第七話 ズッ友
五月の胸が大きくなっていた。最初に会った時は赤ん坊だったのに、いつの間にか大人の一歩手前だ。五月の母の、
私も、待ち焦がれていた。源家の第一子が女の子で、満月の日に生まれる子のことを。
それが、五月だった。
とても、とても、長い日々だったと思う。あまりにも長くて、正確な年月がわからないほどだ。
その五月には、幸せになってほしい。
どうしても親目線になってしまう。私の娘に瓜二つ。運命の子が私の娘に似ているのは、瓜二つなのは、果たして偶然なのか。
私の約束抜きにしても、幸せになってほしい。
だから、
あなたたちのような人が、五月には必要だから。
五月。私も、死ぬまで、私の娘との約束を果たすまでは、絶対に、ずっと一緒だからね。
※
「さて、麻利亜君。君に折り入って話がある。どんな事案よりも早急に話し合うべき事案だ。心して聞いてほしい」
佳菜子が大げさに麻利亜に話しかける。麻利亜は内心呆れながらも、この調子の佳菜子は大抵雰囲気を盛り上げるためにやっているのを知っているので、余計なことは言わずに次のように返した。
「はいはい、なんでしょうか、佳菜子殿。ミーちゃんの誕生日のことでしょうか」
それを聞き、佳菜子は大げさに驚く。
「なぜだ……? なぜ、あたしの考えていることがわかるのだ? も、もしやお主、エスパーなのか?」
図星だったようで、佳菜子はさらにわけのわからない方向に向かう。いい加減うんざりしてきたので、麻利亜は佳菜子に言ってやった。
「ワタシがミーちゃんの誕生日を知らないとでも思ったの? というか、なんなの、そのキャラ。普通に相談することはできないの?」
あきれながら佳菜子に言うと、笑いながら佳菜子が返してきた。
「いやあ、なんか面白いかなあと思って。まあ、それはそうと、まあ、麻利亜の言う通りで、巫女さんの誕生日パーティーをしようと思ってね。で、前にあの子が誘ってくれた蕎麦屋でやりたいなあと思って。それを提案しに来たんだよ」
今は学校の始業前の朝。学校は糸川町の町のほうにあるため、
そして、彼女が提案したのが、五月が誘ってくれた蕎麦屋でやること。その店の名は、「
五月は以前からその蕎麦屋によく行っていて、当然のようにその蕎麦の虜になっていた。佳菜子と麻利亜はその話を聞いて、大げさだと思っていたのだが、いざ食べてみると、やはり惚れ込んでしまい、週末には三人で通うようになっていた。
「まあ、いいとは思うけど、代わり映えしなくない? それに、ミーちゃんの誕生日って五月二十二日だけど、今年は土曜日だよ。混んでない? 大丈夫?」
「橘のそばで」の蕎麦に、皆、虜になってしまう。それはつまり、再びその蕎麦を食べようとする人の多さにつながる。その客層は常連客が多いが、遠くから蕎麦目当てに来る観光客も多く、お昼時には満席になって、待ち時間が生まれるほど人気となっている。そのため、そこで誕生日パーティーをするのは、難しいと麻利亜は考えたのである。そして三人はそこの常連。いくらその蕎麦に虜になっているとはいえ、いつもと同じではそもそも誕生日プレゼントにならないのではと思った。
「うーん、確かに。あまりにも蕎麦がおいしすぎて忘れてた。麻利亜はなんかいい案ない?」
佳菜子が麻利亜に助力を求める。
「そうねえ、なんかないかなあ……。あ!」
麻利亜は何かを思いついたのか、急に大きな声を出す。
「この間の花見の高台でその蕎麦を食べるのはどう? いくらミーちゃんでもそこで蕎麦を食べたことはないでしょ?」
麻利亜の案に佳菜子も乗る。
「ああ、それいいねえ! んー、でも、そうなると蕎麦屋のオッチャンの都合が問題かなあ……」
「蕎麦屋のオッチャン」というのは、橘家現当主、
「まあ、とりあえず、蕎麦屋に聞いてみないとね」
麻利亜の言葉に、佳菜子は頷いた。
「じゃ、あたしが電話で今夜聞いてみるよ。麻利亜はほかに何が必要か考えてくれない?」
麻利亜は同意した。そこに、聞きなれた声が降ってくる。
「おはよう。なに話してたの?」
五月だった。今話していた内容を知られてしまっては、秘密裏に相談する意味がない。そのため、そのことを悟られぬよう、佳菜子は笑みを浮かべて五月に話しかけた。
