番外編 マナブレット

「うん、これで良し」


 形が整ったことを確認し、ほっと一息。

 私は、マナブレットという、小麦粉、塩、水を混ぜたものをこねて焼く、バノルスで主食として広まっている食べ物を作っていた。

 今は、ちょうどこね終わったところで、あとは魔法道具の窯を使って、焼くだけとなっていた。


 王女が料理などをするのは珍しいが、週に一度は魔法の実験を休み、体の回復を図ることになっていたので、普通の女の子としての日常に憧れがある私は、料理や掃除といった、時間をとるものはこの休日にしていた。予定が合った場合は、リベルと過ごすことにしていた。

 今日は、一言で言えばデートの日。私は休日で、リベルはお昼前までに軍事訓練が終わるので、お昼を一緒にとろうという話になり、いつもの宮殿の裏庭で一緒に過ごす約束をしていた。そのためのご飯を作っていたのだ。


 大好きだけれど、なかなか一緒に穏やかに過ごせないので、手作りのお弁当を一緒に食べたり、一緒にいられたりと、大好きな人と今から会えるのが楽しみで、心が弾む。いつもは寝る前に魔法道具を使った文通しかしないのだから、なおさらだ。彼の字を見るだけでも心が落ち着くが、彼自身となると、何もかもが包まれて、心安らぐ。私は鼻歌を口ずさみながら、マナブレットを窯へと入れ、魔力を流して起動させた。


 窯に熱がこもり始めたのを確認してから、他の料理に取り掛かる。空間魔法でしまっていた、野菜などの材料を取り出して、再び料理を始めた。

 バノルスは砂漠に囲まれているために、食料不足の印象を与えることがある。しかし、砂漠だけではなく、肥沃な土壌がガリルトとの境界付近から、バノルスの北部にまで広がっているため、実際には食料が豊かな国だ。今日は料理していないが、湖や川、海もあるので、魚介類にも困らない。


 その豊かな土地柄で、オアシスのような場所のためでもあるのだろう。バノルスは、たびたびマスグレイヴから襲撃を受けてきた。

 その最たるものが、「ゴルゴタの戦い」で有名な、リベカ様の一戦。元オラクルのリベカ様が、イサク様と結婚されたために、バノルス、ガリルト双方が混乱の渦中、マスグレイヴが侵攻してきたのを、リベカ様が、神器――ケセフ・ヘレヴを用いて、退けたというものだ。


 それ以来、オラクルが滅びたとされるが、それに便乗して、マスグレイヴの侵攻も盛んになり、リベカ様の娘のフローラ様以降の歴代の王は、それぞれ対抗してきた。特に、母上――ステラ・トゥルキア・バノルスが退けた時は、国の英雄のようにも扱われ、一時は国内の融和が図られたかのように思えたが、母上の魔力消費性疲労症の発症により、再びノア派の攻勢が強くなってしまった。


 そのため、バノルスはまたしても不安定になり、追い打ちをかけるように、二年前、私が十三の時、マスグレイヴの大侵攻があった。マスグレイヴの大規模な奇襲に始めはなすすべなく、バノルスは敗走に次ぐ敗走、このままでは首都、カファルナウムの陥落も時間の問題というところまで追い詰められた。


 その時、私に白羽の矢が立った。


「サラファン、神器を使い、マスグレイヴの侵攻を食い止めなさい」


 母上の勅命。

 それまで、私は国民の先行きへの不安、戦死した兵の亡骸、特に、指などの体の一部だけ帰ってきたような遺体を見た家族の悲痛な声を嫌というほど味わった。


「このままではバノルス、ガリルトは終わりだ」

「あなた……、あなたーっ! ああああああああ!」


 これ以上、悲劇を繰り返したくない。

 苦しむ姿を見たくない。

 国を、ガリルトを滅ぼされるわけにはいかない。

 そのために殺すのは、仕方ないことなのだから。


「……承りました」


 だからこそ、私が初めての戦闘で、最前線に出るのは当然だった。



 ※



 すぐさま私は前線へ向かったとき、辺りは火や黒煙が広がり、地獄のようだった。

 そこで見たのは、わが軍の明らかな劣勢。

 長い筒のようなものを取り付けた機械から、空気を震わせる音が響くと同時に、筒から煙が上がり、その先端が光る。それを見てわが軍は魔法を放って応戦するが、次の瞬間、わが軍の前衛から爆音が轟き、その場にいた兵士たちが巻き込まれ、火に包まれた。


「……っ」


 思わず息をのんだ。

 周りには人肉が転がっていた。

 それはわが軍の犠牲者だった。

 遅かったかもしれない。

 それでも、私はもうこれ以上、民が傷つくのを見たくなかった。


(……甘えるな)


 自分に言い聞かせた。

 もう、殺すしかなかった。


「……コネクト・トゥ・ヤサコニ・イオツミスマル。

 コネクト・トゥ・ヤサコミラ・ガリルト」


 神器とのつながりを作り、全力で敵を討つための態勢を整えた。


「アシスト」


 ヤサコミラ・ガリルトの補助を受けながら、大量の魔力を練り上げ、その呪文を唱える。


「プロテクト」


 イオツミスマルの空間を作り出す作用を使って、わが軍の前に、衝撃を防ぐ強力な結界を築く。それは、数百メートル以上に広がったわが軍を、すっぽりと覆うほど巨大なもので、いかなる攻撃も、内外に影響を及ぼすことはなかった。


