三章(4)

 パティスリーを飛び出すと、アデライドはエリクについて歩みを進める。

 エリクは軽く周囲を見回すと、近くにあったあまり客のいない屋台に並んだ。


「ねえ、エリク。視点を知るっていうことは、いろんな人に話を聞くのよね? どうするの?」


 彼の服の裾を軽く引き、アデライドは尋ねる。

 エリクはくいっと口角を上げながら言う。


「そんなの簡単だよ。正々堂々尋ねればいい。『あなたは革命前と今、どっちがいいって思いますか?』って」

「でも、怪しまれないかしら?」

「大丈夫だろ。怪しまれたところでやましいことなんてなにもないんだし」


 少し不安で尋ねれば、エリクはなんでもないように言った。

 確かにエリクならば怪しまれたところでなんの問題もないだろう。

 けれど、アデライドの周囲には反革命派だと思われる人たちが多くいる。

 この国の政府から目の敵にされ、証拠が見つかったら捕えられるであろう反革命派。もし反革命派が正しかった場合、アデライドがこうして聞き回っていたせいで不利な状況になってしまうのは、かなり嫌だ。


 ……そんなことエリクに言えるはずもないから、彼の言う通りにするしかないのだけれど。


(まあ……なんとかなると思うしかないわね)


 そう思っていると、すぐに二人の番になった。エリクが商品であるワッフルゴーフルを注文し、渡されるのを待っているわずかな間に問いかける。


「急にすみません。革命前と今、どっちの暮らしがいいと思いますか?」

「は? なんで急にそんなこと……」

「なんでもいいじゃないですか。それで、どう思います?」


 店主は戸惑っているようだったが、エリクの勢いに押されてかためらいがちに口を開いた。


「そりゃあ……今だな。前は好きな職業にも就けなかったし」

「どうして?」


 アデライドは不思議に思い、つい尋ねた。以前は好きな職業にも就けなかったと店主は言ったが、どうしてそんな状況になるのかよくわからなかったのだ。

 店主は訝しげな視線をアデライドに投げかけてきたけれど、しぶしぶといった様子で口を開く。


「……そんなの、なるべくすぐに金の入る職業に就くしかなかったからな。その日生きるので精一杯で、なりたい職業でも、稼げるようになるまでに時間がかかるようなら諦めるしかなかったんだよ。……って、これでいいか? ほれ」

「もちろん。ありがとうございます」


 渡された商品を受け取りながらエリクがそうお礼を言った。アデライドも「ありがとう」と言って、エリクとともにその場を去る。

 ワッフルゴーフルは、外はカリカリ、中はふわふわで、しかもとっても甘くて美味しかった。


 そんな調子で何人かの人に話を聞いていった。裕福そうな商人、散歩をしていた老人、路地裏にいた貧相な身なりをした人。


 商人は今の社会になってよかったと言う。曰く、以前の社会は貴族と庶民の間に絶対的な格差があったとのこと。商人が莫大な富を得て貴族になることもあるにはあったが、それはごく一部の例外、ほとんどの人はその生まれによって、どれだけ社会的に高い地位を築けるのか決まっていたらしい。

 けれど今は違う。完全な実力主義とは言えないものの、身分制度が廃止されて貴族がいなくなり、庶民でも上にいくことができるようになった。だからこそ今の社会がいいと言う。


 老人は以前の社会がよかったと語った。よかったと言うより、王族は神によってこの国を治めることを許された存在なのだから、王族以外が統治するなんてありえない、とのことだ。革命を支援した者にはいずれ天罰が下るだろうとわらっていた。


 そして最後に、貧乏人はどちらもさほど変わらないと言った。どうやら革命前もかなり貧乏だったらしく、その生活を変えるために革命軍に参加したようだ。しかし結局生活は変わらなかったため、もうどちらでもいいと。


「本当、十五年前の革命も、人によってはこんなに評価が違うのね……」


 聞き取りが終わり、アデライドはエリクもともに革命広場へとやって来ていた。いつだったかのように噴水に並んで腰掛け、ぽつりぽつりと会話をする。

 まるで自分の考えを整理するかのように。


「そうだな。俺も、初めて知った」

「エリクも?」

「うん。……俺はずっと、革命は正しいことで過去の王政は悪いことだって思ってたから」


 そう言うと、エリクはそっと目を伏せた。どこか苦しげに見えるのは、今まで教えられてきたことをまったく疑うことなく、信じていたのを後悔しているのか。

 彼はくしゃりと前髪を握りしめた。


「なんか、偉そうに『考え続けろ』って言っててごめん。俺もできてなかったのに、アデラにあんなことを言って……。思想操作もあったんだろうけど、悔しい」


 それはおそらく、彼と再会したときに交わした会話を指しているのだろう。

「エリク」とアデライドは呼びかけた。いつもよりどんよりと曇っている青色の瞳がこちらを向く。


「そんなふうに思わないで。わたしはあなたの言葉のおかげで、いろんなことに気づけて、頑張ってこれたのだから」


『――アデラ、このまま考え続けてくれ。ただ与えられた情報だけで革命の指導者を悪い人だと決めつけるようなことはせず、自分の目で、耳で情報を集め、判断してくれ』


 あのとき彼の発した言葉は、今でもアデライドの胸の内で光っている。その言葉があったから、今のアデライドはいるのだ。それがなければ今頃、いろいろなことに見て見ぬふりをして、流されるがままに生きていたに違いない。

