三章(1)

 ガタゴトと揺れる馬車で。

 アデライドは一人きり、無言で端の方に座っていた。はあ、とため息をつき、きゅっと手を握りしめる。


 脳裡のうりに浮かぶのは、つい先ほど目にした光景。


 いつも通りエリクと会って、このパティスリーから出てさて出かけようとした矢先のこと。目の前の通りである男が軍によって捕えられた。

 それ自体は特になんとも思わない。もうすぐ革命祭だから人が多く集まってきていると、以前エリクから聞いていた。それによって治安が悪化するのは当然のことだろう。


 問題は捕えられた男だ。あの男はちょうど昨日、フィリップの部屋から出てきた男だった。うやうやしく一礼し、慌てた様子で去っていった人物に間違いなくて。


『……エリク、あの人はなにをしたの?』

『……わかんないけど、普通に盗みを働いたんじゃないか? あと殺人とか違法な薬物を売ったりとか?』

『……それ以外には、なにかある?』

『うーん、あとは……反革命派と接触して、なにか依頼とかを受けたとか? それを軍が嗅ぎとって、捕まえようとしたらあの男が逃げ出した可能性も、まああるよな……』


 捕えられた直後にエリクとした会話を反芻はんすうし、アデライドはそっとため息をつく。


 ずっと、予感はしていた。


 見ず知らずの父は、フィリップの父であるオブラン公爵は、なんのためにアデライドを他国へ行かせ、なんのために今まで育ててきたのだろう? と。

 血を残すためと教えられてきたし、そのことになんの疑問も抱いていなかった。貴族にとって血は大切だからだ。


 けれどこの国に来て、反革命派がいると知って。

 彼らはもしかしたら王政に戻すことを望んでいるのでは、と思ってしまって。

 うっすらと思ったのだ。もしかして自分を女王としてかつぎ上げ、王政に戻そうとしているのでは、と。


 だけどアデライドはそれを見ないふりをし続けてきた。だってそれを認識してしまえば、エリクの隣にいられなくなる。愛する人といられる時間がなくなってしまう。

 彼はおそらく革命の指導者に連なる家の出身で、しかも軍人なのだから。


 それなのについ先ほど、フィリップたちは反革命派であるだろうと思えてしまえるような光景を見てしまって。

 やっぱりと思ってしまって。


(どうしよう……)


 はあ、とため息をつく。

 もう見ないふりはできない。それは確か。

 だけどどうするべきなのかはわからなくて。


(お兄さまを止める? それともエリクを止めるべきなのかしら? ……わからないわ)


 そもそも革命は正しいことなのか、間違っていることなのか。その判断がつかないことには、今後の行動を決めることなどできない。


 それに仮に革命を正しいことだとする。現在反革命派が行おうとしている王政復古も革命と言えるため、かつて起こった革命も反革命派が行おうとしている王政復古も正しいことになる。反対に革命が間違っていることならば、どちらも間違っていることになる。どちらも正しい、もしくはどちらも間違っているのならば、どちらに所属するべきなのだろう?


 しばらく考え、アデライドは馬車の座席にごろりと横になった。令嬢として失格だということはわかる。わかるけれど、こうせずにはいられなかった。


(考えすぎて頭痛い……)


 ううーとうなる。

 正しいこと、間違ってること。

 その判断はどうつければよいのだろう?

 もうまったくもってわからなくて、考えるのをやめてこのままこの国を出てしまいたくなる。

 だけど。


『――アデラ、このまま考え続けてくれ。ただ与えられた情報だけで革命の指導者を悪い人だと決めつけるようなことはせず、自分の目で、耳で情報を集め、判断してくれ』


 エリクと再会した日、『革命の指導者についてどう思う?』と問いかけられ、結局答えられなかったアデライドに対して告げられた言葉。


 その言葉に、アデライドは頷いたから。

 絶対に考えるのはやめたくなくて。


 体を起こすと、パチンと両頬を叩いた。


(よし、頑張るわよ)