「ああ、おはよう、巫女さん。実は今、巫女さんに好きな人がいるのかなあ、なんて話をしてたんだ。あたしはいると思ってるんだけど、麻利亜はいないと思ってるんだと。で、実際どうなんだい、あたしさ話してけろ、巫女さん」
それを聞いて、五月の顔がさっと赤くなると同時に、俯く。
「え、嘘、ミーちゃん、好きな人いるの?」
麻利亜がすっとんきょうな声を上げた。それを聞いて五月はぱっと顔を上げ、横に振る。
「い、いやいやいや、いないいないいない、いないよ! す、好きじゃないんだから! そんなんじゃなくて、ただの友達、うん、そう、友達。昔よく遊んだけど、最近は全然会ってないし。それに今高校生だし。絶対、そんなんじゃないよ!」
五月は動揺して否定の言葉しか言わなかったが、佳菜子と麻利亜はそれをにやにやしながら聞いていた。佳菜子は追い打ちをかけるように言う。
「へえ、そんじゃ、そいつのことは嫌いかい、巫女さん?」
「別にそんなんじゃないけど……」
俯きながら五月は反論した。佳菜子はそこにさらに追い打ちをする。
「それじゃ、好きってことだよねえ、巫女さん?」
「そ、そんなんじゃなくて……、そういう風に考えたことがなかったから……、どんな気持ちなのか分からなくて……。ただ、その人との約束がとても大事だから、恥ずかしくないようにはなりたいけど……」
それを聞いて、麻利亜が五月に聞く。
「その人との約束は何で大事なの?」
それに、俯きながら五月は答える。
「親友だった人の兄で、その人との約束を守るために頑張れば、その人のことが支えになるし、親友のためにもなるし、わたしとつながってると思えるから……。だから、その約束が頑張れる理由で、その人や、親友がわたしを支えてくれてると思えるんだ……。その人とは時々遊んだり、その人の野球の試合を応援したりしただけだったけど、今のわたしにとって、とても大切な存在なんだ」
それを聞いて、佳菜子と麻利亜は、余計なことをしたのでは、と思った。断片的な話だったため詳しいことはわからないが、五月は以前なにかあって、親友や、その兄と、会えない状況になったようだった。それはすなわち、トラウマというべきものとも考えられ、そのつらさを思い出させてしまったのではないかと思った。
「あ、ごめん。なんか、思い出したくないこと思い出しちゃった?」
佳菜子は自然と謝罪の言葉を発した。麻利亜もそれに続いた。しかし五月は首を振った。
「ううん、大丈夫。日々意識してることだから。それに、もしわたしが悲しんでたら、みんなはわたしを悲しませるために生まれたことになっちゃう。そんなことにはさせないんだから」
そして、五月は覚悟を決めた。自らの過去を話そうと。二人なら、この話を聞いても大丈夫だろう。友達でいてくれるだろう。イワキダイキという記者や、どこかうわさ好きの連中とは違う。
そして、これが、話すべきタイミングだと思った。いきなり話を振っても、二人はびっくりしてしまう。そうなると、聞いてくれる話も、聞けなくなってしまう。今なら、自然な流れで話せるから、二人も受け入れやすいと思った。
五月は続けた。
「ねえ、かなちゃん、マリリン。聞いてほしい話があるんだ。長い話になるけど、部活後大丈夫?」
それを聞いて、佳菜子と麻利亜がうろたえる。
「え、それってつらい話なんじゃないの? 話しても大丈夫?」
麻利亜の言葉に五月は頷く。
「うん、二人なら大丈夫だと思うんだ。それに、これを知っているのと知っていないのとでは、二年前の話を聞いたときに、わたしの印象が変わるかもしれないし」
「二年前って、何?」
五月の言葉を聞いて、佳菜子は返す。
「それも含めて話すよ。部活後、大丈夫?」
佳菜子と麻利亜が頷いたところで、ホームルームの開始を告げるチャイムが鳴った。
「じゃ、部活後、よろしくね」
※
「五月、本当によかったのですか?」
サラが五月をトイレに呼び出して、問いただす。五月が自らの過去をかなちゃんとマリリンに話そうとしていることを指しているのは、火を見るより明らかだった。タイミングは五月の判断次第なのだが、いざ話すとなると、サラは心配でたまらなかった。
しかし、五月は微笑んで言った。
