便利屋ヨシュアの黙示録

@etsurico

第1話

【ハルマゲドン】


それは今からは15年前に起こった、世界崩壊の大災害である。

全世界の人口は1/10まで減り、生物が生息できる面積も半分以下に減った。

文明は跡形もなくなり、生態系は崩壊した。

運悪く生き残ってしまった生命たちは安心して暮らせる土地を求め、大移動を始めた。

全人口の1/4は南へ、そして1/4は北へ、1/4は東へ向かい、残りの1/4は新しい環境に適応できず、死に絶えた。


そして南は辿り着いた一団の中に、俺は居た。

まだ言葉もまともに話せないクソガキだった俺は、一団の中にいた奴隷商人に拾われてここ、後にラオデキヤの街となる土地に流れ着いたのだ。

それから今日まで、奴隷商人のいびりにも負けず成長し、果敢に逃げ出して、飢餓や病気にも負けず、なんとか死なずに生きている。



「おい、便利屋!お前また昼間っから酒飲んでんのかぁ?まだ未成年だろう!」


地下酒場の店主、イサクは俺の頭を小突きながらお決まりのクソジョークを耳がビリビリするほどの大声で怒鳴りながら、大笑いした。


「んだよ、うっせーなぁ…仕事がねぇんだよ。それに未成年なんて概念、もうこんな世界では消失してるだろうが。」


こちらもお決まりの返答で毒づいた。ギシギシとうるさいボロ椅子に深く腰掛け、何が入ってるのかよくわからない「ビール」と呼ばれる酒をぐいっと飲み干した。苦味のあるぬるい液体が喉を滑り落ち、胃の中に溜まっていく。ゲフッと腹に溜まっていたガスを吐き出し、ゴトンッと通常より強めな力でグラスをテーブルに戻した。「おい、割れちまうよぉ!」とイサクがいちいち声をあげるが、それは無視だ。ちょっと酔ったかもしれないな、と自覚した途端、目の中に砂粒が入った時のように視界に靄がかかり始めた。ううむ、瞼が重い。どうせ仕事なんてないんだこのまま寝ちまおうか、と机に倒れこもうとした瞬間、俺の体は突然浮かび上がった。


「ウッ、ウワアアァッ!!!」


なにが起こった、と混乱した頭をフル回転し、状況を理解しようと周りを見回した時、モフッと腹周りに柔らかな毛皮があたっていることに気がついた。


「もウ〜、またココにイたのォ?ルゥ、ずっとサがしテた!お客サン、来てるヨ、博士!……ジャなかった、所長!」

「お前かよ…。」


俺を突然宙に浮かせ、衆人環視の中絶叫させた張本人、ルピコ=マリア、通称ルゥは俺を抱え上げたまま変なイントネーションで小言を並べた。

腕と下半身はウサギの獣人、上半身と顔は人間、でも中身はアンドロイド用の機械が詰まった世にも奇妙な生き物だ。


「下ろせっ!」


俺がもがくと、ルゥは「仕方ナいナ」とため息を付き、俺を地面におろした。しかし俺の胴体から離れた手は、そのまま俺の服の襟を掴み、けして逃さないとでも言うように握り締めている。


「おっルゥちゃん、ダメ旦那のお迎えかい?いつも大変だねぇ。」

「ウン、所長いつもサボる。ルゥ、大変。」

「うるせぇ!おい、オッサンお代ここに置いとくからな!」


俺が飲み代の1/10にも満たない金をテーブルに叩きつけ逃亡しようとすると、ルゥが目敏くそれに反応し、俺の襟首を思い切り後ろに引き戻した。途端に押し潰される気道と頸動脈。「グエェッ」と盛大にうめき、地面に引き倒された。顔を真っ赤に染め、苦しみでのたうち咳き込みながら、首と胴体が離れてやしないかと確認してみるが、良かった、ちゃんとついてる。

