」


 悲痛な声が響く。

 何度も。

 わたしは、強く願った。

 母様が、助かることを。

 もう一度、幸せになることを。

 諦めたくない。

 でも、なかなか届かなくて。

 絶望に、負けそうな時だった。


「……桜月?」


 か細い声。

 それを聞いた途端、わたしは耳を疑った。


「母様!?」


 わたしは再び強く呼びかける。

 すると。


「……ああ、やっぱり桜月だ……。あはは……」


 母様は、弱々しいけど、確かに笑った。

 先ほどまでの、狂気に満ちた母様じゃない。

 いつもの、母様に戻ってくれていた。


「よかった……。ほんとうに、よかった……」


 涙が止まらない。

 そのまま、母様を抱きしめる。


「あはは……、桜月、こんなに大きくなったのに、甘えん坊ですね」


 笑みを浮かべながら、母様も抱きしめてくれる。

 あたたかい。

 生きててくれた。

 全部、失わなかった。

 それだけで、十分だった。

 ……それなのに。


「……桜月」


 母様に振り返ると。


「私を、殺してください」



 ※



 とても、ひどいことだと思った。

 桜月は、村が壊滅して。

 朝日が、死んでしまったのに。

 私を殺せと、頼むなんて。

 桜月にとって、生き残った私と幸せに暮らしたかったに違いない。

 桜月の顔を見ると、絶望に打ちひしがれたかのように、悲痛な面持ちだった。


「そんな……、そんなこと言わないでください!」


 当然のように、反対する。


「確かに今回のことは母様が引き起こした事件です。ですが……! だからといって、死ぬ必要なんて、ないはずです! もとは、村人たちの暴走じゃないですか!? それで、父様が……」


 桜月の顔が涙で歪む。


「……そうですね」


 頬を何かが伝う感触。

 私も、気が付けば涙を流していた。

 また、大切な人を失ったのだ。

 この地に来た時の絶望がよみがえったかのよう。


 それでも。

 桜月は、無事だったのだ。

 それだけでも、ありがたい。


 でも、もう……。


「だけれども、もう、ここでは暮らせません。みんな、殺してしまいましたから。もはや、私は、魔法は、この地の人間にとって、災厄そのもの。そんなのは恐れを抱かせるだけです。

 私が生きていては、その先に幸せはありません」


 そもそも、魔法さえなければ。

 そんな風に思う。

 こんな災厄など起こりえなかった。

 領主に疑われることもなかった。

 ……私が、いなかった。


 始まりは、リベカの結婚だったのかもしれない。

 それが、いくつもの複雑な糸と絡みついて。

 こんなことになってしまった。


 ……だから、こうも思うのだ。

 私が、この地に来たこと自体、間違いなのではないだろうか。


 そんなことはないと思う。

 朝日と出逢ってからの日々は、とてもかけがえのないもので、幸せそのもの。


 だけれども。

 魔法がその暮らしのきっかけであり、破滅への第一歩だった。


 ……魔法なんかなくて、普通の女として、朝日と出逢えてたらな。


「だから、魔法を滅ぼして。

 あなたの魔法は、酒で、抑え、られる、はず……」


 話している間にも、胸の奥からちりちりとうごめくものを感じる。


 ……まずい。

 早く、終わらせないと……。

 また……。


 とっさに胸を押さえてうずくまる。

 こうでもしないと、意識を保っていられなさそうだった。


「母様!」


 桜月は涙顔で私を呼び掛ける。


「……ごめんね」


 私は重い右手を桜月の顔に当て、涙をぬぐった。


「もう、持たないの。このままだと、また、暴走しちゃう。

 ……あなたを、みんなを殺しちゃう。

 だから、お願い……。私を、殺して……」


 その時、胸が締め付けられるような痛みに襲われる。


「ぐぁ……」


 まるで、胸の中から化け物が飛び出してきそうな痛み。

 ……もう、限界だ。


「母様!」


 悲痛な叫び。


「……お願い、桜月……」


 しかし、桜月は首を振る。


「……それでも、わたしは、あなたに生きていてほしい。

 罪を、償ってほしい。

 そして、また幸せになってほしい……。

 それだけ……。

 それだけ、なのに……」


 そして、桜月はハッとしたように目を見開いて、意を決したように言った。


「……あなたを、わたしたちを呪います。

 もう一度、あなたと幸せになりたいですから。

 これで、罪を償ってください」


 ……。

 呪う?


「ど、どういうこと……?」


 もう、声を出すのがやっとだ。


「約束してください。

 『罪を認め、反省すること』、『その後、満月の時に生まれるわたしの子孫の女の子――運命の子を、導くこと』、『幸せになること』。

 最初の二つを満たすまで、あなたとわたしたちの家の間に、永遠の呪いをかけます。

 その間、母様は永遠に死ぬことができず、魔法を使えず、運命の子以外と見聞きできず、何もできないようにさせます。

 ……母様が作った魔法、『エターナル・カーズ』で」


 黒魔法「エターナル・カーズ」。

 私がかつて、バノルスで作り出した魔法。

 指定した条件を満たすまで、永遠に、これまた術者が決めた制限を受ける、呪いの魔法。

 私が書いた本で桜月に魔法を教えていた時に、本を読んで知ったのだろう。


「これで、母様は苦しみ続け、贖罪しょくざいを果たす。

 死ぬことは決してできず、この運命からは逃れられない。

 でも、最後には、また、わたしたちと幸せになる。

 全てを終わらせた、魔法を使わずに。

 わたしが、魔法が滅びるよう、手を尽くしますから」


 死ぬことは叶わない。

 その代わり、罪を認めて反省し、運命の子を幸せにする。

 それが、私の償い。

 それが、永遠の呪い。

 でも、もう一度、幸せになれるかもしれない、唯一の希望の欠片。


「しかし、それでは……」

「……わかってます。母様」


 これでは、桜月は母である私と二度と会えないことになってしまいかねない。

 それを、承知の上で……。

 桜月はこらえきれず、涙を流していた。

 私も、自然と涙が頬を伝う。


 ……桜月は。

 どっちにしろ破滅しかない私に、たとえ砂粒ほどのわずかな可能性だとしても、生きていて欲しかったのだろう。

 私だって。

 もっと、みんなと同じ時を過ごしたかった。

 最期まで、一緒に……。


 そうしている間にも、意識が遠くなる。

 私の中の黒い力が、外に出たがっている。

 それを抑えるのに精いっぱいで。

 もう、桜月の顔を見上げるしかできない。


 そのことが、桜月もわかっているのだろう。

 黒い魔力を集めて、私たちを包み込む。

 そして。


「……ごめんね、母様」


 涙を流している愛しい人の声が、聞こえた気がした。


「エターナル・カーズ」

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