特殊職/肩代わり屋 ep5「日比野藍」
序文
枯れない井戸などないように、尽きぬ金山がないように、絶えない才能というものはない。
/
「肩代わり屋さん、肩代わり屋さん、私の重荷、代わってください──か」
どこかで聞いたフレーズを、なんとなく繰り返しただけだった。本当に呪文になっているだなんて、みじんも思ってはいなかったから……男は大変驚いた。
「……うーん。不思議だ。少しだけ……気持ちが軽くなったような、気がする」
後日、噂通りに男の持ち物が一つ減っていた。使い古したギターピックが何処かに行ってしまっていたのだ。男にとっては些細なことであったので、大した代償とも思わなかった。
男はアーティストだ。
初めて彼女の名を呼んだ時は、まだ駆け出しのインディーズのシンガーソングライターだった。
「……まあ、ちょっとしたプラシーボ効果だよなあ」
まだ無名の、子供たちの考案したおまじないに近しい小さなフレーズだったそれは、彼が作曲家として、あるいは歌手として名声を得る頃には立派な都市伝説に成り上がっていた。
/
発起
重さ……重いこと、その目方、度合い。
/
ある動画サイトで最近頭角を示しているアーティスト。
そして和肩にとっては、時々利用してくれるお客さま。
それ以上のつながりはなく、それ以上の説明は必要なかった。
「肩代わり屋さん、肩代わり屋さん、どうか俺の重荷を代わってくれ……」
(また行き詰まってるのね)
この頃の彼の重荷は、まだ全然軽いものだった。人の背負う重圧に重いも軽いもないと思うかもしれないが、和肩は物理的な重力としてその重荷を感じ取れるのだから仕方がない。
「はあ……本当に効くなあ、このおまじない」
なんであれ、誰かの心の支えに慣れているというのならば、重荷の多寡は関係ないのだが。
(何を『重荷』と感じるかは、人それぞれだしね)
例えば、周囲からの期待。
例えば、ファンからの重圧。
例えば、次はもっといいものを作れるはずだという自分への希求。
(自己評価が低いっていうのも辛いけど、高いというのもそれはそれでしんどいのよね)
基準が高ければ高いほどスランプというものには陥りやすい。今の自分の実力では満足できず、もっといいものが作れるはずなのにそうならないという自己嫌悪のループに陥ってしまう。
かといって、自分への期待がないというのもよろしくない。向上心をなくすようなものだからだ。そういう人は、そのうち新しいものを作り出そうという気力すら失うだろう。
つまりバランスだ。
自分の中で、今の実力では足りないという「飢餓」と、自分には伸び代が、才能が、才覚があるはずだという「期待」のバランスが大事なのだ。
(この人はそういうバランス感覚が上手だから、心配はしていないけど)
なにしろ、肩代わり屋の使い所がうまい。
和肩は正直感心していた。継続的に利用してくれる人の割には、頻度が低い。讐夜や道也のそれとは違い、和肩の仕事というのは依存度が強い。一度利用してしまうと、開放感に慣れすぎてすぐにまた利用するようになってしまう。
そのうちに心が麻痺して責任感を失ってしまったり、生への執着を失って危うく死ぬところだったりした依頼人がいたほどだ。
にもかかわらず、日比野はそのコントロールがうまかった。
本当に無理だ!と思わない限りは呼ばないのだろう。そして、肩代わり屋を利用すると必ず、必ず──行き止まりの迷路から脱するように──彼はスランプを脱して、曲を、あるいは、満足いく演奏を完成させていた。
そして、今日も。
「よし、あと少しだし。ガンバって詰めるか」
「頑張って~」
和肩が発声しても、日比野に届くことはない。和肩の声は、和肩を見ようとしないもの、和肩を本当の意味で必要としないものには聞こえなかった。
彼に作曲作業があるように、和肩にも次の仕事がある。和肩はするりと彼の部屋を後にした。
/
承前
行き止まり、立ち止まり、憤り。
/
男はインディーズアルバムの二作目を発表した頃に、また祈るように肩代わり屋を呼んだ。
「うわーお、ひどい惨状」
和肩が思わず感想を口に出すほどには、部屋中「惨状」としか言いようのない状況が広がっていた。床にはゴミが散らばり、机上に開かれたDTMソフトはまっさらな状態で、男は床に倒れ伏していた。
生きているので大丈夫だろう、というか、死んでいたら自分を呼べないだろうと和肩は判断し、いつも通りの「仕事」を行う。しばらく待っていると、男は床からゆっくりと立ち上がり……ゴミをまとめ始めた。そのほとんどがカップ麺やペットボトルのカラであり、彼がずっとこの場で作業をしていたことが窺われた。