やっと咳が収まり、地面にへばりついたまま涙が浮かぶ目でキッとルゥを睨みつけると、2メートルも上背があるルゥは無感情な冷たい視線で俺を見下ろしていた。


「所長、チャんと払ワないと、メッ。おジさん、生活、困ル。おジさんノ子供、飢えテ死ヌ。」


ルゥはしゃがんで俺のジャケットの背についている金具に、ハーネスのリードを取り付けると、イサクに勘定を払って俺を赤子のように抱え上げた。


「おいっ離せ!馬鹿!やめろっ」


もがく俺を他所にイサクとルゥは「いつも悪いねぇ」「ゴ馳走様でシた」などと挨拶を交わし、それが済むとルゥは俺の訴えなど聞こえないふりをして、一瞬しゃがむと次の瞬間、空に飛び上がった。俺が喋っている途中で飛んだせいで、思い切り舌を噛んでしまった。足の下を思い思いの形で作られた建物の屋根が流れ去っていき、俺達の体は地上へ落ちていく。下に着いたらまた、飛び上がった。ビュンビュンと風が肌を切るような速度で通り過ぎ、俺は堪らず風除け用のゴーグルをかけた。


「おいッヘメェッ!舌(ひた)はんだだろがっ!」

「アッ、そダ!所長、口閉じテてネ。舌噛んジャうヨ。」

「もうッはんでふわああぁ!!!」


俺の心からの絶叫はラオデキヤの街に吸い込まれて、消えていった。


ーーー


「お待たセしまシた。」

「……どーも、便利屋の所長です。ご用件をドウゾ。」


ルゥが最後にとびきり高く飛び上がり、ドスンッとド派手な着地音と土埃を巻き上げて、俺達がいつも根城にしている岩の空洞の中にある事務所に辿り着いた。

モウモウと沸き立つ土埃の向こう側からは、ケホケホと控え目な咳払いが聞こえてくる。

高く、か細い。女だ、それもまだ若い。土埃のカーテンが落ち着いてきた頃、その向こう側から現れたのは、身奇麗な格好をしたイタチの獣人の女性だった。


「ケホッケホッ…すみません、砂が気管に入ってしまって…ウッ、ゲホッ」

「ルゥ!水!」

「アイアイサ!」


ルゥが木彫りのコップに水瓶から水を汲み、女の前に置いた。女は目でルゥにお礼を言って、ゴクゴクとそれを飲み干した。


「ハァ…失礼しました。ワタクシ、イタチ族の首領の娘、ゴメルと申します。実は…数日後に結婚式を控えている私の婚約者のホセアが行方不明になってしまったのです。」

「ふーん。」

「チャんと聞ク!」


俺が鼻をほじりながら空返事をしていると、ルゥが頭を殴りつけてきた。痛い。仕方なくキチンと依頼人の前に座り直し、姿勢を正した。


「あんたの婚約者を探しだせばいいんだな?で、心当たりは?いつからいないの?」

「質問ハ一つずツ!」


また後頭部をガツンとやられる。俺の脳細胞はもう幾つ死んでしまったんだろうなぁ。

ゴメルは瞳に涙を浮かべながら、ポツポツと喋りだした。


「ホセアは花嫁衣裳の飾りのためにと言ってオリーブの枝を取りに、テアテラの森に向かいました。あそこには魔女が住むと言われていますから、私は行かないでと何度も頼んだのですが…。」


ゴメルの目にみるみる涙が溜まり、堪えきれなくなった一粒が頬の上を滑り落ちていく。


「彼はきっと、テアテラの魔女に捕えられてしまったのだと思います。お願いです便利屋さん、報酬はいくらでもお支払しますから、絶対にホセアを見つけて来てください!」

「いくらでも!?そいつはすげえ!じゃあとりあえず前金で銀貨30ま、イデェッ!!」


机に乗り出してゴメルに手を差し出す俺に、またルゥの鉄拳制裁が飛んできた。喋っている最中に殴られたせいでまた思い切り舌を噛んでしまい、尋常じゃない量の血が口から溢れ出てくる。先程まで泣いていたはずのゴメルですら、俺の惨状に顔を引き攣らせて固まっていた。