「うん、大丈夫。心配しないで。二人なら、わかってくれる。サラがいてくれるから、怖くない」
そんな五月を見て、不安を抱えてはいるが、サラは五月の判断を尊重することにした。
「わかりました。大丈夫です。私が、五月についています。二人はわかってくれます。五月を受け入れてくれます。だから、変に気負わないでください。自然体でいてください。大丈夫です。五月ならできます。二人なら、きっと、五月の味方のままでいてくれます」
そんなサラの気遣いが、五月はありがたかった。
※
五月、かなちゃん、マリリンの三人は、部活が終わった後、学校近くの公園に来ていた。三人は陸上部だった。その練習では、週に二日ほど軽いメニューをこなす日があり、その時は早めに部活が終わるのだが、今日はちょうどその日だった。
日は沈みかけ、空は赤くなっている。
「巫女さん、本当に話しても大丈夫なのかい?無理しなくても……」
「無理してないよ」
かなちゃんの言葉を五月が遮る。
「大丈夫だよ。ほんとに話すべきか、ちゃんと考えたから。で、話すべきだと思ったの」
そして、五月はその重い口を開いた。
※
わたしは、小学生四年生ごろまで、友達と遊ぶことは少なかった。
別に、人と話したり遊んだりするのが嫌いだったわけじゃない。いじめられていたわけでもない。一学年に私も含めて五人だったけど、ずっと本を読んでたし、時々遊ぶにしても、学校でしか遊ばなかった。関心があまりなかった。
だって、家で勉強したり、本読んだり、お裁縫をしたり、お料理したりする方が好きだったから。
うまくいけば、お父さんとお母さんが褒めてくれた。笑顔になった。心から喜んでくれた。わたしは、それがうれしかった。
勉強は、学校のものはあまりにも簡単で、つまらなかった。でも、わたしの家は、神社だったから、古い書物がいっぱいあった。
ある日、お父さんがその中の一つを読んでいるのを見かけて、見せてと頼んだ。お父さんは見せてくれた。何が書いてあるかわからなかった。でも、学校の勉強に飽きていたわたしにとって、わからないことがあるのは新鮮だった。
わたしはお父さんに教えてと頼んだ。最初はお父さんは断った。でも、何回も頼んだら、今月のテストがすべて満点だったら教えると言ってくれた。わたしは初めて本気で勉強した。そしたら、すべて満点だった。お父さんは教えると言ってくれた。うれしかった。私が小学二年生の時だった。それからはお父さんに家の書物の読み方を教えてもらって、頑張って読んだ。最初は全然読めなかったけど、漢字や、文字、意味とかを何回も教えてもらった。そしたら、すらすらは無理だけど、少しずつなら読めるようになった。楽しかった。うまく読んだり、意味が分かったりすると、達成感があったし、喜んでくれたから。
お裁縫やお料理は、お母さんから教わった。なんでやろうと思ったのかは忘れた。たぶん、お手伝いしたときに褒めてくれたのがうれしかったんじゃないかなと思う。最初は簡単なものだったけど、だんだんと難しいこともできるようになって、小学生だったけど、お母さんから見ても遜色
そんしょく
ないほどの腕になった。食事をふるまったり、縫ってあげたりすると、うれしそうで、その笑顔を見るのが楽しかった。
そう、その時わたしは、幸せそのものだった。
五年生の時だった。両親は、わたしがあまり友達と遊ぼうとしないものだから、もっと遊ぶようにわたしに言った。遊びが楽しいかはわからなかったけど、その時から、少しずつ友達と遊ぶようになった。だんだんと仲良くなってきて、そして一緒に遊ぶのが楽しいことに気付いて、八月にある祭りの「杯流し」の時に遊ぼうと約束した。
「杯流し」は源神社でやる祭りで、いろいろな露店が並んで、いろいろ遊べる。千渡村は過疎だけど、その時には少し人が集まる。村一番のイベント。
でも、昔は源家だけで細々と行われていたみたい。今もそうだけど、巫女の口嚙酒
くちかみさけ
を近くの千渡川に流す祭り。どういう意味があるのかは伝わってない。
ちょっと脱線しちゃったけど、杯流しで遊ぶ約束をした、その翌日。六月の土曜日だった。その日、わたしは県北に両親と一緒に温泉に向かっていた。家が神社だから、年末や、祭りのあるお盆の季節といった、普通の家なら旅行に行くような時期にはそんなことができないから、旅行に行くとしたら土日だった。
朝だった。山道を車で進んでいた。
そして、絶望が始まった。
突然、地面が大きく揺れた。そして、道路が壊れた。
あの、「六月地震」だった。
そこから先は、覚えていない。目が覚めた時は、病院だった。体中が傷だらけだったけど、わたしは無事だった。
でも、お父さんとお母さんには会えなかった。
なぜか、わたしだけが助かった。
なんでお父さんとお母さんは死んだのだろう。なんでわたしだけ助かったのだろう。この先、どうなるんだろう。そんな疑問が尽きない。そう思うと、お父さんとお母さんを失った悲しみとか苦しみが、わたしを襲ってきて、押しつぶされそうだった。
結局、わたしにできること、何をすべきなのかはわからなくて、周りの大人が忙しそうにしているのを、見ているしかなかった。
そんな時、あいつがやってきた。
イワキダイキという記者だ。
そいつは、わたしの家が神社なこと、村の伝説のこと、地震でお父さんとお母さんが死んで、わたしだけが生き残ったことに付け込んで、わたしに色々と聞いてきた。「村の伝説」というのは、この間話した、神様や源家のご先祖様が魔法を使えるという話。その話は「
なんでお父さんとお母さんが死んで、悲しい思いをしているのに、こんな仕打ちをされなくてはならないのか? ネタがあれば、その人のことは知ったことではないのか? もう、どうでもいい。こんな目に遭うなら、死んだ方がましだ。
そう思った。
そんな時にお父さんとお母さんの葬儀があったもんだから、最後の会える時間だったのに、早くこの騒ぎが終わってほしいとばかり考えていて、お別れを言えなかった。
そして、わたしには家族は、お父さんとお母さん以外にはいなかった。助けを求められるような人はいなくて、死ぬ以外どうしようもなかった。
どれくらい後だったか。たぶん退院してから数日以内だったと思うけど、よく覚えていない。その時わたしは、村長の暁家に居させてもらっていた。暁家は、歴史がわたしの源家と同じくらい古く、古文書にも、互いに手を貸し合っていたことが書かれていて、一時的にそれに倣っていた。
その時、仲良くなり始めていた、友達のうちの一人の、
「一緒に住まない?」
一瞬、何を言っているのかわからなかった。
「どういうこと?」
楓に聞くと、彼女は微笑みながら言った。
「家族になろう、ということ。五月が、暁家の養子になるの。次期暁家当主のわたしが、現当主のお母さんを説得したの。
昔から暁家は源家が存続の危機になると協力したし、暁家の人間が源家の人間と結婚もしてたし。
家族同然なの。
で、今源家は、五月だけ。十分に存続の危機だから、今までの歴史から見ても、暁家が五月を守るべきだとわたしがみんなに言ったの。
それに、どこかの施設に行っても、五月の傷は癒えないと思ったの。そんな感じのことを力説したら、暁家の人みんなが了承してくれた。すぐに橘家の人にも説明したら、了承してくれた。だからこれは、村の総意なの。暁家を中心に、村が五月を守ると言ってくれたの。だから、一緒に住もう? 大丈夫。イワキダイキのような連中からは、五月をみんなが守ってくれるから」
そう言って、楓は手を差し伸べてくれた。わたしは、それがうれしかった。
村の御三家といわれるのが、源家、暁家、橘家。それらの家の意見が、村の意見そのものといえた。その暁家と橘家が、源家の五月を守ると言ってくれた。
そして、何より、楓がわたしを守ると言ってくれた。家族だと言ってくれた。家族が一人もいなくなったわたしにとって、これほど力強い言葉はなかった。
だからわたしは言った。
「ありがと、楓。その……、これからよろしくお願いします」
そうして、わたしたちは家族になった。
その後、楓とわたしは一緒に暮らし始めた。彼女とお部屋は一緒、朝ご飯から登校、学校生活、下校、遊び、勉強、お休みまで一緒だった。楓の友達の
雪奈は、両親が友達と一緒に遊ぶように言ったときに、最初に仲良くなった人。雪奈が楓と友達だったから、楓とも仲良くなるきっかけになった。雪奈がいなかったら、救いの手はなかったかもしれないと思う。
そして、時々雪奈の兄の、
時間が取れると、楓や雪奈、裕樹と一緒に遊ぶようにもなった。楽しかった。たまにお弁当を作ると、みんなおいしそうに食べてくれて、うれしかった。裕樹は絶賛してくれて、その笑顔を見たくて頑張った。そしたらもっと料理ができるようになって、裕樹ももっと喜ぶようになって……。本当に楽しかった。
そうして時は過ぎていった。
小学六年生の一月、つまり、今年。わたしと楓、雪奈は、千渡小学校を、裕樹は糸川中学校、つまり、わたしたちが今通っている中学校を、三月に卒業することになっていた。
その卒業記念に、スキーに行った。残念ながら、というべきなのだろうか。裕樹は受験勉強のために、スキーには行けなかった。
スキー場は、蕎麦屋の近くのところに行った。みんなでよく行く、「橘のそばで」のこと。スキー場は、「千渡スキー場」というところで、そのすぐ目の前に、温泉もある。この間入った、「千渡温泉」のこと。スキーをして、蕎麦を昼食に食べて、また滑って、最後に温泉に入る予定だった。お義母さんが同行してくれた。
スキーが楽しかった。蕎麦がおいしかった。
だけど、その予定をすべてこなせなかった。
温泉に入ることは、なかった。
雪崩が起きた。わたしと楓、雪奈が巻き込まれた。お義母さんは巻き込まれなかった。
気が付いた時には、病院にいた。そこで、楓と雪奈が死んだことを知った。
また、わたしだけが助かった。
そして、またイワキダイキがやってきた。もちろん無視したし、お義母さんたちがすぐに追い返してくれた。でも、そいつは、でっち上げを書いた。
「暁五月と関係の深い者は、死ぬ」
そんなことは嘘だと思った。わたしは何もしていない。
でも、わたしはそいつに何かするということはなかった。両親や楓と雪奈のことがあったし、そいつと関わりたくなかったし、そいつに何を言っても無駄だし、自分で傷を掘り返すようなことはしたくなかった。
わたしはまたどん底に落ちた。
退院後、楓と雪奈にお別れをした。眠っているだけのようだった。
わたしは声をかけた。返事は返ってこなかった。触っても見た。以前にわたしの心を温めてくれたその手は、石のように冷たくて、かたくて、青白かった。
その時、永遠に会えないのだと悟った。そしたら、涙が止まらなかった。胸の中に鋭い痛みが走って、苦しかった。
もう一度、二人と話したかった。遊びたかった。勉強したかった。蕎麦を食べたかった。温泉に入りたかった。
コイバナとか、してみたかった。受験とか就職で、励まし合いたかった。成人式での晴れ着姿を、見せ合いたかった。結婚式での花嫁姿を、見せ合いたかった。自分たちの子供の話をしたかった。
そんな未来を、見てみたかった。一緒に過ごしたかった。
その望みは、もう、叶うことはない。
そう思って、とても苦しかった。つらかった。悲しかった。
その思いは、今も変わらない。
そして、雪奈の家を出るとき、裕樹に会った。裕樹の母が、わたしを送るよう言ったから、一緒に裕樹の家を出た。
「逢魔が時」ともいうんだけど、その時は黄昏時だった。
その時、裕樹が言ってくれた。
「それじゃ、約束してくれ。おれとの約束。『絶対に幸せになる』というものだ。この約束のために、頑張ろう。おれも頑張る。五月ちゃんも頑張る。
俺は高校生に、五月ちゃんは中学生になるから、もっと忙しくなってこれまでのように会えなくなるけど、この約束でおれたちはつながっている。雪奈たちともつながっている。これを支えにして、頑張らないか? それを雪奈や楓ちゃんも望むんじゃないのか? このまま俺たちが不幸になったら、あいつらは、俺たちを不幸にするために生まれたことになるんだぞ。それでいいのか? それをあいつらは望んだのか?」
その通りだと思った。わたしや裕樹が不幸になるために二人が生まれたことになるのは嫌だった。
だからわたしは、裕樹と「絶対に幸せになる」という約束をすると言った。
すると裕樹は言ってくれた。
「……ありがとう、五月ちゃん。そういえば知ってたかい? 夕暮れは現世とあの世の境だって」
ということは、楓と雪奈にもこの約束が伝わると思った。
雪奈や楓、裕樹との、確かなつながりを感じることができた。
すごく遠いところに行ってしまったと思っていたけど、再び会えた気がして、心強かった。
絶対に幸せになる、か。
裕樹との約束で、出口のなかったトンネルから、抜け出せそうな気がした。
もう一度、幸せになりたい。
それが、雪奈と楓にとっての幸せでもあるのだと、そう思う。
とりあえず、前を向こう。
そして、一歩踏み出そう。
どんなにつらくても、彼との約束を思い出して、支えにして、必死にもがこう。
そうすれば、いつかきっと、幸せになれる。
そう思えるような、魔法の言葉だった。
「それじゃ、約束」
絶対に幸せになる。
※
「それからわたしは前を向いていけるようになったの。あとは、かなちゃんやマリリンが知っている通りだよ」
すでに日は沈み、あたりは暗くなっていた。帰宅途中なのか、スーツ姿の人が歩いているのが見える。時計を見ると、六時過ぎ。一時間程度話していたようだった。
かなちゃんとマリリンは、何も言えずにいた。当然だと思った。友達にこんな過去があったことを知ったら、五月も何を言えばいいか迷ってしまう。
そんな二人に、さらに五月は言った。
「たぶん六月にイワキダイキが来て、また変なことをほざくと思う。そうなると、下手したら、学校でもわたしはいじめられると思う。『暁五月と関係の深いものは、死ぬ』と言うような奴だし、わたしは『巫女』だし、実際に死んでる人もいるし。
なんか『巫女』って、変な術を使えそうな感じがするのかな。まして、もともと神社の家だし、ご先祖様が魔法を使っていたというから、説得力は増すね。宗教のことを日本人がよく思わないのと同じなんじゃないかな。
だから、イワキダイキとか、学校の人とかに、いじめられると思う。そうでなくても、避けられるようにはなると思う。そしたら、二人には迷惑をかけちゃう。わたしは、それが嫌なの」
すると、今まで話を聞いていたかなちゃんが口を開いた。
「あたしは……、あたしはそれでも、巫女さんと友達でいるよ。だいたい、イワキダイキが言っているのはただのガセだよ! なんだよ、人が苦しんでるとこに、その苦しみはあんたのせいですって言ってるようなもんじゃないか! 大丈夫だよ、五月! そんなやつの言ってることなんか、信じる必要なんかない。それで五月がいじめられるようなら、あたしが守ってやる!
五月、あたしがいじめに巻き込まれたって、それで五月を恨むようなことはないよ。むしろ五月がつらい目に遭う方が嫌だよ。だからあたしは、ずっと五月の友達でいるよ。大丈夫。麻利亜もいる。あたしたち三人は友達だよ、ズッ友だよ! だから、五月の印象が変わるなんてこと、絶対ない!」
マリリンが続いた。
「そうだよ、ミーちゃん、ううん、五月。ワタシだって、五月の印象が変わることなんて、ありえないよ。むしろ、五月の過去を知れたから、イワキダイキのような奴から守らなきゃって思ったもん。
五月、言ってくれてありがとう。つらかったでしょう? 苦しかったでしょう? そういうこと、ワタシたちに言っても、友達をやめることなんてしないよ。佳菜子も言ったけど、ワタシたち三人は友達だよ、ズッ友だよ。だから、ワタシたちの前では、強がらなくていいんだよ。抱え込まなくていいんだよ。
話したくないこともあるだろうから、無理して話さなくてもいいけど、五月一人で抱え込まないで。ワタシたちは、五月のことならどんなことでも受け止めるよ。
大丈夫。
もう、五月は、一人じゃないんだから。
ワタシたち、ズッ友だよ」
二人の言葉の一つ一つが、五月の胸にしみた。イワキダイキの言っていることは、五月とは関係ないと言ってくれた。ガセだと言ってくれた。恨まないと言ってくれた。守ると言ってくれた。五月がつらい目に合うほうが嫌と言ってくれた。友達だと言ってくれた。どんなことでも受け止めると言ってくれた。
ズッ友だと言ってくれた。
目に涙が浮かび、次第に止まらなくなった。
「ありがとう、ありがとう」
温かいものが胸に広がる。重たいものが肩から消える。感謝の想いがあふれてくる。
「みんな、ズッ友だよ」
空には星空が広がっていた。星空は、三人を静かに、優しく見守っていた。
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