 そんな日々は楽だろうけれど、アデライドはそれが嫌だった。


 だってわたしは〝お人形〟じゃないのだから。考えることができるのだから。

 これでよかったのだと思う。後悔は絶対にしないと言い切れた。


 するとエリクは「そうか」と言って微笑む。


「ありがとな、アデラ」

「どういたしまして」


 アデライドもくすりと笑い、一瞬穏やかな空気が二人の間に流れる。

 けれど。

 すぐさま緩んだ気持ちを引き締めると、アデライドはエリクに問いかけた。


「ところでエリク、さっき言ってた思想操作って?」

「ああ……そのことか」


 呟くようにそう言い、エリクは気まずそうな表情を浮かべる。


「文字通り、思想を操ってたんだよ。ほら……アデラ言ってただろ? ブランダン王国の王家の紋章は〝白薔薇〟だって」

「ええ、そうね。それがどうかしたの?」


 確か二人で雑貨屋に訪れた際、そのような会話になったはずだった。赤白青の革命軍のシンボルカラー、そして王家の薔薇。

 エリクはそっと目を伏せる。


「俺はずっとだと教えられてきたんだよ。それで違和感を覚えて調べたんだけど、確かに王家の紋章は白薔薇だった。それに、赤と青はこの街のシンボルカラーだったらしい」


 話の行き着く先が見えず、アデライドは首を傾げた。青と赤が、ここでなんの関係があるのだろう?

 そう思っている間も、エリクは言葉を続ける。


「……革命軍のシンボルカラーである青白赤は、王家の白を、首都の赤と青が挟むっていうものだったんだ」

「どうして挟むの?」

「革命の前半は、王政を廃止しようだなんて革命推進派も考えてなかったんだよ。だから和解できるように王家の白を真ん中にしたらしい」


 そうだったのか、とアデライドは思わず目をぱちくりさせる。革命推進派は、最初こそ今のような社会にするつもりはなかったらしい。革命軍が王族を処刑し共和制にした、と結果だけを教えられてきたアデライドからすれば、かなり意外なことだった。

 エリクはふっと、自嘲するような笑みを浮かべる。


「けど、革命期の後半になって王政廃止が唱えられるようになった。すでに広まっているから、それまでのシンボルカラーを変えることはできないけれど、王家との和解を示すままじゃいろいろと不都合。それでシンボルカラーの意味を変えることにしたらしい」


 赤は友愛、白は平等、青は自由を示すように。

 エリクは続ける。


「その事実は、絶対的な正義の元にある革命軍にとって、あまり民衆に知られたくないことだった。だからこそ、この事実を隠蔽することにした。……それが思想操作」

「ふうん」


 なんとなくわかった気がする。完全に理解できているのか? と問われたら首を振るしかないけれど。

 でも、確実にわかっていることはあって。


「それって、なんか矛盾してる気がするわ」


 アデライドは眉根を寄せる。

 ブランダン王国時代は、国王の権力が絶大で臣民はそれに従わなければならないという絶対王政だった。それを打破した革命推進派が、そのように情報を制限して統治しやすいようにするなんて。まるで彼らの忌み嫌った絶対王政のようではないか。


 国家とはとてつもなく大きな存在である。数多くの人をまとめるためにはそのようなことを必要だと理解しているものの、そのような統治体制を嫌がった革命軍が、いざ統治するようになるとそのような手を使うのは、なにか違う気がする。

 彼らの思想に共感して協力した者を裏切っているような気がするのだ。


 エリクもそう思っているのだろう、「そうだよな」と言って頷く。


「思想操作とかを嫌だと言って、だと断じて革命を起こした人たちが、そんなふうにするのはおかしいと思う」


 そう言う彼の瞳には、剣呑な光が宿っていて。

 でも、とエリクは口を開き、そっと目を伏せた。


「たぶんそういうもんなんだよな。絶対的な正義や悪なんて存在しない。だって正義や悪なんて人によって変わるものなんだから」

「そうね」


 アデライドは静かに同意する。

 十五年前の革命。それに関してだけでも、あれは正しかったと言う人がいれば、間違っていると言う人もいた。つまり正義や悪にはきちんとした定義がないのだ。

 だからこそ。

 アデライドはきゅっと手を握りしめた。


「自分が正しいと思ったことが『正義』、なのよね」


 少なくともアデライド自身はそう思った。人によって『正義』が違うからこそ、人と人はぶつかり合う。自分の矜持を、正義を曲げないために。


(わたしにとっての『正義』ってなにかしら?)


 そっと目を閉じる。

 フィリップはおそらく王政に戻そうとしている。それは正しいのか間違っているのか。自分で答えを出さなければならない。


「アデラ?」


 黙りこくったのを訝しんだのだろう、エリクの声がした。アデライドは静かに瞼を上げ、彼の顔を見た。

 そして緩やかに破顔する。


「ありがとう、エリク。わたし、決めたわ」


 革命によってよくなったこともあるだろうし、悪くなったこともあるだろう。正しいことなのかは正直よくわからない。

 だけど。


 ――革命には多くの人が参加した。そうでなければ、絶大な力を持っていた王族や貴族という特権階級による今までの政治体制を変えることなんて、決してできなかっただろう。

 そんな人たちが必死に努力して掴み取った今のこの国を、この政治体制を崩すのは、間違ったことに思えた。


 たとえ今のこの体制がよくなかったとしても、それを崩すのは市民によるものであるべきだとアデライドは思う。

 だから。


 反革命派を――フィリップを止めると、アデライドは決めた。


 エリクは静かにこちらを見つめてくる。

 その宝石のような青い瞳には、真剣な表情を浮かべるアデライドが映っていた。

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