「お客サン、お金ハ終わッテかラ。ウチは成功報酬制だヨ。」

「あっ!おい、バカッ!むぐっ」


バカ正直なルゥを黙らせようとしたら、逆に俺の方がルゥの手に口を塞がれて黙らされてしまった。ルゥの手を外そうと暴れても、全くビクともしない。恐ろしい怪力だ。俺が押さえつけられてる間にルゥは報酬の説明をし、契約期間を三日と定め、ゴメルを帰らせてしまった。


「ングゥッ、ぷはっ!おい!ばかルゥッなんで帰しちゃうんだよ!いくらでも払うって言ってんだから、貰えるだけ貰っとけばいいだろう!?」

「博士…アっ間違えた、所長!そレはダメ。それはズルだかラ。嘘はイケなイ。」

「このぉ……バカ正直野郎!!」


勝手にしろ、と俺がプンプンしながらルゥに背を向け部屋を出ていこうとすると、即座に背中につけられたハーネスをすごい力で引かれ、ルゥの所まで弾丸のように飛び戻ってしまった。背中がルゥの胸に打ち付けられ、あまりの衝撃と圧迫感に息が詰まる。ルゥは呼吸が出来なくて苦しむ俺を優しく抱き上げると、さすさすと撫で、そのまま背中に乗せた。


「所長、期限マで三日しカなイ。モウ、行くヨ。チャんと捕マって。」

「おいっまてまてまて!まだ何も準備してねぇッ!」

「行きマすッ!」


ルゥの足の筋肉がモリモリと盛り上がったかと思うと次の瞬間には街の上空に飛び上がっていた。ビュンビュンと足下を過ぎていく町並みを見下ろしながら「俺の言うことを聞けぇー!」と絶叫しても、その声は誰にも届かなかった。


ーーー


ラオデキヤの街からテアテラの森まで、ルゥの脚を持ってしても半日かかった。これだけ遠ければ、イタチ族のホセアが来ようとしたら一日半、あるいは2日かかって到着するくらいでは無いだろうか。とにかくものすごく遠かった。出発する時には南の空に輝いていた太陽も既に地平線の向こうに消え、代わりに欠けた月が空の支配者として君臨していた。

テアテラの森は鬱蒼と茂った木々が幾重にも折り重なり、一片の月明かりも通さない程の暗闇を湛えていた。それだけでも不気味だというのに、そこかしこから怪しげな鳴き声がいくつも聞こえてくる。この森、もしかして魔界に繋がっているのではないだろうか。だとしたら善良な市民の便利屋さんには手に負えない案件だぜ。エクソシストにでも頼んでくれ。

そんなことをぐるぐる頭の中で逡巡しながら立ち尽くしていると、ルゥがポンッと俺の背中を押した。


「所長、大丈夫。怖クないヨ。ルゥ守るカら。安心しテ、行こウ。」


ルゥが眼差しを細めてそう優しく語りかけてくるが、俺は別に怖がっているわけではない。こんな暗闇では敵がどこから来るかわからないので、万全を期すために朝まで待つべきだと思っていただけだ。だから、もちろん、けして、怖がっていたわけではないのだ。


「さァ、いコうッ!」


バンッとルゥの馬鹿力で叩かれた勢いで、俺はテアテラの森へ一歩踏み入ってしまった。

森の中は完全なる闇に染まっており、右も左も上も下もわからないほどの漆黒が支配していた。ジャケットの内側を探り、小型ライトを取り出し点灯する。

その瞬間、目の前に超大型の魚類の顔面がぼうっと浮かび上がり、心臓が縮み上がって思わず悲鳴を上げてしまった。と言っても驚きすぎて、声ではなく人が感知できないような超音波の悲鳴が出た。怖すぎると超音波の悲鳴が出る、俺は新しい知見を手に入れた。

目の前に現れたその魚類は俺たちを前にしてもピクリとも動かなかった。姿を捉えられた瞬間、襲いかかられてもおかしくないものなのに。訝しんでジリジリと睨み合いを続けていると、ルゥが突然その魚類をデコピンした。バコンッと派手な音を立て、弾かれた部分が吹き飛んだ。しかし魚類は微動だにしない。

なんなんだ?


