第四話 お買い物

 ……私はいい母親だったろうか。

 今も自問自答してしまう。

 娘に、源家に、あんな十字架を背負わせてしまったなんて、母親失格のような気がする。

 それでも、あの子は私に手をかけることはなかった。

 それどころか、十字架を背負う道を選んだ。


 今思えば、手をかけること以上に残酷なことだったけど、なぜそんなことをしたのかが、わからなかった。

 でも、五月の視線に立ってしまうからだろうか。

 ゆかりと五月を見ていると、なんとなくわかった気がした。



 ※



「行ってきます」

「はいよ、行ってらっしゃい」


 お義母さんと出かけるときの挨拶を交わして、玄関を出る。

 まだ少し肌寒いけれど、永い眠りから目を覚ましたかのように、咲き誇る花も顔をのぞかせる。

 五月が陸上部に入部した週末の日曜日。

 今日は、かなちゃん、マリリンと一緒に陸上部用の靴を買いに行く約束をしていて、糸川町の方で待ち合わせをしていた。


 自転車に鍵を差し、スタンドを倒して、漕ぎ始める。そのまま敷地外へ出て、村を出るための坂道へと向かう。

 周りには、田畑が広がり、自転車を漕ぐ音だけが響く。五月が中学校に通ってからは登下校の際はこの静かさに包まれていて、学校のことや、源家の仕事の予定など、色々なことを考えていた。

 今は、これからの買い物のことに思いを巡らしている。

 どんな服がいいのか。どんな色にしようか。どんな靴にしようか。どれだけ速く走れるか。

 その一つ一つのことを想像するたび、心が弾む。


 そうしながらしばらく道を曲がったり、まっすぐ進んだりしていると、上り坂に到達した。

 通称、村境むらざかいと呼ばれる場所で、この坂を上ると、千渡村の外になる。

 この上り坂の先には、長い下り坂がある。村を出るときには楽だが、村に戻るときにはずっと上り坂が続くことになるので、自転車を使う五月にとって体に応えるものだ。それでも、体を鍛えるのには持って来いともいえるので、五月は特に気にしていなかった。