まっさらなDTMは何もしていなかったわけではなくって、一度出来上がったものを全て消してしまったようだった。彼は乱雑に「変更を保存しますか?」という問いかけにNOを選びソフトを閉じ、まとめたゴミの袋の口を結ぶと今度は床ではなくてベッドに転がり上がった。
「ベッドに上がる気力があるなら平気そうね」
和肩が満足してそう呟いた瞬間、
「……誰だ、俺の部屋に勝手に上がってンのは……泥棒なら帰ってくれ……少なくとも今は……」
と、彼がただ一言そう言葉を発したので、和肩は思わず固まってしまった。
が、すぐに彼が自分がここにいることに気づいた──つまり、自分が見えるようになったわけではないことに気付く。
足の下に、エナジードリンクの缶が転がっていた。
「ああよかった……」
和肩は慎重に音を立てないように缶から足をどかした。男はベッドに突っ伏すようにして休憩しており、こちらの方を見る様子は全くない。
気のせいだったという結論に至ったようだ、と和肩は考えた、
(……こんなに行き詰まって、追い詰められているように見えるけど……あなたは
和肩は「無理はしないでね」と発声する。返事はない。
和肩は「私も貴方の曲、結構好きよ」と発声する。返事はない。
和肩は「応援しているけど、頑張れとは言わないわ。だってもう頑張っているものね」と発言する。返事はない。
あくまで聞こえないフリをするのか、あるいは本当に聞こえていないのか。
(本質的に強い人ね、本当に。このぐらいじゃないと、芸術なんてやってられないのかしら)
和肩はいつも通り、部屋を後にする。音を立てないように、細心の注意を払って。
「……」
男は起き上がらない。起き上がることができない。不摂生と睡眠不足がたたり、体力を使い果たしてしまっていたからだった。
「……はあ」
男はため息とも嘆息とも付かぬ声を漏らして、ベッドを転がり仰向けになる。
天井を眺めて、男はなんとなく「もう一度やってみよう」という気持ちになった。だけれど今は、少し眠ろう。もう二日ほどほとんど眠っていない。そう言えば、片付けたゴミの中に眠気覚ましに飲んだエナジードリンクの缶がなかったような。あとで拾っておかなくちゃ……
そのあたりで、男の意識は途切れた。
/
転換
(何も思いつかない。)
/
作れる者と作れない者の間にはよく断絶があるように語られるが、そういうことは一切ない。
誰だって最初は素人だし、今更初めて遅いなんてことは絶対にありません。
和肩がなんとなく買ってきた漫画雑誌の中に、彼のインタビューが掲載されていた。今注目のアーティストという触れ込みで、どうやらメジャーデビューにあたってこの雑誌に掲載されている漫画の主題歌を担当することになったようだった。
「立派なこと言うわねえ」
「なんですかそれ?」
「ちょっとお仕事で行ったことあるの、この人のところに。ほら、聞いたことない?ジジ、っていう……」
「ああ!最近よく名前を聞きますね。このまえ仕事をした時も噂されてました」
「俺の仕事先にもこいつのポスター飾ってるやついたな」
日比野は職業柄どうしても世俗に疎くなりがちな道也と讐夜でも知っているほど有名なアーティストになっていた。和肩はなんとなくそんなアーティストが自分の仕事を利用しているということを誇らしく感じたが、その反面、少し寂しくもなっていた。
「先々月ぐらいに、ゴミの山の中に埋まってたのよこの人」
「はぁー?」
「ああでもカンヅメしてそのまま死にかけそうな感じの人ですよね」
「ああ、そういう意味か……」
なんとなく思うところあって以前の仕事の時の様子を伝えると、二人はクスクスと笑ってその様子を話の種にし始めた。
その様子に満足したのか、和肩はちょっと得意げに笑ってから、インタビューの残りを読み始めた。
内容としては、だいたい、よくあるようなことが書いてあった。担当する漫画の感想だとか、曲を作るにあたって大事にしたこととか。
一番和肩の目を引いたのは、最後の一文として書かれた締めの言葉。
『苦しくてしんどくてたまらないという時にしか何も作れない人もいます。俺もそうです。だから、もし辛いなら、何かを作ることに手を出してみてもいいかもしれないって俺は思ってます。悩んでる時こそ、何かを始めるチャンスかもしれないですね』
(だからあんなに追い詰められるまでおまじないを言えないのね、この人)
和肩はどこか慈しむように笑って、そのどこか得意げに書かれたように見える一文を指でなぞった。
/
結実。
枯れた井戸に何も残っていないと誰が決めたのか?
