第九話 杯流し 後編

「……おはよう」


 教室に入り、近くの生徒に挨拶する。

 しかし、その人は何も返さないどころか、目を伏せ、五月から離れていき、別の生徒のところへ行くと、こちらの様子をうかがいながら、何か話をし始めた。

 思わずため息をつく。


 あの日以来、五月と話す人は減った。

 無意識ではあるだろう、記事をすべて信じているわけではないだろう。しかし、それでも一瞬でも抱いた疑いにとらわれ、かすかな恐怖になる。

 五月が源神社の「巫女」だというのも追い打ちした。五月と関わると呪われると考える人が広まり、かなちゃんとマリリンしか五月と生徒は話さなくなった。その二人も、次第に避けられるようになり、三人は孤立していった。


 学校で会話しているときに、三人のうちの一人でも近づくと、たちまちその声は沈み、離れていくとひそひそ話をする。それが周りの人たちの三人への態度になっていた。教員は見て見ぬふりをし、何もしない。

 部活では三人は別メニューをやるようになった。部員みんなが三人を避けた。六月末の中間試験後も続いた。


 なぜこんな目に遭わなければならないのか。何もしていないではないか。イワキダイキのこじつけのせいで、なんで。

 結局、噂が本当か確かめもせず、その人がどんな人なのかも、今まで過ごしてきた時間でさえも無視して、何か疑わしいことがあれば疎むというものかもしれない。

 それならば、今まで幸せを目指していろんな人と過ごしてきた時間が、たまらなく空しい。

 ただ幸せになりたいだけなのに、裕樹との約束を果たしたいだけなのに、かなちゃんとマリリンは悪くないのに。

 そんな風に五月は思った。


 しばらくその状況が続いて、三人で一緒に下校しているとき、かなちゃんが言った。


「……巫女さん、部活、やめよう」


 耳を疑った。


「……なんで?」


 思わず聞き返す。

 部活は、陸上は、かなちゃんとマリリンにとって、小学校から打ち込んできた大切なもののはずだ。

 それを捨てるというのと同意だ。

 二人は悪くないのに、巻き込んでしまって、やめさせてしまうのは、嫌だった。


 そう言うと、かなちゃんは笑って言った。


「あたしは、陸上よりも、巫女さんの方が大事。だから、巫女さんがこれ以上傷つくのは見たくない」


 胸が熱くなった。

 巻き込まれて、迷惑をこうむっているのに、その原因となった五月の方が、今まで大切にしていたものよりも大事だというのだ。

 マリリンの方も見る。

 笑みを浮かべて頷いてくれた。

 マリリンも同じだった。


 二人は、五月のことを、ズッ友として、何があっても大切にしてくれる。

 そのことが身に染みる。

 目頭が熱くなり、大粒の涙に変わる。


「……ありがと」


 そうつぶやいた。

 それからしばらく、三人で泣いていた。

 そして、三人は七月に入ってから間もなく、退部した。


 ズッ友は、一緒にいてくれる。

 裕樹との約束も、それなしには日々を過ごせない。

 絶対に幸せになるという約束を果たすという目標がなければ、前を向いて歩んでいけない。

 五月は、ズッ友と、裕樹との約束に、依存するしかなかった。

 三人は友達。ズッ友。互いが互いに力になりたかった。

 三人は友達。ズッ友。そのことを支えに、三人は耐え抜くと決意した。



 ※



 試験の成績が返された。五月は国語が九十七点、数学が百点、英語が百点、社会が九十八点、理科が百点、平均九十九点だった。五月にとって、小学校と同じく学校の勉強は簡単すぎてつまらなかった。


「巫女さん、勉強教えてくれない?」


 テストまで一週間くらいの時、かなちゃんにそう頼まれた。


「じゃあ、みんなでやろうか」


 マリリンも一緒にやることにした。


 ズッ友と一緒に過ごしている時間が心の傷を癒せる数少ない時間で、勉強にものめりこんだ。もっとも、五月にとって簡単だったので、もっぱらかなちゃんとマリリンに勉強を教えるだけだった。

 マリリンはもともと勉強ができていたこともあり、あまり教えることはなかったが、かなちゃんは勉強が苦手だったため、五月はつきっきりになって教えた。その甲斐あってか、かなちゃんはすべて平均点越えをすることができ、マリリンは学年順位が一桁だった。一方、教えた方の五月は首席だった。


 しかし、それを面白く思わない連中がいた。加美山かみやま希望のぞみを中心としたグループである。


「ほぼ百点だなんて、魔法使ってカンニングしたんじゃないの? やっぱ、平気で家族まで呪うようなやつは何も後ろめたいことないんだねえ」


 彼らは、五月たちが魔法を使ってカンニングをしていたと勝手に言い、教員に処分するように言った。もちろん教員はそれには構わなかった。ただ、それは面倒なことを避ける意図が透けて見え、少なくとも、五月たちを守ろうという態度を示さなかった。大半の生徒たちも半信半疑ながらも加担することはなく、五月たちに関わろうとしなかった。


 そんな周りの様子に、三人はうんざりしていた。イワキダイキの記事が出回ってから、三人を避けたり、おとしめようとしたりする動きが目立つ。五月たちは、他の人たちと一緒に過ごす、普通の学校生活を送っていた。周りの人たちも五月たちとおしゃべりしたり、勉強しあったりする、普通の関係だった。しかし、いざ五月たちに疑いの種がまかれると、自分の目で確かめようともせず、これまでの態度を一変させた。

 とても醜かった。何もしていないのに、周りは離れていった。


 それでもかなちゃんとマリリンは五月から離れようとはしなかった。二人は五月を避ける動きに巻き込まれた形にはなっていたが、それでも五月は友達、ズッ友だった。多少のことではその絆は揺るがない。三人は以前より一緒に遊んだり、勉強したりするようになり、結束はより強くなっていた。

 そのため、三人は周りの様子にうんざりとしながらも、周りから離れ、皆で試験の成功を「橘のそばで」で祝っていた。三人で一緒にいると、周りのよどんだ空気を忘れられ、心から楽しむことができた。


 その最中のことだ。


「……巫女さん、杯流しを、あたしたちも見てもいい?」


 わからない。

 そんなのを見たって、なにも楽しくない。

 周りから奇異の目を向けられる、あんな儀式を、二人には見せたくなかった。

 確かに千渡村では重要な儀式だ。


 ただ、それを面白がって五月を傷つけるのが、イワキダイキのような連中だ。

 下手したら、ひたすら付きまとわれるかもしれない。

 そうなると、中学生の少女である五月の身だけでなく、二人も危ない。

 それに、二人に気味悪く思われるのが怖い。

 だからこそ、二人には杯流しを見てほしくないし、千渡村や、五月に近づいてほしくなかった。

 そのことを二人に言った。


「……それでも、ワタシたちは見に行った方がいいと思うな」


 ただ、マリリンに否定される。

 驚いて二人にもう一度視線を向けると、かなちゃんも頷いていた。


「今巫女さんが言ったのは、巫女さん自身にも当てはまることだよ。そんなとこにいたら、巫女さん、すごく心細いでしょ? それに、一人だと危ないし。だから、あたしたちも巫女さんと一緒にいるから、気味悪くなんて絶対に思わないから、杯流しの日は一緒に過ごそう?