「所長、コイツ死んデるヨ。もウずっと前ニ。カチカチだ。」

「あっ、おい!」


そういうとルゥは更に魚類の頭を弾き、また一部を吹き飛ばした。死んでいるのは本当なんだろう。恐る恐る俺も近づいていき、ペタリと魚類に触れてみる。硬くて、冷たい。まるで岩のようだ。これは化石、なのだろうか。よく考えたらこんな森の中に魚類がいるなんておかしな話だ。もしかしたらここは大昔、海だったのかも知れないな。

はるか昔、一瞬で世界を一変させられる兵器が存在したと聞いたことがある。その兵器は地表を焼き、海を吹き飛ばし、生態系を大きく改変させる程の力を持っていた。兵器を使った後、生物や植物は奇妙な形に変形したり、大型化したりしたらしい。

その影響で生まれたのが獣人だ。知能を持たない動物と、知能を持つ獣人に種族の袂を分かち、それが今まで続いている。

この魚類も恐らくその爆弾の影響で大型化し、その後生息していた海自体を吹き飛ばされ、このように一瞬で化石となってしまったのだろう。

魚類の哀れな一生に思いを馳せるのをやめ、俺達はとりあえず先に進んだ。と言ってもどこへ向かえばいいかわからないから、まっすぐ歩いていく。進むに連れ、段々と森の中の様子が変わっていった。がっしり太く隆々とした木々たちは、今や蔓が垂れ下がり、クネクネと曲がりくねった植物に変わっている。なんだか蒸し暑くなり、甘ったるい匂いも漂ってきて、居心地が悪い。ソワソワもぞもぞしていると、ルゥが突然俺の服を引っ張り「アレ」と声を発した。ルゥが、見据える方に俺も目を凝らすと暗い闇の中のその先に薄っすらとだが光のようなものが見えた。ぼんやりしたその光は、俺達を手招くようにゆらゆらと揺れている。


「完全に怪しいじゃねぇか。確実にやべえ感じがビンビンだが…あそこに行くしかないよなぁ……。」


警戒しながらそちらへ向かって歩いていく。近づくに連れ、甘い匂いは更に濃くきつく、体中にまとわりつく。頭がクラクラする。これは嗅いでは駄目なやつだと頭では思うのだが、体はもっと嗅ぎたい、この匂いを体中に満たしたい、と俺の理性を無視しようとする。ジャケットの内側から携帯ガスマスクを取り出すとそれで鼻と口を覆った。だいぶ匂いは薄れ、頭もはっきりとし始めた。ルゥにも必要かと思ったが、なぜかルゥは平気そうにしている。

光のすぐ近くまで来ると、様々な音が聞こえてくるようになった。水が流れるような音、ぐちょぐちょと粘度のある液体をかき混ぜているような音、パンパンと何かを叩いてるような音、それに甲高い人の声のようなものや苦しそうな息遣いまで聞こえる。確実に誰かいる。テアテラの魔女か、行方不明のホセアか。俺たちは用心しながらゆっくりと近付き、木々の間からこそっと光の中の様子を伺った。

光で照らされた場所は木々は生えておらず大きな空間になっていた。水を湛えた大きな岩の塊が中央に聳え、上から下へ大量の水が常に流れ落ちている。そして、その中心には大きな平たい岩が置かれていて、その上で何やらもぞもぞと動いているものが見えるんだが…。よく目を凝らしてみて、俺は思わず声を上げそうになってしまい、咄嗟にルゥに口を塞がれた。