 しかし、それではわが軍からも攻撃できない。

 それも承知の上で、私は一人で敵軍のど真ん中の上空へと向かう。


「さ、サラファン様! 無茶はおやめください! いくら天才のあなたでも……」


 悲痛な声も聞こえてくるが、司令官だろうか。

 それにかまわず、私は空を飛ぶ魔法を使って、自分の周りのあらゆる方向に、空間魔法の「シールド」を使いながら防御して、敵軍の上空のど真ん中へと向かう。


「フォーカス・キャノン」


 邪魔な敵の砲撃をけん制し、少しでも頭数を減らすために、神器本体の魔力で速やかに発動する、ヤサコミラ・ガリルトの魔法を使った。

 呪文を唱えた途端、ヤサコミラ・ガリルトが輝き、その鏡面から光の大砲が放たれ、着弾したかと思うと、大きな爆音、強い光が包み込み、その場の敵を吹き飛ばした。


 もう、みんなを死なせない。

 その覚悟の下、一人で殲滅せんめつすることにしようと思った。

 当然、敵軍からの砲撃を次々に浴びるが、先ほどの魔法で敵の勢いをそぐことに成功していた。

 その隙に、私は手をかざして、ありったけの魔力を練り上げる。

 やがて、大量の魔力が集まり、手の先に巨大な光の塊が生じる。


「サンシャイン・ブレイカー!」


 使える魔法の中で、最強の黄魔法を大声で叫びながら、敵軍目がけて、その方向の「シールド」を解いて光のエネルギーを放出する。

 それが着弾した瞬間、轟音を上げ、思わず目をつむってしまうほどの光に包まれる。

 再び「シールド」を展開しているが、それでも押し流されてしまうほどの威力だ。

 だんだん光が収まるが、土ぼこりが舞い上がって、周りがよく見えない。


 いつの間にか、静かになった。

 魔法を使い終えたのだから、その轟音は当然消えるだろう。それでも、静かなのはおかしい。少しでも、武器を操作する音や、指示する声が聞こえるはずだ。

 ……いや。

 耳を澄ませていると聞こえてきた。

 ……呻き声が。


「う……」


 土ぼこりが晴れてきて、ようやく見えてくる。

 私の魔法が着弾した半径百メートルほどは、クレーターになってしまい壊滅状態で、遺体や兵器が何もない。

 そのクレーターの周りにいた敵軍たちが、衝撃で吹き飛ばされて、呻き声をあげていたのだ。

 一方のわが軍は、イオツミスマルの「プロテクト」のおかげで、無傷だ。神器が作り出した結界は強力で、私の魔法のように、結界の中の兵が吹き飛ばされることはなかった。


「た、退却ー!」


 敵軍のその一声で、残りの軍は兵器を持たずに敗走した。

 そもそも、衝撃で破壊されたものがほとんどだったので、当然と言えば当然なのだが。

 私は戦意喪失した敵を討つ気持ちにまではなれず、そのまま自分がしたこと――たくさんの人を殺してしまったことに、茫然としていた。



 ※



 私は、国を守ったことで、表彰された。

 バノルスは、久々に明るい雰囲気になった。

 喜ばしいことだとは思うけど、大量の人をこの手で惨殺したことに、私の心は耐えられなかった。

 それでも、国を守るためには仕方ないことなので、母上からの命である、新しい魔法の研究に、現実から逃げるように没頭した。


 その結果、確かに強力な魔法は完成した。

 相手だけでなく、使用者も危険にさらすものばかり。

 自責の念に駆られながら、仕方ないと思い続けた。


 そんな時、縁談が舞い降りた。

 周りからの疎外感も感じていた私にとって、子作り以上の意味を見いだせず、どうでもいいものだった。

 そんな時に、彼に出会った。


「こんにちは、リベル」


 それ以来、彼の前だけでは普通の女の子としていられるようになった。

 彼は、私がして欲しかったこと――対等でいることをしてくれた。

 もう、彼がいないと、私という女は、前を向けないほど、大きな支えとなっていた。


「こんにちは、サラファン」

「リベル、さっそくご飯にしよう。今日は、マナブレットと、おかずも少し作ってきたの」

「おお、それは楽しみだな。サラファンの料理はおいしいからな」

「えへへ」


 照れ笑いを浮かべる。

 二人だけの時は、こうやってお互い普通の人としての会話をする。

 王女という疎外感を、人殺しの罪悪感を、すべて、彼が甘やかに溶かしてくれた。

 そんな彼と、もうすぐ結婚する。

 もっと彼に寄りかかれる。

 毎晩、二人で過ごせる。

 普通の夫婦として。


 そして思うのだ。

 二人でなら、必ずや、より良い未来になれると。

 バノルスとガリルトとの溝が埋まると。

 ノア派と分かり合えると。

 マスグレイヴの侵攻が収まると。

 いろいろ大変だけど、今も二人でいるときは幸せなのだと。

 二人でなら、もっと幸せになれると。

 私は、彼の温もりを感じるたびに、そう思っていたのだ。

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