一章(3)
「あ、そういえば、自己紹介がまだだったよな」
言われてみればそうだ。「確かにそうね」と頷くと、少年はにっと笑う。
「俺はエリク。エリク・シャレット」
「そう、エリクって言うのね。よろしく。わたしは――」
アデライド、と口にしかけたところで本名を名乗らないようフィリップに注意されていたことを思い出した。どうしてかはわからないけれど、彼がそう言うのならばそうなのだろう。
「――わたしはアデラよ」
ということで愛称のアデラを名乗ると、少年――エリクは「よろしく、アデラ」と言って微笑む。どうやら怪しまれはしなかったらしい。
ほっと心の中で胸をなで下ろしていると、
「じゃあ今からでも大丈夫?」
とエリクが尋ねてきた。主語がなかったが、おそらく案内のことだろう。
そう判断してアデライドは「ええ、大丈夫よ」と頷く。ここに滞在する間は観光以外に特にやることなどない。時間はたっぷりとあるのだ。
エリクがカラリと笑う。
「よし、じゃあ行くか」
そう言ってアデライドの手を取ると、ゆったりとしたペースで歩き始めた。アデライドの歩幅に合わせてくれているらしく、小走りになる必要はないけれど遅すぎでもない、絶妙な早さだ。
(――優しい人)
アデライドは頬を緩ませる。そういう些細な気遣いにフィリップと似たようなところを感じて、穏やかな気持ちに包まれる。彼の隣にいることに居心地のよさを感じる。
この人に案内を頼んでよかった、と心の中で思いつつ、アデライドは彼に尋ねた。
「それで、まずはどこに行くの?」
するとエリクはニッと笑って正面を指で示した。
「そりゃあ、この国に来てまず行くところといったら〝革命広場〟だろ」
「革命広場?」
「そう。本当はドゥラノワ広場って言うんだけど、誰もそう呼ばないな。言うとしても……反革命派くらいだと思う」
「え、えっと……」
突然増えた固有名詞に軽くパニックになっていると、エリクはクスリと笑った。少し乱暴な言葉遣いとは違って、どこか上品さのある笑み。
「まあとりあえず行こう。そこで説明する」
「わ、わかったわ」
エリクの言葉に頷き、アデライドは彼のあとについて進んでいく。
歩き始めてすぐに彼の目的地がわかった。先ほどアデライドが通ったばかりの広場だ。相変わらず人混みがすごいが、エリクはその中を慣れた様子で難なく進んでいく。
そして広場の中央にある噴水の前までやって来ると、どこからが取り出したハンカチをその上に置く。
「ほら、立ちっぱなしもなんだから座って」
「ありがとう」
お礼を言い、アデライドは大人しく彼の敷いてくれたハンカチの上に座った。するとエリクが横に腰掛ける。
がやがやと周囲がやかましい中、彼は落ち着いた声で話し始めた。
「十五年前、この国で革命があったのは知ってる?」
「もちろんよ。それくらいは知ってるわ」
なにせアデライドの育ちに関わる話である。革命に関しての大雑把な概要はちゃんと覚えていた。
すると彼は「そっか」と苦笑して前を向く。
「そのときの革命は、端的に言えば王政ではなく民主制にするっていうものだった。けれど王政のままがいいって主張する人たちも、主に貴族や聖職者だから数が少ないけどいて、革命推進派と国軍――現在の反革命派は争っていたんだ」
それは聞いたことがあった。教師は革命の話をするときいつも、本当は王政が正しいはずなのに革命推進派が
「それで?」とアデライドが話を
「革命軍と国軍は国のあちこちで軍事衝突を落としたんだけど、ここもその場所の一つなんだよ」
その言葉に、アデライドは思わず周囲を見渡した。多くの人々が行き交い、笑っていて、賑やかな広場。ここもかつては戦場だったらしい。
(つまり、たくさん人が死んだってことよね?)