「所長…シィッ」


コクコクと何度も頷き、ルゥの手は離れていったが、俺はあまりの衝撃に自分の目が信じられなかった。平たい岩の中心、そこには真っ白なイタチの獣人が、こちらに背を向ける形でひざまずいていた。少し前傾し、腰が揺れている。そいつの腰の辺りからは、肉厚な人間の肌を持つ脚が二本ニョッキリと突き出し、獣人の腰の動きに合わせて、ガクガクと揺れていた。そして漏れ聞こえる息遣いに、甲高い声。


これは、姦淫だ。


ルゥの手が俺の耳や目を塞ぎ、音や視界を遮断してくれたが、俺は既に初めて見る光景に心乱され、動揺してしまっていた。だから、自分達に忍び寄る気配に全く気付いていなかった。

突然俺の足首に何かが絡みつき、逆さ吊りになって釣り上げられ、光の灯る広場へと放り出された。「所長ォッ!」と叫ぶルゥの声が遠くの方から聞こえる。


「あんらぁ?可愛いお客さんねぇ。」


ひどく甘ったるい声が聞こえてきた。咄嗟に地面に突っ伏していた身体を起し、声がした方に向かって、ナイフを取り出して構える。


「やだぁ、そんなの出さないでよ。怖いわねぇ。」


平たい岩の上から女がこちらを覗き込んでいる。下半身に覆い被さる獣人はそのままに、女は上半身を起こし、気怠そうにこちらを眺めて妖艶な笑みを浮かべていた。ぺろりと唇を舐め上げる仕草に、ドキリと心臓が跳ねた。女はたっぷりとした長い髪をかきあげ、豊満な乳房を隠そうともせず、こちらに向かって挑発的な視線を送ってきた。


「最近はいい獲物が飛び込んできて嬉しいわぁ。この獣人だけじゃなく、坊やもたくさん可愛がってあげる。私はイザベルって言うのぉ、よろしくねぇ。こちらへいらっしゃい、怖くないわよ。」


行ってはならない、と頭ではわかっているのに、体が言うことを聞かない。重い一歩を踏み出し、女に近づいて行こうとした。その時、俺の目の前に2メートルはあろうかという巨大な物体が空から降ってきた。

白い毛の生えた足に、白い毛の腕……


「ルゥ!」


助かった、救いの神が来た。縋るようにルゥを見上げてしまうのが情けないが、この時ばかりは本当にルゥが神様に見えた。


「所長、アいツ、魔女だヨ。変ナ匂イと魔法デ体操ろウとシてる。」

「なぁにぃ、あんたぁ。見たところ、雌じゃぁない?雌はぁ、不要なのよねぇ。シッシッ、帰りなさい。」


話す合間に挟まる甘く甲高い声が、心をざわつかせた。落ち着け、と自分に言い聞かせ、ルゥの背中によじ登った。


「ルゥ、油断した、悪い。あの女にくっついてるあの獣人、恐らくホセアだ。傍らにオリーブの木の枝が落ちてる。あの魔女からなんとか切り離して連れて帰るぞ。」

「了解。」


コクリと頷いたルゥは次の瞬間飛び上がった。イザベルとホセアのいる岩へ向かって突き進むが、突然横から現れた触手が俺達を横殴りに叩きつけた。吹き飛ばされた俺達は空中でなんとか態勢を立て直し、またイザベルめがけて飛びかかっていく。触手はイザベルを守ろうと俺達の前に襲いかかってくるが、ルウの爪がそれを引き裂き、ダンッと岩の上に着地した。ホセアはこんな状態でもまだ腰を振っていた。


「あぁん、強いのねぇ。私の触手ちゃん傷付けるなんて、ひどいわぁ。でも大丈夫よ、まだまだたっぷりあるんだからぁ。」


イザベルの背後に聳え立つ岩の向こうからニョキニョキといくつもの触手が突き出てきて、俺達に向かって襲いかかってきた。


「所長ッ!捕マっテ!」

「おうっ!」


ルゥは触手を次々に切り裂き、どんどんイザベルたちとの距離を詰めていく。もうあと少し手を伸ばせばホセアに手が届くというところまで来た次の瞬間、俺達の体はガクッと引き戻されまた逆さ吊りに釣り上げられた。最初にルゥが切り裂いた触手が背後から忍び寄り、ルゥの足首に絡みついていたのだ。


「んっふっふっ、つ〜かま〜えたぁ。」


イザベルが殊更ねっとり嬉しそうな声を出し、その声に呼応するかのようにホセアの動きは速まり、イザベルは歓喜の声を上げた。気が狂いそうだ。

俺達に襲いかかっていた触手たちがざわざわと岩の後ろに戻っていき、俺達はゆっくりとイザベルの目の前まで連れてこられた。


「雌は必要ないから、後で触手ちゃんたちの養分にするとしてぇ、坊やは良いわねぇ。これから何十年もワタシを満足させてくれそう、んふっ。」


ゾゾゾっと背中の毛が全て逆だった。俺もホセアのような、この女の、姦淫の奴隷になってしまうのだろうか。


「所長ハ、ルゥのモノだかラ。オ前なンかニ、渡スものカ。」


ルゥが逆さ吊りの状態から身体を捻らせ、イザベルを引き裂きにかかった。左の乳房から頬にかけて、ルゥの爪の形にぱっくりと切り裂かれ、そこからドロリとドス黒い色をした血が溢れ出す。それを見たイザベルはブルブルと震えだし、この世のものとは思えない恐ろしい叫び声を上げた。


「なぁにすんのよテメェ!ワタシの自慢の肌に傷跡残すなんて上等じゃないの!今すぐ塵にしてやる!!」


そうイザベルが叫ぶと、ホセアの体はビクンと一瞬強張り、その後全身の力が抜け、ガックリと倒れ込んだ。俺は隙をついてルゥの背中から飛び降り、ホセアに駆け寄って、岩の端まで引きずっていった。ホセアは頬がこけ、白目を向き、泡を吹いていた。あのまま搾り取られ続けていたらきっと死んでいてだろう。俺は特製の気付け薬と精力薬を飲ませてやり、せめてもの情けでオリーブの枝をホセアの股間にのせて隠してやった。


「あんたぁ…絶対、絶対許さないぃ…!殺す…殺してやる…!」


物騒なイザベルの遠吠えが聞こえ、そちらに目を向けると、髪を振り乱し傷だらけになったイザベルと、全く無傷のままのルゥが対峙している所だった。イザベルの膝はがくがくと震え、今にも崩れ落ちそうだ。

ルゥがチラッと視線だけこちらによこし、俺を見た。イザベルもそれにつられ俺を見ると、ニィっと目を細めて邪悪な笑みを浮かべた。

そしてそのままの顔でこちらに飛びかかり、迫ってきた。


「ヒッ、わ、あぁっ」


咄嗟のことに避けることも出来ず、目を固くつぶり、体を襲うであろう衝撃に備えていたが、予想外に叫び声を上げたのはイザベルの方だった。


「ンギャヒイィィッ!」

「成敗!」


チラリと目を開けると、ルゥの手には膝下から千切られたイザベルの足が握られ、目の前で崩れ落ちているイザベルはなくなった左足の膝を押さえ痛みにのたうち回っていた。


「ルゥ!」

「所長、大ジョブ?怪我ナイ?」


ポイッとイザベルの片足を放り投げ、ルゥはこちらに近づいてきた。イザベルの存在など忘れたかのように、平気でイザベルの上を踏み歩き、背中の上にしゃがみ込んだ。


「ない!大丈夫だ!」

「ソう、ヨかっタ。」

「キエェ!あんた、どきなさいよ!重い!潰れる!」


最初の色気は何処へやら、イザベルは半狂乱になってルゥの下でもがいていた。


「ホセア、死にそウ。早ク連れテ帰らなキャ。」

「そうだな。超特急で帰るぞ。」

「ウンッ!」


俺はルゥの背中によじ登り、ルゥはホセアを肩に抱え上げた。片手にはきちんとオリーブの枝を持ってあげている。そしてイザベルの上で立ち上がり、飛び上がろうと力を込めたが、思い出したように力を抜きイザベルを見下ろして口を開いた。


「オい、女。報復スるなラ、私ガ何度でモ受けテ立ってヤる。デもルゥは負けナい。今度ハお前の手足全部抜ク。」

「何よこいつ!こんなひどい目にあって、報復なんてしないわよ!早く帰りなさいよ!」

「なラ良イ。ジャ、バイなら。」


今度こそルゥは飛び上がり、戦闘の疲れを感じさせない速さでラオデキヤの街へと飛び帰った。ゴメルの元へ連れて行く前に、適当なシャツとズボンをホセアに着させてやり、送り届けた。ゴメルは泣いて喜び、すぐに病院へ連れていき、ホセアも一命をとりとめた。目が覚めたホセアは森に立ち入ったあとの事は何も覚えていないようだった。俺達も森で倒れているのを見つけたとしか報告せず、報酬の銀貨30枚を貰って家に帰った。

家に向かって飛ぶ、ルゥの背中で俺はポツリと引っかかっていたことを呟いた。


「なぁ…ホセアが森でしてたこと、ゴメルに言わなくてよかったのかな…。」


ルゥはしばらく無言で飛び続けていたが、やがて「いイ。」と簡潔に答えた。その声があまりにも冷酷で、他の質問を一切受け付けない空気が含まれていたので、俺はそれ以上何も聞くことができず、家につくまでの間ずっと口をつぐんでいた。


「所長、森デあっタこと、ゴメルは知ル必要なイ。」


そうルゥが口を開いたのは、その日の夜俺が湯浴みをして良い気分で獣乳を飲んでいた時だった。


「アの時ホセアは操らレテいタ。自分ノ意思でゴメルを裏切リ、アの女ト姦淫しタンじゃナい。不可抗力、だかラ、ゴメルに伝える必要はない。例え、ホセアに記憶ガ残っテいたトシても。」

「そうかぁ……って、ホセアにはあの時の記憶が残っているのか!?覚えてないって言ってただろ?」

「アれは嘘。アの時ホセアは、まバたき全然しナカッた。呼吸が変ワッて、何度モ同じフレーズ繰リ返しタ。確実ニ、ホセアは覚えテる。」


嘘だろ?じゃあ、ホセアはあの時の記憶を覚えていながら、それを隠して今後の一生をゴメルと過ごすってのか?そんなの、気が狂いそうだ。

ルゥは俺の狼狽に気づいたのか、こちらを向いてニコリと微笑むと「大丈夫ヨ、あの二人はキッと大丈夫。」と囁いた。そのルゥの声があまりにも優しく慈愛に満ちていたので、ならいいかぁと納得してしまった。


「サっ、もウ寝ヨ。明日カらモたくサんオ仕事しナキャ。困っテル人助けルヨ!」

「えーッ今日めちゃくちゃ稼いだんだから、しばらくは仕事しないでいいじゃねぇか!」

「ダメ。労働ガ人を成長サセるンだカラ。ジャ、おヤスみ。」


ルゥは俺の返事も待たずにロウソクの火を消して、サッサッと眠ってしまった。規則正しい寝息が早々に聞こえ始める。仕方なく俺も自分の寝床で寝返りを打ち、目を閉じた。


明日はどんな依頼が来るのだろうか。どんな依頼にせよ、俺とルゥなら大丈夫だ。

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