第二十三話 噂
「大丈夫、桜月?」
翌日、お見舞いに訪れた蘭がおしぼりを絞りながら声をかける。
桜月は、布団にこもりながら力なく苦笑いをした。
「うーん……、あまり……。まだ結構だるいし、かなり悪寒がするし。風邪ひいたような感じ」
それを聞いて、蘭の顔が曇る。
「本当に風邪なんじゃないの? 最近寒いし、先月お米を収穫したばかりなのに雪もちらついているし……。ただでさえ冷夏で不作だったんだから、体調にはしっかり気をつけないとだめよ。
村人の間にも、桜月と同じように体調を崩している人もいるんだから。でも、みんな咳はしてないらしいのよね。不思議よね」
みんな、咳をしていない……。
なぜだろう。
何気ない一言のはずなのに、胸の中にひんやりとしたものが広がる。
何かが影で糸を引いているような、不穏なものを感じた。
「……蘭、みんな咳をせずに、だるくて悪寒がする感じなの?」
桜月の食事を運びながら尋ねる。
「そうですよ、伯母様。最近はやっているみたいで」
「鼻水とかは?」
「鼻水? さあ? そこまではわからないです」
きょとんとしながら蘭は言うが、私は一つの可能性が頭に浮かぶ。
……魔力消費性疲労症。
一瞬、背筋が寒くなるが、すぐに私はあり得ないと思い直す。
なぜならば、魔法が存在しない、使えないこの地の者で、発症するはずのないものだからだ。
万が一使えた者がいたとしても、はやるほどの人数は起こりえない。
そのため、ただの風邪だと考えた。
「どうかしました?」
「いえ、気のせいです。それよりも、蘭、ちょっといいですか?」
「ああ、例の件ですね」
それを聞いて桜月は布団を抜け出そうとするが、それを止める。
「桜月は休んでいてください。今は休んで、体調を整えるのが仕事ですよ」
「……うん。わかった。あとで内容を教えてね」
「はい」
とにかく休む。それが魔力消費性疲労症の最善の治療なので、寝てもらうしかない。もしその状態で魔法を使うと、桜月の魔力量だと危険な状態になりかねないのだから、今の桜月には無理させるわけにはいかない。例え話を聞くだけでも、体調が悪くて頭に入らないし、疲れがたまる一方だろう。
私と蘭は桜月を残して別の部屋に行くと、見知った顔が待っていた。
「すみません、
蘭がその娘に頭を下げる。
「気にしないで。いくら私たちが仲いいからって桜月の家で顔を合わせたら、何かあったんじゃないかって不安がられるでしょ? そしたら桜月の体に障るかもしれないし」
彼女は領主の娘で、名を「橘成美」といった。税を納めるときに経験を積ませるため桜月と蘭を連れて行った時があったのだが、その時に三人は会った。年が近いということもあり、あっという間に打ち解け、時々会っては情報交換をするという中になっていた。
ただ、領主の家ということもあり、家に訪れることはまれで、多くは税を納める時期の調整であったり、何か問題が起こったりした場合だった。
そのことから、もう税を納め終わっていたので、何か問題が起こっているということだった。
「……それで、何かありましたか、成美?」
私が問うと、成美の顔が曇る。
「今年、不作ではなかったですか? それで、今もこの寒さで、税を取り立てている。そして、桜月と同じように体調を崩す村人まで出ている――。そのために、私たちにかなりの不満が出ているようなのです」
思わずため息が出る。
「まあ、しょうがないですよね。私たちは税を集める立場ですし」
私たちは名主のために、土地や農民を管理していて、収穫の一部を取り立てて、さらにその一部を領主の橘家に納めている。「一部」とはいうものの、それは決して軽いものではないため、不満に思うのは当然だ。
それに、私たちは神社の家なので、「神への感謝」として、さらに作物を徴収していたので、なおさら批判が集まりやすいのだ。
しかし、成美は首を横に振る。
「そうではないのです。問題は、ある噂が流れていることなのです」
「噂?」
私は首をひねる。最近は家や神社、桜月の魔法のことに付きっきりだったので、あまり村人とは話していなかった。
しかし、蘭はどこか納得したようだった。
「ひょっとして、病気を広めたのは私たちだっていうものですか?」
成美は頷く。
私は困惑することしかできない。
「なんでそんな話になっているのですか? そんなのできるはずないではないですか」
「桜空さん、それは、桜空さんたちが取り立てている税は、一応名主という名目ですが、それに加えて、村人には、日ごろの神への感謝という意味合いで作物を徴収しているじゃないですか。そして、この神社が祀っている神様のサクラは、十数年前、一瞬にして山を元通りにしたという奇跡を起こしました」
以前私が魔法で見せた奇跡と呼ばれている出来事。
村人の不安を取り除くためだったが、無事成功し、それ以降は普通の暮らしをしていた。
私も穏やかな生活を送れたのは、もちろん朝日たちのおかげだが、村人が心穏やかになってくれたからだとも思う。
「それもあって村人は桜空さんたち一家という名主に税を取られる上に、神社としてさらに取られることに納得していたんです。
ですが、それから時が経ち、凶作だったこと、病気が広がっていることもあり、『神に何かを図って、自分たちだけ生き残ろうとしている』という思い込みが出てきたんです」
そして、一拍おいて成美は言った。
「そのために、その噂が立ったのです――『神主一家は、年貢欲しさに神を利用している。事態を長期化させて、自分たちだけ生き残ろうとしている』と」
……。
「はい? なんですか、それは? そんな戯言……」
「伯母様、それが、本当なんです……」
うつむいたまま蘭が言う。
「この頃、成美が言ったくらいまで詳しくないですけど、村人に会うたびにそんな風に言われて難癖をつけられて……。母上や、おじいさま、おばあさまも同じ感じで……」
「……そうですか」
大きなため息。
憤りしかない。
何を根拠にそんなことをのたまっているのだろうか?
今まで私たちはそんなそぶりを見せただろうか?
不満があるだけで貶めようとする愚かさに、腹立たしさを感じる。
成美もため息をついてから口を開いた。
「それで、ある村人が処罰するように橘家に頼み込んできたんです。もちろん私の家も、菊さんも、朝日さんもそんなことはあり得ないとは言っているのですけど、噂が収まる気配がないどころか、批判が強まるばかりで……。
だから、気を付けてくださいよ? 考えたくないですけど、……闇討ち、なんてことになりかねないですし……」
話していて、どんどん気が滅入ってしまったのだろう。声の調子が、どんどん暗くなっていった。
ではどうすればいいのだろうか。
名主、神社、双方の立場での取り立てを少なくして、村人に施せばいいのだろうか。
おそらく、何の解決にもならない。
そもそも、神社としての取り立て分は祭事や日ごろのお供え物のためのもので、実はあまり多くない。むしろ、必要最小限だ。
名主の分は、私たちの仕事でもあるので、絶対に無くすわけにはいかない。領主に納める分もあるので、領主と相談しながらでないと、村人の負担を軽くできないだろう。それに、今年の分はもう納めてしまっているので、後の祭りでしかない。
……もし、それでも無理やり取り返すのだとしたら。
成美の言うとおり、襲撃して奪うことだろう。
最悪の想像しかできなかった。
……。
沈黙が流れる。
「……わかりました。注意します。成美も領主の家なのですから、気を付けてくださいね」
重苦しい空気が流れていて、そう返すのが精いっぱいだった。
※
その後、成美は護衛とともに帰宅した。
蘭は朝日が帰宅した後、私が送った。その時には日が暮れていて、朝日はいくら男とはいえ、処罰を求める声が上がっている時に、夜に一人で出歩くのは危険だったので、魔法で身を守ることができる私が送る必要があったのだ。
今まで幸せを謳歌していたのに、急に不幸の谷底へと落ちかけている気がして、陰鬱だ。
蘭と二人で歩いている間も、我が家へと帰宅する間も、足が重く感じて、長い時間さまよい続けているような気分だった。
それに、ずっと見張られているような視線を感じていたので、常に気を張る必要があり、我が家へと帰って朝日の声を聞いた時、心底ほっとした。
しかし、その間もこれからどうするかを考えていて、一つの結論に達した。
それは、桜月に、最後の手段である、神器の切り札、そして、禁忌である、白魔法「ライジング」を教えるということ。
正直、一度使うだけでも体への影響は甚大なので、使ってほしくはない。私だってヤサコミラ・ガリルトを使って身を滅ぼしかけたのだから、なおさら大切な娘に同じ目に遭ってほしくない。
それでも、私と同じく、使わなければならない時が来るかもしれない。
その時に後悔してほしくなかった。
……それに、歴代の王家では代々継承してきたことだ。
桜月だって、……敢えて言うなら、「サツキ・トゥルキア・バノルス」だって、知らなくてはならないものでは今はなくなったが、もしもの時には選択肢の一つにできるのだから、知っておくべきだと思った。
そのため、数日後に体調がよくなった桜月に、宝物殿にしまうことにしていたイオツミスマルに向かいながらその旨を説明した。
「……うん、わかった。母様が私のことを思ってくれているんだから、頑張る」
笑顔で答えてくれた桜月を見ていると、身が引き裂かれるような痛みが走った気がした。
※
……母様の気持ちに、応えたかった。
この時のわたしは、そう思っていたのだろう。
だから、禁忌ともされる魔法にまで手を出せるようになった。
それが、白魔法、「ライジング」。
身体能力を向上させたり、魔力を増強したりする、いわば火事場の馬鹿力のような魔法。
マジカラーゼ活性、脳の活動を大幅に亢進させることで発現する、禁忌とされた魔法。
禁忌とされるのは、使用者の体に、取り返しのつかない影響を及ぼすためだった。
わたしの場合、二回使っただけだが、一回目には一か月ほど寝たきりになり、二回目は、それが半年以上も続いた。
「シャドー」を手足のように使うことはできただろうが、おそらく、サクラ――桜襲の力を借りないと、体がもたなかっただろう。
母様がヤサコミラ・ガリルトの切り札を使った時には数日寝込んで、目を覚ました翌日には追っ手を討ったというのだから、神器の切り札以上の負担なのだろう。
神器なしに神の力を宿せる魔法ということだ。
そんな魔法だからこそ、運命の子――五月に魔法を使うことができた。
わたしは、オラクルなのだから。
だからこそ、わたしは、源家の、バノルス、ガリルトの呪いを解く道標になる。
その時こそ、魔法の終焉。
……ケセフ・ヘレヴの終焉だ。
……その分、代償は大きいが、やるしかない。
これでようやく、母様も肩の荷が下りるだろう。
……あなたは、このことを預言したのですよね?
リベカ・エリー・ガリルト。
わたしは、わたしたちは、終わらせますよ。
たとえ、わたしの命が尽きようとも。
……母様と、五月だけは、無事にしなければならない。
彼女たちを巻き込んだのは、わたしの責でもあるのだから。
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