そう思うとどうしてか寒気を感じてぶるりと身を震わせた。
しかしエリクはどこか遠くを見つめており、アデライドの様子には気づかない。
「当時革命軍は革命成功まであと一歩というところまで来ていて、ここで勝ったら革命は成功したも同然。だから多くの兵を出してきていて、対する王国軍もそれをわかっていたからかなりの勢力を投入してきた。……それで最終的に革命軍が勝った」
「ああ、だから〝革命広場〟なのね。革命軍が勝って、革命が成功したも同然だったから」
アデライドの言葉に、彼はくすりと笑う。
「それもあるし、王族が処刑された場所――つまり長い長い革命が終わった地だからっていうのもあるな」
「……そうなのね」
アデライドは少しもやもやしながら周囲を眺める。王族の処刑された地。それはつまり、アデライドの親族が殺された場所でもあるのだ。顔も声も、なにもかもを覚えていない親族ではあるが、それでも複雑な気分にはなる。
そんな内心を悟られまいと意識して笑顔を浮かべていると、エリクは「そうなんだよ!」とどこか興奮したように言う。
「だからこの場所はこんなふうにいつも人がすごいんだ。たとえばあそこの銅像。見える?」
「え、ええ、見えるわ」
突然テンションの高くなったエリクに、戸惑いながらもそう答える。いったいどうしたのだろうと思うが、止める暇もない。彼は若干早口になりながら説明をしてくる。
「ああいう銅像がこの広場のあちこちにあって、それは全部、革命の途中で命を落とした指導者のものなんだよ。志半ばで亡くなってしまったから、せめて銅像の彼らに今のこの国の様子を見せようと、みんなこの広場に集まるんだ」
そう言うエリクの瞳はキラキラと輝いていて、革命の指導者に憧れているということが見ているだけでも伝わってきた。
だけど。
アデライドはそっと首を傾げる。
「……随分と慕われているのね」
そのことが不思議だった。アデライドはずっと、革命の指導者は人々を騙し、欺き、利用した、残虐な人たちだと教えられてきた。そんな人たちが人々に慕われているなんて、疑問を抱かずにはいられない。
しかしエリクは革命の指導者をそう思っていないのだろうか、「それはそうだよ」とやけに
「なにせ俺たちのヒーローだからな! 男なら誰もが彼らのようになりたいって思うもんだよ」
「そう……」
今まで教えられてきたこととエリクの言葉の違いに、アデライドは大混乱に陥っていた。
今までずっと革命の指導者は悪い人だと教えられてきた。けれどエリクは彼らをいい人だと言う。あまつさえ「俺たちのヒーロー」だと。
となるとどちらかが間違っているはずだが、どうやって判断すればよいのだろう? アデライドにはどちらも正しいように聞こえて、戸惑うことしかできなかった。
うう、と頭を抱えていれば、「……どうかしたのか?」とエリクが尋ねてくる。その顔は心配げで。
「だ、大丈夫よ。ただちょっと混乱しちゃっただけだから」
ぎこちないと自覚しながらも笑顔を浮かべれば、「そっか」と言ってエリクは再度正面を向く。
そして、口を開いた。
「俺たちがこうして革命の指導者を
まさにその通りで、アデライドは目を見開いて彼を見つめた。エリクはその気持ちすらも察したのだろう、「他国からはあまりいいように言われていないってことくらい、誰だって知ってるよ」と苦笑する。
少し居心地が悪くて、アデライドはぷいっとそっぽを向いた。嫌われてしまっただろうか、とちょっとだけ不安になる。
すると背後からエリクの笑い声が聞こえた。
「確かに、自国の王を
でも。声につられて彼のほうをちらりと窺えば、彼は穏やかな笑みを浮かべていて。
「この国の人間からしたら、彼らは英雄なんだよ」
さあっと風が駆け抜ける。赤茶色の髪がふわりと靡いた。その隙間から見える瞳は、真摯な光をたたえていて。
アデライドはごくりと唾を呑み込む。なんとなく肌がピリピリとして、緊張感が全身を包み込んだ。
エリクがこちらに視線を向ける。
「――革命の指導者についてどう思う?」
その質問に思わず視線をさまよわせる。どう思うのか。そんなの答えは一つだけしかない。
アデライドはそっと目を伏せ、口を開いた。
「……わからないわ。わたしには、わからない。だってエリクっていい人そうなのに、今まで教えられてきたこととは逆のことを言うんだもの」
するとエリクは満足そうな笑みを浮かべる。
「そう思っていただけただけで充分だよ。――アデラ、このまま考え続けてくれ。ただ与えられた情報だけで革命の指導者を悪い人だと決めつけるようなことはせず、自分の目で、耳で情報を集め、判断してくれ」
静かな眼差しに射抜かれ。
アデライドはしっかりと頷いた。
「わかったわ。できるのかはわからないけど、頑張ってみる」
エリクはくすりと笑った。
「ああ、よろしく。アデラみたいにそうやって考えてくれる人が増えてくれれば、きっと彼らも喜ぶよ」
「そうかしら? ……そうだったらいいわね」
彼につられて、アデライドもかすかに笑みをこぼした。
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