 大好きな彼に、失望されたくなんてないから。

 ひたすら考え続ける。とりあえずアデライドとしては〝正しい〟側につきたいと思っている。つまり正義をかかげている側だ。


 問題はそれがどちらなのかわからない、ということである。


 反革命派に関しては、フィリップがいる。ともに育ってきた従兄いとこは、アデライドの知る限り正義感の強い人物であった。物語の中の主人公に憧れていたし、使用人がほかの使用人をいじめていればそれを止めていた。

 そんな彼がいるし、今まで革命のせいでこの国は悪くなったと教えられてきたから、反革命派は正義だと思う。


 けれど、現在のブランクール共和国の政府――元革命推進派だって正しいと思う。エリクに聞いたところ、革命のおかげでこの国は良くなったと聞いたし、子どもたちは革命の指導者に憧れているという。それに革命広場で行き交う人々はみな笑顔を浮かべていた。


 だからこそ、アデライドは現在の政府が間違っていると言い切ることができなくて。

 むしろ革命軍のほうこそ正義なのではと疑ってしまって。


(……あー、もう! わかんないわ!)


 ふう、と息をつくと、背もたれにもたれかかった。ぼんやりと馬車の天井を見つめる。

 どうしよう、と思った。考えてもわからない。だけど考え続けるのはやめたくない。

 もう頭が破裂しそうだった。


 そのとき馬車が停止する。窓からちらりと外を見たところ、ファルシェーヌ卿の屋敷に着いたようだった。

 といってもまだ門の前であるのだが。


「もう、かあ……」


 思わず声を漏らす。やっぱり馬車の中だけでは考えることなんてできなかった。

 フィリップに会う前に考えをまとめたかったのだが。

 盛大なため息をつく。こんなにもフィリップと顔を合わせるのが憂鬱だなんて、人生で初めてだ。


 それからしばらくして馬車が止まった。悩んでいることを隠すことなく、アデライドは疲れた表情で馬車から降りる。どうせ自分は子どもだ、フィリップらに対して感情を隠し通せるなんて思ってなかった。それならば最初から隠さないほうがまだ疑われることがなくてよいだろう。


 そんなことを思って玄関から屋敷の中へ入ろうとした、まさにそのとき。


 扉が開けられ、身なりのよい男性が出てきた。五十代ほどで、どこか浮かれた雰囲気を漂わせている。

 彼はアデライドの存在に気づき目を見開いたものの、何事もなかったかのように一礼して通り過ぎる。アデライドの乗ってきたのとは別の馬車が彼を乗せ、どこかへと去っていった。


(たぶん、あの人も反革命派なのね)


 そっと目を伏せる。

 革命軍に所属していた現在の政府と、それに抗う反革命派。どうして彼らは争っているのだろう? 争いのない世界が一番なのに。


 そんなことを思いながら屋敷の中に入ると、フィリップがいた。ファルシェーヌ卿とともにエントランスへと向かってきていて、もしかして、と思う。

 また昨日のように出かけるのでは、と。


「お兄さま」

「ああ、アデラ、ごめん。今日もほかの人と晩餐の約束があってね……」

「そう、なの」


 彼と顔を合わせる機会が減ったことに安堵した。まだ気持ちが固まっていないから、会いづらかったのだ。


「そう。アデラもちゃんと夕食をるんだよ?」

「お兄さま、それ昨日も聞いたわ」


 くすくすと笑って言えば、フィリップも頬を緩めた。「じゃあね」と言って頭を撫でてきて、そのままファルシェーヌ卿とともに去ろうとする。


「お兄さま」


 無意識のうちに呼び止めていた。「なに、アデラ?」とフィリップ。その面持ちはとても優しげで。

 だからこそ、彼とエリク、どちらかが間違っているとは思えなくて。

 思いたく、なくて。


「…………行ってらっしゃい」


 フィリップは少し目を見開くと、柔らかく微笑ほほえんだ。


「行ってきます」

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