 ……もっと、あたしたちを、ズッ友を信じて。

 あたしたちだって、五月のことが大切なんだから。

 頼られたって、迷惑じゃない。むしろ、うれしい。だって、大好きな人に頼られているって、とても幸せなことなんだから」


「そうだよ、ミーちゃん。だから、一人で抱え込まないで。抱え込んだって、余計に傷つくだけだよ。ワタシたちが傍にいるから」


 二人の言葉が心にしみる。

 二人の五月への思いが改めて伝わった。


「……うん。わかった。じゃあ、一応出店とかもあるから、私の出番まで、一緒に回らない?」


 自然と二人を空いている時間に一緒に過ごすことを提案する。

 二人は笑顔で受け入れてくれる。

 それからは、ご飯を出店で済ませようとか、どんな祭りなのかとか、いろいろなことを話した。



 ※



 八月二十二日。日曜日。八月の第四週の日曜日で、杯流しの日。

 三人は、源神社の境内に集合していた。

 境内はいつも石畳、その周りに砂利が広がっているだけだが、今日は様々なで店が並んでいて、明かりで輝いている。

 その奥には、祭りの時だけ設置される、舞台があった。


「何食べる?」


 二人に尋ねる。

 心なしか、その声は弾んでいる。


「ここは、定番のたこ焼き、焼きそばもいきますか?」

「かき氷も食べよう」


 二人も楽しそうだ。

 三人で話しながら目的ので店を探し、まずはたこ焼きから買う。


「いただきます」


 三人で一斉に口にする。

 その瞬間、口の中に刺すような熱さが広がる。口の中に息を吸いながら食べるが、とてもおいしい。


「熱いけどおいしいね」

「けど、やっぱりちょっとずつにしようかな。やけどしそうだし」


 三人での祭りでの食事は、とてもおいしくて、楽しい。

 少しの間ではあるが、つらさを忘れることができた。



 ※



 五月は紅白の巫女装束に身を包み、舞台の上でひたすら米を噛んでいた。

 今は口嚙酒を作る真最中だった。正確な意味までは伝わっていないが、昨年作った分の、巫女の体の一部である口嚙酒を千渡川に流すことで一年の感謝をし、今年の口嚙酒を奉納することで、向こう一年の平穏を願う。今年の口嚙酒は、来年千渡川に流し、また新しい口嚙酒を奉納するというのを、毎年のように繰り返す。


 人々の視線を浴びながら、ひたすら噛み続ける。そして、ある程度噛んだところで、目の前にある入れ物に口の中のものを吐き出した。ざわめきが大きくなる。人々の視線が痛い。せめて吐くものが見えないように、手で隠して吐いた。

 先ほどの楽しさからは一転。今は、恥ずかしさに耐えていた。


 思春期に差し掛かった少女にとって、人前で口の中のものを吐くのは、恥ずかしくてつらいもの。本当は人前でしたくはないのだが、毎年のことではあるし、何より、イワキダイキの記事のせいで向けられた白い目を一掃するのには、開かれた状態で何をやっているのかを示して、イワキダイキが書いたような呪いをかけるようなことをしていないことを強調する必要があり、恥ずかしさを我慢して五月はひたすら噛み続け、口の中のものを容器に吐き続けた。


 人々の視線の中で、見知った顔があった。かなちゃんとマリリンだ。

 その二人の視線は、他の奇怪なものを見る冷ややかな目とは違い、温かなものだった。五月を見守ってくれていた。人前で口嚙酒を作るという行為に対しても、その目を変えることはなかった。

 そんなズッ友の存在が、ありがたかった。


 二人のおかげで口嚙酒を無事に作り終えた。その後はその口嚙酒を奉納し、一年前のものを取り出し、千渡川に向かう。周りは宮司たちが囲み、巫女である五月を河原へと導く。

 河原に着くと、五月は祝詞を唱え、口嚙酒が入った瓶子へいしを宮司から受け取り、中の口噛酒を流した。


 こちらの口嚙酒は一年の感謝ということになるのだろうか。

 それは、五月にとって、とてもできないことだ。


 楓と雪奈が死んでしまって、イワキダイキのせいで、友達になれると思っていた学校の連中にまで白い目を向けられるようになってしまった。

 それでも、かなちゃん、マリリンがズッ友になってくれて、裕樹が約束をしてくれて、何とか前を向くことができている。


 内心複雑だが、「巫女」という立場上、形だけでもきちんとする必要があった。

 この不幸の連鎖が止まる日が来るのだろうか。心から笑える日は来るのだろうか。


 そんなことは、わからなかった。

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