怖い家
@killereiki
小野坂はこう話を切り出した
「僕はね。この子には生まれてこなかった幸せを味わってほしいんだ」
そう言った小野坂の顔を思い出す。
僕がその話を聞いたのは去年のことだった。既にうちの雑誌で連載を持っている小説家。小野坂圭一のインタビューのために彼の仕事場を兼ねた自宅に伺った時だ。
作家に個人としての話を聞いたり質問するありふれた企画。
担当編集の僕が彼の家にお邪魔した時の事。
最初の違和感に気づいたのは家に上がってしばらくしてからだ。
彼は既婚者で家には彼の奥さんがいて家の中には子供用の自転車や玩具が置いてあったがそれが綺麗に片付けられていた。
こんな物で遊ぶ子供がいるとしたらもう少し散らかるものだと思うのだが。
そうなると気になって不躾だがジロジロと部屋を観察してしまった。
最初は奥さんが几帳面なのかこの家の躾が厳しくてきちんと片付けてるのかと思ったが、どうもそうじゃない。
使った形跡がないのだ。
例えば積み木は一回出してもう一度入れようとするとバラバラに詰め込まれるのが普通だ。
だがこの家の積み木はどうだ。
隙間なく正確に箱の中に敷き詰められている。
それはまるで、一回もこの積み木は入れ物から出して遊ばれていないみたいだった。
確かに一回一回遊ぶ度に開封時と同じように仕舞う事はできる。
でも明らかにそうする事の方が不自然だし異常だ。
色々なものが綺麗すぎる。
子供がいる家に当たり前にある物は沢山ある。
でも肝心の子供の気配がまるで感じられない。
気持ちが悪い家。そう思った。
そうして取材が始まる。
取材は小野坂の仕事部屋。普通の書斎のような部屋で行われた。
内容は読者からの質問メールや小野坂の作品に出てくる登場人物についてなど様々だ。
インタビューが一段落した時に不意に書斎のドアがノックされる。
小野坂が返事をすると奥さんがお茶を用意してくれたようで、小野坂と僕はそれを頂きながら休憩を取ることにした。
その席に奥さんも同席して紅茶を淹れてくれる。良い香りが部屋に広がった頃、ふと小野坂が僕にこんなことを言ってくる。
「そう言えば君は家に置いてある玩具を見ていたね。やっぱり気になるかい」
急にそんなことを言われたから驚いた。
自分では気付かないうちに露骨に態度に出てしまったみたいだ。
「いや、そんな事は」
咄嗟に口から出た否定の言葉は肯定と同義だった。
僕の行動に小野坂はやっぱりなと言わんばかりの笑いの口元を右手で隠すような仕草をする。
そのまま少しくぐもった声で語る。
「いや、いいんだ」
小野坂はこれから僕の疑問に答えてくれるらしい。その気配を感じ取った奥さんは夫がその話を他人にするのは気分が良くないようで、ばつが悪そうに書斎から出て行った。
だけど小野坂の方は気に留める様子はまるで無く、奥さんが部屋のドアを締まるのを待たずに話し始めた。
「大方、君は僕らには死んでしまった子供がいてその子の為に使いもしない玩具を買ったり取ってあったりしたのだろうと考えたね」
確かに最初はそう思った。でも、だとしたらその子供の写真が目に触れやすい所に飾ってあるはずだと思い見回したがそれらしき物は見当たらない。
だけど自分の考えが不明確な時点で意見を言うのは会話の腰を折ると思ったのでそのまま小野坂の話を聞く。
「似てるけど実は違うんだ。僕達は自分の子供に生まれてきた苦しみを味わって欲しくないんだ」
そう言われた僕は何故かすんなりと納得してしまった。
文学に関わってる人間。いや、人並みに思春期を迎えた人間なら誰しも考えるし、僕はこの歳になってもなにか辛いことがあれば考える。
そしてその癖はこれからずっと変わらないだろう。
「親として子供に与えられる最初のプレゼントは命だ。でもどうだろう。それは愛する者に上げるには相応しいものなのかって考えるとあまりにも残酷のような気がするんだ」
確かにそう思うけど、それだけでこんな異常と思えるような行動をするのだろうか。
それに続く小野坂の言葉は僕の疑問を溶かすように続いていく。
「僕たち夫婦は不妊治療を受けていてね。だけど結局子供を授かることはなかった。だから考えたんだ。もしかしたらこの子は自分から生まれてくることを拒んでるんじゃないかって」
小野坂が言うには科学が進歩していく現代でならもっと時間やお金をかければ子供は授かることができるかも知れない。
でもそれが正しいのだろうか。
僕らがここまでの金や手間をかけても生まれてきた子供は必ず自分が生きていく上で生まれてきたことに苦しむ時が来る。
その時の僕らはこんなに子供を授かるまでの大変さをその子に押し付けてしまうのではないか。
その子供の人生に必要以上な大変さを上乗せしてしまっていいのか。
「養子をとることは考えなかったんですか」
僕が尋ねると小野坂は静かに目を閉じて一回首を下から上に振って目を瞑ったまま答える。