/
「知ってるかい聴衆の皆、人間の想像力ってのには脳の機能的な限界があるらしい」
GZ初のワンマンライブが行われていた。
和肩は舞台袖から彼の様子を眺めていた。和肩がこんなところにいる理由はと言えば、当然彼の依頼によるものだ。舞台袖で真っ青な顔で目を見張る彼の姿はすこしばかり痛々しくすら感じたものだったが、和肩がいつも通りその「重荷」を取り除いてやれば、幾らかは見られる表情になり舞台へと歩いて行ったので、なりゆきで彼女はここから彼を見守っているというわけだ。
「だが想像力の限界がなんだ!俺たちは想像力だけで物を作ってるわけじゃない!そう考えながら書いた曲だ!聞いてくれ!」
日比野──GZは、声高にトークを叫びギターを構えた。イントロに合わせて顔つきが変わる。
奇しくも、和肩がエナジードリンクの缶を持って立ち去った日に作っていた曲だった。
奇しくも、あの日讐夜と道也との話のタネにした曲だった。
「──」
感嘆せざるを得なかった。曲がすごいとか、歌がうまいとか、そういう基準の話ではない。肉声で聞くからこその魅力が、そこにはあった。
動画サイトも何度か聞いた曲なのに、迫力が違う。鬼気迫る歌声が、必死にかき鳴らされるギターが、彼の命を燃やして彼の
(重荷っていうのは悪い物だとばかり思っていたけれど……)
あのインタビューにあった通りに、あのゴミ山の中で倒れ伏していた時間さえ、自分には「他者を満足させられる歌が書けない」と考えていたその時間さえも大事な物だったとするのなら、
それによってこの歌が結実したというのなら。
「案外、必要な物なのかもしれないわね」
演奏はピークに達し、GZの叫びが会場を覆う。そして最後に一瞬の静寂が訪れて……拍手喝采が、舞い散るように会場を覆った。
あの日死にそうな表情でベッドに登ったのと同じ顔が、最高の弾ける笑顔を見せている。
(うーん、何かもらって行こうと思っていたけど、あの笑顔を見ちゃねえ)
日比野が舞台袖に戻ってくるのを察知して、和肩は急いで会場を出た。
ライブのタダ見券をもらったということにして、今回は物質的な報酬は受け取らないでいよう、と考えながら。
/
蛇足。
/
「お疲れ様でした、GZさん!」
「……えーっと、出待ちはダメってルールじゃなかったっけ?」
「やだなあ、固いこと言わないでくださいよ」
「いや俺は別に気にしないけど、警備員とかに見つからなかった……?」
「ああ、その辺は大丈夫なんですよ。とにかくこれ、どうしても渡したかったんです。今日のライブ、すごく、すっごく感動したので!」
「あ、うん……ありがとう?」
少女が立ち去っていく。
押し付けるように渡された花束に目を落とす。よく見るとソープフラワーのようだった。石鹸で形作られた色とりどりの花の中に……一つだけ、くすんだ色の花びらが混じっている。
「これ……」
それは、彼がなくしたと思っていた古ぼけたギターピックだった。
「……! まさか、今のって!」
あわてて顔を上げた日比野だったが、彼女が走り去っていった方角にはもう誰もいなかった。
特殊職/ロストチャイルド 汐崎磨果 @Aosaki_S
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。特殊職/ロストチャイルドの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます