NPCの彼女を殺す方法は千個あるのに二人でディストピアで生き抜く方法は一つもない
小早敷 彰良
プロローグ
晴れの日は気分が良い。
何も用事がない朝という時点で、素敵なものだ。
それにも関わらず、今日も自宅を構える小さな草原には、柔らかな陽射しが差し込んでいた。
「おはよう、Dさん。」
「おはようございます。今日も良い天気ですね。」
そんな朝に、一番に言葉を交わすのは彼女、私がDさんと呼んでいる、愛すべき黒髪の乙女だ。
これを幸福の絶頂と呼ばずしてなんと呼ぶ。
彼女の目は赤く丸く、意志の強さを反映したように強い光をたたえている。
長い髪は頭頂部で緩く結ばれて、痩せた顔立ちを引き立てていた。
彼女の顔を眺める至福の時間を味わう為に、私はわざわざ台所に設置している大棚の一区画を撤去して寝床のようにして、台所が必ず見える位置に布団を敷いていた。
彼女は台所で、いつもの様に卵を割り、肉を焼く。煮込まれた野菜が汁椀によそられて塩気のある湯気を立てている。
「今日も美味しそうだ。」
当然だと言わんばかりに彼女は微笑み、料理を続けていく。
あと数分もしたら出来上がるご馳走を見やりながら、私は起き上がる。
この数分の為に、私は生まれてきたのだと思う。
悲しい真実だけれど、起きれば一日が始まってしまう。
働いていた頃も辛かったが、こうして愛する人と暮らし出してからは一段と辛い。
「あー、動きたくない。でも食べていく為には仕方ないよな。」
独り言で自分に言い聞かせ、慰めて、ようやく動き出す。
寝間着を普通の服、この世界で標準的に着られている丈夫な草色の服、に着替えて、軽く屈伸運動をする。それだけで私の朝の準備は完了した。
働いていた頃だったらスーツを着て、昨日まで読んでいた本を鞄にしまうまでしなければならず、きっとあと一時間はかかっていたはずだ。
「じゃあ朝ごはん前にちょっとだけ行ってくるよ。鍵はかけておくから絶対に開けないでね。」
「いってらっしゃい。」
彼女がゆるゆると微笑んだ。
彼女に、私が朝食を食べる気がないと判断されない為には、配膳されてから三十分以内に帰ってくる必要がある。
最適化された動きで周回すれば、二十分程で帰ってこられるが、今日も上手くいくだろうか。
「いってきます。」
「いってらっしゃい。」
二回目の言葉にもきちんと返してくれる彼女は、天使のように可愛い。
※
「あー今日もかかってんな。」
家に続く坂を降りた先に、設置しておいた罠には、獣がかかっている。
今日は四匹、多い方だ。
随分暴れたらしく、どの獣の身体も深い切り傷がいくつも走っていた。
「最近毛皮の質が良くないって怒られたな。」
つまり、罠の攻撃力が上がっているということ。
どうやら、私の罠の製作スキルは上がっているらしい。
今度からは敢えてもう少し緩く、攻撃力を抑えて作るべきだろうか。
けれど万が一逃げ出した獣が家にやってきて、彼女に遭遇したらと思うと、加減が難しい。
獣の皮は私の収入源の一つだ。少しも無駄には出来はしない。
傷があるとはいえ、端切れとしては十分使えるはずだ。
私は作業に取り掛かる。
やるなら早く加工しなくてはならない。
死んで時間が経ったものを加工すると血合いが悪く、見栄えが悪いことは、買取業者からよく聞かされているため、わかっている。
この場で処理をしても良いが、そうなると三十分で帰るのは無理だ。
かといって放置するのも、罠に損害が出る恐れがある。
だから今は、罠から外すくらいの処置に留めておこう。
私はその自分の背丈ほどもある獣の身体を、悪態をつきながら持ち上げて杭から外し、端に掘っておいてある溝に重ねていく。
こうすることで血溜まりで汚れる土は最低限で済むのだ。
彼女の朝食を食べ損ねることに比べたら、毛皮の買取金額が下がろうが、些細な問題だ。
愛の力は偉大だな。
昔は絶対にしなかった緩い考えを浮かべながら、手早く作業を進めていく。
獣の着る服のポケットから財布が落ちる。
このところの獣は、随分と羽振りが良い。
人の家を襲おうなんて考える盗賊風情が、こんなに厚い財布を持っているとは。
有り難く金銭だけ抜き出して、同じく溝に放り込む。
財布は革製品のようだ。後で毛皮もとい服と一緒に洗って、古着屋にでも持っていこう。
これと同じ作業を十回もしなければならないとは。我ながら罠を仕掛けすぎだ。でも万が一を考えるとなぁ。
ぽりぽりと頭をかきながら、黙々と次に取り掛かる。
この分だと今日の収穫量は多そうだ。
彼女が朝食を処理する前に帰らなければならないってのに、嬉しい悲鳴である。
※
都市伝説をご存知だろうか。
どの、と返される質問を投げかけて申し訳ない。
エレベーターの特定のボタンをある法則で押すと異世界に行けるというものだ。
もしかしたらやったことのある人もいるかもしれない。
検索すれば直ぐに出てくるくらいだ。
数十階建てのビルでしか実行出来ないが、難易度はかなり易しい部類だ。
そう考えた私は、ある早朝出勤の日に魔が差してしまった。
オフィスにつけば書類の山が目に見えていた為の逃避だ。
村上春樹作品の異世界転移だって、もう少し難しいのだから、まさか成功する道理はない。
そして、成功した。
だから神はいないと言われるのだ、と私は叫んだものだ。
少し仕事に嫌気がさしただけで、私は本気で異世界に行きたかった訳ではない。
激務ではあるが充実した仕事はやる程に利益を上げて、評価は上がっていくのを感じていた。学生時代から勉学に励んで乗ったレールは少しの失敗で揺らぐものではない。多少失敗しても訓練として大目に見られる。
そんな地位にいたことが今や懐かしい。
※
「今日も美味しそうだね。ありがとう。」
配膳された食事を前に静かに微笑む。
食事に味を感じたのは、この世界に来てからだ。
それ以前は、常日頃からカロリーメイトに頼っていた。
いや、それでもまだ食べている方だった。
基本的に食事はコーラとサプリメントだ。
批判されることもあったが、健康だったのだから仕方ない。
この世界に来てから気づいたが、自分は余程代謝の良い丈夫な身体のようだ。
彼女の料理は今日も絶品だった。
塩漬けされた後、よく焼かれた分厚い肉は、にんにくのような野菜のソースがかけられて香ばしい匂いを発しているし、穀物を炊いた主食はほかほかと湯気を立てている。
もちろん、汁物とサラダもついている。今日は新鮮な海藻類でまとめられていた。
今日も見た目も量も申し分なく、朝から沢山食べる気質である私には、この上なくありがたい食卓だった。
食材さえ用意すれば、彼女は自分好みの食事を毎日出してくれる。
彼女を愛する大きな理由のひとつだ。
「いただきます。」
「どうぞ。」
彼女は同じく手を合わせて、箸をとった。
暖かな日差しの中、愛する人と美味しい食事を頬張る。
これだけの幸福が世にあったなんて、転移前の私は知らなかった。
「美味しい?」
「うん、勿論。貴女は最高だよ、Dさん。」
彼女の誇らしげな微笑みを愛おしく思いながらも、もごもごと口を動かしながら手を止めずに食べ続ける。
今日かかった獣、もとい盗賊は十一人。
顔が残っている者は手配書と見比べて、賞金額を確認しなくてはならない。
食材を手に入れるには、やはりこの世界でも働かなくてはならないのだ。
愛しい彼女は食材さえ用意すれば料理してくれるが、用意できなければ、当然のことながら何もしてくれない。
つい、と彼女が窓の外に目を向ける。
「今日も良い天気ですね。」
「本当にね。」
彼女は食卓に目線を戻し、私の食べる肉を見ながら言った。
「どうぞ。」
どうやら会話が一周したようだ。
全く同じ会話、単語を繰り返す彼女に、私は相槌を打つ。
彼女が持つ言葉はごくわずかしかない。
基本として設定されている挨拶に、時間で変化する二つの言葉、天候や季節による数語。
それが彼女が発する言葉の全てだ。
彼女、「D地区の3番地に設置される料理人」の役割しかない「NPC」の宿命だ。
手を伸ばして、彼女の頭を撫でる。
以前までの世界でやったら、困惑が帰ってくるだろう仕草。
「どうぞ。」
彼女は変わらず、微笑んでいる。
なんと好ましい人だ。
私はうきうきと食事へと戻った。
※
この世界に来てしばらく、ゲームの世界にいる心地だった。
スキルとして宣言すれば、身体は勝手に動いて製作を実行する。
それが剣術だろうが罠作成だろうが、それが全てやったことのないことでも、だ。
なんて便利だ、と街中で感動する私を、鼻で笑う者と、そうでない者がいた。
自分と同じように知性を持つ者「PL」と、魂を持たないとされる知性の低い者「NPC」の違いを最初に実感したのも、その時だった。
「NPCを殺して落とすアイテムや金を集めるのが、市民として暮らすには楽ですよ。大丈夫です、すぐに同数のそれが湧きますから。」
そう話した男の顔はもう覚えていない。
確か同年代の男だった筈だ。
同じ異世界転移方法を試して、成功してしまったと話していた。
あの異世界転移方法は随分と成功率が高いらしい。
惜しむらくは、それを伝える方法がないことか。
※
食事を終えた彼女は、優雅な仕草で口を拭う。
何度見ても飽きない、贅沢な朝だ。
「今日は獣の収穫が随分と多い。毛皮も随分集まったし、明日には売りに行かなきゃならないぞ。明日になったら手伝ってね。」
頷きすら返さないが、伝わっていないわけではないことを私は知っている。
事前連絡は本来必要ない。
命令として発すればすぐにでも動くだろう。そういう性質だ。
NPCと最初に名付けた人物はきっと、ゲームを知っているPLに違いない。
「まあ世界のことなんて、どうでもいいか。」
恋愛をしている自分は、こんなにもなりふり構わなくなるとは思わなかった。
異世界に行けば実力の誇示を始める?
戦争で頭角を表す?
滅相も無い。私はただ、愛する人と暮らしたいだけだ。
その為には、NPCとして地位が最底辺の、すぐに殺されてしまう彼女を、守る必要がある。
「罠のところへ行ってくる。絶対に鍵は開けないでね。」
そう言わずとも、彼女は料理関連の動作か、待機中の読書しか行わない。
「いってらっしゃい。」
いつもの声色で、いつものリズムで彼女が言う。
ひらり、と手を振ってみるが、もう見てはいない。
恋をしている私には、すべて些細な問題だ。
「明日も彼女の作るご飯を食べる為に、頑張るか。」
結局のところ、この世界で働く理由はそれだけで十分だった。
NPCの彼女を殺す方法は千個あるのに二人でディストピアで生き抜く方法は一つもない 小早敷 彰良 @akira_kobayakawa
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