 五月はペダルに力を入れ、一気に駆け上がると、そのまま長い下り坂を下りていった。



 ※



 待ち合わせ場所の学校が見えてくる。

 五月は、二人がもう待っているかもしれないと思い、少しスピードを速める。

 案の定、二人はすでに学校の門の前に集合していた。


「おはよう、みんな」


 二人の前に自転車を止め、挨拶する。


「おっはよー、巫女さん。早かったねー」

「おはよう、ミーちゃん。疲れてない? 大丈夫?」


 何気ないあいさつ。

 そのやり取りで、五月はふと思い出す。

 友達と休日に待ち合わせをするというのが、三か月ぶりだということに。


 あれ以来、大切な人たちを失って、また以前のように友達がいて、一緒に過ごすことなんて、できるとは想像できなかった。

 出逢ってまだたったの一週間。それなのに、二人のおかげで、「普通の女の子」と同じような毎日を過ごせている。

 そのことがありがたい。

 だから、こんな普通の日々を、しっかりと味わっていこう。

 いつ失ってしまうのか、わからないのだから。

 裕樹と約束した、幸せに近づけるかもしれないのだから。


 でも、二人が知ってしまうと、余計な心配をかけるかもしれない。

 その思いがあるから、そんな切なさを、二人にはまだ伝えたくない。

 まだ、その時じゃない。

 今は、今を楽しもう。


「……大丈夫だよ。下り道が長かったから、ビューンって飛ばしてきた。まあ、帰りはきついけど」


 笑顔で振るまう。


「じゃあ、あまり遅くまでいられないね。早速行こうか」


 かなちゃんの言葉を合図に三人は目的のスポーツ用品店に向かう。


「そういえばお店の名前はなんていうの?」


 自転車を引いて、三人で歩きながら話をしていたが、ふと今向かっている店のことが気になった。


「『スポーツ雨宮あめのみや』ってとこだよ。あたしたちが陸上を始めた時から世話なってるけど、いろんな道具が売ってて、このあたりじゃ、結構いいとこなんだよ」


 どうやら、二人はその店の常連らしい。


「あ、ちょうど見えてきたね。あれだよ、ミーちゃん」


 マリリンが指さしたところへ目を向けると、二階建てで、一階が店舗になっている建物があり、看板にはかなちゃんが言っていた、「スポーツ雨宮」と書いてある。

 店の前に自転車を止め、みんなで店に入る。


「いらっしゃい。おや、佳菜子ちゃんと麻利亜ちゃんじゃないかい。そこの子は新しい友達かい?」


 店の奥から声がして、視線を向けると、頭に白髪が混じり始めたおじさんがカウンターのところに座っていた。


「おはよ、おっちゃん。そうそう、この子が中学校で新しくできた友達で、源五月っていうんだ。巫女さん、この人は、この店の店主の、雨宮宏あめのみやひろしさん。昔は陸上をやってたらしいよ」

「ま、特に速くはなかったけどな。よろしくな、五月ちゃん」


 人が好さそうな笑顔を向けながらおじさんは挨拶をする。

 それに、五月もお辞儀をして挨拶を返す。


「こちらこそ、よろしくお願いします」

「おお、礼儀正しいな。じゃ、ゆっくりしてきな」

「こっちだよ、ミーちゃん」


 おじさんの言葉を合図に陸上の道具が並んだ棚に向かう。

 まずは、試合で使う靴である、ピンがついた、スパイクを選ぶことにしていた。

 しかし、慎重に選ぶ必要がある。「ランシュー」と略すランニングシューズや、スパイクといった靴は、確かにサイズで選ぶこともできるが、実は同じサイズでも微妙に違う。だからこそ、実際にはいて、自分に合った靴を選ばないと、靴擦れなどを起こして、思うように走れないことがあるのだという。

 かなちゃんとマリリンの受け売りだが、実際に走るときに身に着けるのは靴とユニフォームくらいなので、合った靴でないと、100パーセントの力を出せないと、五月は理解した。

 ただ、やはり好みのデザインもあるので、できることならかわいい靴を選びたいというのは本心だ。


「うーん、色はみんな極端だね。なんかかわいいって感じじゃないし、かといって派手すぎるのもあるし」


 しかし、デザインではいいスパイクが見つからない。


「まあ、スパイクはあんまりデザインは気にしないほうがいいかもね。どっちかっていうと、かっこいい寄りっていうのかな。なんか男子が好きそうなデザインが多いような気がするから、足が合う合わないだけにした方がいいんじゃない? 走り方でも変わってくるけど、まずは初心者用のでいいと思うよ。それで自分の走り方がわかってきたら、それに合った靴にすればいいよ」

「そだね。じゃあ、そうするよ」


 かなちゃんの提案に乗ることにし、初心者用スパイクを履いてみる。

 しかし、幅が大きい。どれも足の長さには合うけれども、試着するための、競技場で使われているようなゴムで作られているマットがあるのだが、幅が大きいせいで、そこで足踏みしたり、立ったりしても、全然しっくりこない。


「うーん、合わないなあ」

「ちょっと、巫女さんの足は細いのかもね。初心者用のは幅が広いんだよ。こんなに合わないんだったら、高いけど、いい方のスパイクにした方がいいね」

「そうだね、無理に初心者用のにする必要はないし。ミーちゃん、お金は大丈夫?」

「大丈夫。高くて2万円後半って聞いたから、ランニングシューズとか、他のも買えるように、5万円持ってきた」


 ……。

 沈黙が流れる。


「……もう一回言って」


 かなちゃんが五月の肩に手をおいて沈黙を破る。

 五月はなぜみんなが黙ってしまったのかわからないまま言った。


「え? 5万円だけど……」

「巫女さん、金持ちだね……」


 ……。


「あ! そういうこと!?」


 やっと気づいた。

 五月が持っているお金が、中学生にしては多すぎるということに。


「あ、えっとね、これは一応、お義母さんから部活用にって渡されたお金だから。わたしのポケットマネーじゃないから」


 慌てて反論するが、実は少し嘘が混じっている。

 確かにお義母さんから渡された金ではあるが、そのお金の出どころは、源家の遺産なのだ。一応五月が相続していることにはなっているが、中学生に管理させるわけにもいかないので、お義母さんが管理していた。

