第二十二話 儚い願い事
「ファイア!」
桃色の着物を着た娘の言葉を合図に、彼女の手元から炎が噴き出す。そのまま風を切って地面に着弾し、大きな轟音をとどろかせる。離れているはずなのに炎の熱も感じるので、直撃したらひとたまりもないだろう。
「では、次!」
その威力を確かめてから私は次の魔法を使うように指示する。
今は、毎日のように行っている、魔法の練習の最中だ。
イオツミスマルの中で、桜月に桜襲を着せて、魔力放出をする。並行して、桜月はすべての属性の魔法に適性があったので、各属性の基本的な魔法をひたすら反復する。たまに私と模擬戦をしたり、呪文を使わない実践的なものであったり、応用的であったりする魔法を練習したりする。
ただ、魔力消費性疲労症や、魔力暴走症の予防のために、一週間に二回休む。
家の仕事もあるので、昼間は家のこと、夜には魔法の練習をする。
そんな毎日を過ごして早三年。
桜月は十五歳となり、私の故郷のバノルスでは成人となる年頃だった。それを物語るように、私や母上と同じように胸が膨らみ、月の物も迎えるようになった。
一般的に、体の成長につれて魔力も強くなるが、桜月は想像のはるか上をいくような成長をした。時々行う私との模擬戦で、桜襲で魔力を抑えているのにもかかわらず、私を苦戦させるほどにまでなっていた。
もしかしたら、桜襲による魔力の抑制がなければ、今の段階で私と互角に渡り合うかもしれないほどだった。
ただ、そのように成長できたのは、桜月が努力し続けてきたからこそだ。何度もくじけそうになっていたが、そのたびに自らの危険性や可能性を頭に浮かべて、食らいついていた。研究に打ち込んできた私とは違って、常に己の実力を高める努力をし続けてきたのだから、私が追い抜かれそうなのも、当然かもしれない。
「ウォーター!」
青魔法の基本の魔法を桜月が放つ。普通の人ならばただ水が出る程度だが、桜月の場合、水の塊を弾丸のように放ったり、水鉄砲のように放ったりと、色々と応用がきいて、なおかつ威力が凄まじいという、簡単な魔法なのにそれだけで何でもできるような実力になってしまっている。
それが、青、赤、緑魔法だけでなく、最も苦手としている黄魔法や白魔法ですら自由自在に操っているのだ。
もうこれだけで寒気がするが、桜月が最も得意とするのは、そのいずれでもない。
一つの属性に括られながら、複合魔法であるために扱いが難しいはずの、黒魔法だ。
「シャドー!」
そう唱えるや否や、次々に影が生まれる。
ただ、その挙動が一つ一つ違うのだ。
あるものは先ほどの「ウォーター」と同じ弾丸や水鉄砲のように。
あるものは桜月を包み込んで守るように。
あるものは人型になって、人形のように動いたり。
もはや、魔力が織りなす、影による大サーカスのようだ。
本当に同じ一つの魔法なのか、それも基本の魔法なのか疑わしいくらいだ。
仕舞いには。
「じゃーん! 母様、どうでした?」
自分自身が影に隠れて、気づかぬうちに私の隣に立っているという、奇襲に持って来いの腕前まで披露されてしまう。
……。
ちょっと、本気で育てすぎたかもしれない。
娘の将来のことを想像しようとするが……。
妙にいたずらっぽいところがあり、まだ子供っぽくて、旦那や子供たちがからかわれるような未来しか思い浮かばない。
もちろん魔法はよほどのことがない限り使わないだろう。それはこの三年間、イオツミスマル以外の場所で魔法を使っていないことから信用できると思う。
ただ、それでも……。
「……桜月。いくら魔法の腕に自信があるからと言って、その師匠に、それも母親の私に、からかうようなことはやめてくれませんか……? それに、『じゃーん!』って……。いつまで子供っぽいことをするんですか……? あなた、もう十五ですよね……」
思わずため息をつく。
楽しそうなのは何よりだが、一応この地でも大人とみられてもいいような年齢なのだから、せめて大人っぽくしてほしい。
「はい、わかりました。母様」
クスクス笑みを浮かべながら桜月が応える。
……心配だ。
ただ、今日は一度確かめたいことがあったので、一度咳払いをして、弛緩した空気を戻す。
「では、桜月。あなたの実力を今日は改めて確認しましたが、十分……、いや、想像以上なので、朝に話した通り、一回桜襲を脱いで黒魔法を見せてください」
「黒魔法だけでいいのですか?」
「はい」
常日頃、疑問に思っていた。――桜月の本来の魔力で、どのくらいの腕前になっているのだろうか、と。
正直想像したくないほどだったが、黒魔法の力があまりにも強いので、それだけでも今一度確認するべきだと思った。
桜月は上着のように来ている桜襲を脱ぐ。
「確認しますけど、体調は大丈夫ですか? 悪い様なら止めますので」
「大丈夫ですよ」
「わかりました。では、今回は制御しやすいように、杖を使ってください」
いつもは杖を使わないが、制限を外すようなものなので、コントロールに苦労する可能性がある。そのための保険だ。
桜月は懐から杖を取り出す。
「では、先ほどと同じような要領で、お願いします」
桜月は杖に魔力を集中させ、言った。
「シャドー!」
その瞬間、空気がひび割れたかと思った。
轟音とともに、次々と影が生まれ、辺りを飲み込んでいく。風圧もすごくて、先ほどとは比べ物にならないほどの威力だった。
もしかしたら、村を一瞬で更地にするかもしれないほどで、寒気立つ。
ただ、それだけでない。
先ほども現れた人型が、大量に現れる。
「……母様、この人形たち、もしかしたら魔法を使わせられるかもしれないのだけど、使ってもいいですか?」
「……はい?」
聞いたことがない魔法だ。
そもそも、影を作って操ること自体、あまり聞いたことがないので、想像できない。
「ま、まあ、やれるならやってみてください」
戸惑いながら許可する。
「では、行きます。ファイア!」
次の瞬間。
人形たちが、一斉に炎を放つ。
それが地面に着弾した瞬間、爆発したかのような衝撃、熱、轟きが辺りを駆け巡る。
「……っ」
その風圧がすごくて、吹き飛ばされそうだ。
そして、それは私の心を打ち砕く。
……太刀打ちできない。
直感でそう思った。
この威力の魔法を操られると、もし桜月が暴走したら、私では止められない。
それこそ、イオツミスマルを使わないと、無理だろう。
それに、魔力の扱いがうますぎるのだ。
普通は他の魔法を使うことで魔法の形が変わるが、桜月はたった一つの基本魔法だけで様々な形を成して、何をしてくるのか予測できない。それで先ほどの強さを誇るので、間違いなく相手にしたら苦戦するだろう。
ただ、これまでに桜月が暴走したり、敵になろうとしたりしていないのだけは救いか。
私が止める状況に至ることが考えづらいのが幸いだった。
「桜月、もういいです」
とりあえず、今の状況がわかったので、止めさせる。
「は、はい……」
魔法が収まる。
ただ、桜月は、肩で息をしていて、その場にうずくまってしまう。
「桜月!」
急いで駆け寄る。
桜月を抱きかかえると、桜月は苦笑いを浮かべる。
「あはは……、けっこう、疲れました……」
とりあえず、大丈夫そうだ。
おそらく、魔力消費性疲労症だが、二日ほど休めば体調は良くなるだろう。
無理をさせないためにも、一週間ほどは魔法を使わせないほうがいいだろうが。
「すいません、無理させてしまって。私が家まで運ぶので、休んでくださいね」
「うん、ありがとう、母様……」
桜月は目を閉じると、そのまま寝息を立て始めた。
やはり、相当疲れてしまったのだろう。
……。
今日は試験のために、桜襲を脱がせて魔法を使ってもらったが、この疲れようは、おそらく全力でやったのだろう。
あの凄まじい魔法は、いくら基本の魔法とはいえ、消費する魔力は最上級魔法級、いや、それ以上だ。
あっという間に疲弊してしまうだろう。
しかし、まだまだ桜月は発展途上だ。魔力もこれからもっと伸びる。
それにイオツミスマルも組み合わせたら、先ほどの魔法を何回か使えるだろう。
ちゃんと、力はつけてくれていることが確認できた。
それでも、もしもの時を考えると、恐ろしさの方が上回っていて、そのもしもが起こらないことを願わずにはいられなかった。
※
それから桜月は高熱を出して寝込んだ。
顔色は悪く、かなりだるいということなので、魔力消費性疲労症をおこしてしまったのだろう。
今まで無理させていなかったためか、桜月にとって初めての発症だったので、かなり辛そうで、申し訳なかった。
そのように言うと、桜月は弱々しい笑みを浮かべながら首を振る。
「……大丈夫、母様。何も起こっていない今経験した方が、まだましだし、後々戸惑わなくて済むもの。それに、今の自分の実力もわかったし、母様にはいつも教わっているのだから、感謝しているんだよ……」
そういうや否や、布団の中に顔を埋めてしまった。
普段は言わないことを言ったことで、少し恥ずかしかったのかもしれない。
「……ちょっと、疲れたから、もう、寝るね……」
「……はい。お休み、桜月」
「うん……」
そのまま、すやすやと寝息が聞こえてきた。
……。
私は、魔法を教えることに、やはり後ろめたいと思っているのかもしれない。
それでも、桜月は私のやっていることに感謝してくれた。
その一言で、救われた気がする。
「……ありがとね、桜月」
私は、桜月の額に乗せたおしぼりをとって、近くに置いていた桶の中の水に浸し、再び冷やす。
それを絞って桜月の額に乗せると、気持ちいいのか、苦しそうな面持ちがいくらか柔らかくなる。
こうしていると、幼いころの桜月を思い出すようで、どこか懐かしさを感じる。
思えば、あの頃は幸せで満ちていた。
そんな日々は、風のように過ぎて行って……。
いつの間にか、時が過ぎて、桜月は大人になってしまった。
もうすぐ、桜月は最愛の人を見つけて、誰かと結ばれるだろう。
子供もできるだろう。
孫の顔を見せてくれる桜月は、私たちは、きっと幸せで。
穏やかな日々を、謳歌していく。
そうなることを、切に願う。
……母上も、こんな気持ちだったのだろうか。
それはわからない。
残された時間があとわずかだと分かっていたのだから、なおのことそうだったのかもしれないし、私たちを置いていくことに寂しさも感じていたのかもしれない。
そして、それは私にも現実的な問題としてのしかかってくるかもしれない。
リベカ様の血を引くバノルス王家の享年は、多くが三十路前。
私は今、三十一。
……もう、寿命ともいえた。
今はまだ何ともないが、長くないかもしれない。
「……っ」
そう思うと、俄かに肌寒い風が突き刺してくるような痛みを感じた。
……怖い。
思わず顔を覆ってしまう。
みんな、幸せなのに……。
もうすぐ、旅立つかもしれない。
みんなを残して。
それは、幸せの終焉。
悲しみの到来だ。
いつかはそうなる。でも、いくら何でも、早すぎる。
せめて、桜月が誰かと結ばれるまでは……。
絶対に、母上のような目には遭いたくなかったし、桜月にも私のような思いをしてほしくはない。
だから……。
お願い。
どうか、私たちに、少しでもこの儚い時間を……。
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