 それでも、五月のお金、源家のお金であることには変わりはないのだが。

 ただ、この辺りの事情を説明するには、まだ五月の心は定まっておらず、お義母さんから渡されたとごまかしたのだった。


「それでも多すぎるような気がするけどね……」


 マリリンもかなちゃんと同じようにあきれた様子で言う。

 それに対し、五月は苦笑いしかできない。


「ま、まあ、お金は大丈夫みたいだし、とりあえずあたしの一押しを履いてみようか」


 かなちゃんはそう言って、棚に置いてあるスパイクのうち、白い革のものを取り出した。

 五月は靴を脱ぎ、そのスパイクを履く。


「あ……」


 その瞬間、五月に衝撃が走る。

 例えるなら、一目惚れ。

 恋をしたかのように、胸が高鳴る。

 この子に出会えたのは、運命のように思えた。

 何も履いていないかのように、この子に足が包まれて、一体となった感じがする。

 今まで履いた、どの靴も霞むほど、この子は五月と一体となっていた。


「……何て名前なの?」


 一目惚れした彼の名を知りたいのと同じように、この子のことが気になって仕方ない。


「『ホワイト・ウィング』っていう、短距離用のスパイクだよ。気に入った?」

「……うん」


 どこか、夢見心地。

 もう、この子以外、考えられなかった。


「よろしくね」


 五月は、この子と一緒に走ることを決めた。



 ※



「ありがとうね。これからもよろしくね」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 五月は、スパイクのほかに、水色のランニングシューズ、タイツ三着を買い、かなちゃん、マリリンも一緒にいくつか買ってお店を出た。


「今日はありがとね」


 みんなで歩きながら五月が言った。

 久しぶりの友達との休日は、とても楽しくて、一緒に過ごしてくれた二人には感謝があふれてくる。


「どういたしまして。ま、あたしたちも楽しかったし、これからもっと一緒にいるんだから、遠慮しないで、どんどん頼っていいからね」

「そうそう。ワタシたち、もう友達なんだから」


「友達」。

 一度は失ってしまったもの。

 でも、再びできた。

 今日みたいな、かけがえのない日常をくれた。

 そんな彼女たちと、これからも一緒に過ごせると思うと、胸が躍る。


「……うん。ありがと」


 自然と、笑顔になる。

 そして、彼女たちに、恩返ししたくなる。

 それからは、お昼ご飯を食べるために、近くのファミレスへ向かいながら、何ができるか考えた。


(……あ)


 ふと思いついた。

 今は四月の半ばだ。あと一週間もすれば、千渡村では桜が開花して、来週の土曜日には、満開になる見通しだ。

 ちょうど、源家の敷地である源神社の高台に、隠れたお花見スポットがあるのだ。

 そこで、お弁当を食べながら、お花見をする。

 新しい友達への、最高のお返しだと思った。


 ただ、不安もある。

 先日の雪崩があったために、色々と村が悪く言われていたからだ。

 はたして、二人は大丈夫なのか。

 五月は考えた。

 報道陣はどうか。

 今は、全く見ない。

 不審な輩はいるか。

 聞いたこともない。


 ……イワキダイキは?

 ……おそらく、大丈夫だろう。

 最近は目撃していない。

 それに、六月でもないから、あいつが出没する時期でもない。

 だから、まだ安全な時期だと思ったので、五月は二人をお花見に誘うことにした。


「……ねえ、二人とも。今度わたしの村で、お花見しない?」


 二人は互いに顔を見合わせてから、五月に顔を向けていった。


「もちろん!」


 こうして、三人は源神社でお花見することになった。

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