「養子を迎えるには僕らは手を打ち過ぎていた。あれだけ手を尽くしたのに結局失敗してこの子を連れてきた。って目で見てしまいそうで怖かった。子供ってのは敏感だからね」
それを聞いて僕はこの人はなんて臆病なんだろうと思った。
普通の人より想像力が豊かな故に色々なことが怖いのだ。
どんなに理屈をこねくり回しても結局何一つ現実世界ではなくこの人の中で完結している。
きっとこの人が一番恐れているのは自分の想像が現実に起こる可能性。
それがある世界で生きる事が一番怖いのだろう
◆
「使えないよなぁ」
インタビューを終えて小野坂の書斎を出て階段を降りながら僕は呟く。
仕事の癖でつい小野坂の話をメモを取ってしまっていたが……
確かに個人的な興味はそそられたが、記事として使うには内容があまりにも適切ではない。
それに小野坂のファンは女性に多い。その読者に対して今回のような話を題材にしても彼にとっても会社としても不利益だ。
なのでこの部分はカットするだろう。そう考えるとせっかく会話内容を録音したボイスレコーダーもなんとなく嫌な気分を思い出すだろうから後で聞く気も失せた。
そんなことを考えていたら階段を下りた場所で小野坂の奥さんと鉢合わせする。
「あ、もう帰られるんですか」
「ええ、お邪魔しました」
僕の姿を見た奥さんは階段の上、おそらく小野坂のいる書斎を困ったように眺めながら言う。
「あの人ったら。ちゃんと降りてきてお見送りするのが礼儀でしょうに」
「あ、いいんです。実は僕が部屋を出るとき他の出版社から電話がありまして。大事な件みたいだったので僕一人で出て来たんです」
彼女はそうでしたか、と頷き僕を玄関まで案内してくれた。
それまでの間、たった廊下を渡り幾つかの部屋の前を通り過ぎる短い時間だったのに、
あんな話を聞いてしまっただけでこの家に置いてあるものが異常に気になってしまっている。
例えば、ドアの間から見えた居間。そこに置いてあったチェストの上にある3つの人形。
青い人形、赤い人形、小さい人形。あからさまに親子を模っているであろうそれが
恐ろしく気持ち悪かった。
「何もお構いできませんで」
「いえ、そんなことないですよ。紅茶美味しかったです。ありがとうございました」
僕はドアノブを握りゆっくり扉を開く。
その時なんとなく振り返ってしまった。
すると奥さんと目が合ってしまい、一瞬そのまま意識が止まったような気分になる。
「あの……」
「さようなら」
一瞬開きかけた彼女の言葉を遮って僕が別れの挨拶を告げる。
あの人の言葉の続きは「なにか?」って訊いてきただろう。
今の僕がその言葉を聞いたらきっと尋ねてしまう。
あなたは納得しているんですかって。
「さようなら」
彼女は微笑んで挨拶を返す。
僕は会釈をしながら家を出ると少し足早にそこから遠ざかろうと歩き出した。
危なかった。誰も幸せにならない会話をしてしまうところだった。
それと同時に僕は最初で最後の機会を失ったとも思った。
この瞬間を逃したらもう二度と彼女の口からは何も聞けないような。
僕の予感は当たっていて。
次に僕が小野坂の家を訪ねたのはあの奥さん葬式の日だった。
◆
彼女がどうやって死んだかを詳しく知るつもりはなかった。
ただこの家で大量の薬を飲んで眠るように死んでいたと聞いた。
当然あれから何度かは会った僕と小野坂だが、プライベートなことに触れる機会は一切無かった。
その所為か彼の家で合う彼はいつもの小野坂と同じとは思えないような気分になる。
「小野坂」
棺の前。喪主の席に座るすごく小さく見えた彼に声をかけるとそれは弱々しい声で返事をする。
「やあ、来てくれたのか」
会釈をしてくれるもなんて声をかけていいかわからなかった。
そんな重い空気を僕が感じていると小野坂が口を開いた。
「育児ノイローゼだったのかな」
笑えないよ。
この時の空気は今思い返しても胃袋に鉛が落ちたような気分になる。小野坂が一言「冗談だ」って言ってくれればどれほど気が楽になれたか。
結局、奥さんの死とこの家がどう関係あったのか僕が知ることはなかった。
ただその後、僕は彼と最も付き合いが長い担当だったこともあって葬儀の後の片付けも手伝ったのだが、
僕があの時に見た三人の親子人形を探すと、今はその人形のうち青い人形の姿は無く。
母と子と思われる人形だけが飾られていた。
あの葬儀が終わってしばらく経った会社の編集室。僕はあの時インタビューに使ったボイスレコーダーを眺めている。
僕は一回もあの時の音源を再生していない。
こう言ったら笑われるかもしれないが、もし再生した音声の中に子供の声とか足音とか入っていたら
そう考えたら堪らなく怖かった。
そんなことに怯える僕は小野坂以上に臆病なのかもしれない。
「お疲れ様です先輩」
すると後輩の水瀬がコーヒーカップ片手に声をかけてきた。
「ああ、水瀬か。お前が気を利かせてくれるってことは僕は相当疲れた顔をしていたんだな」
僕の強がりな減らず口にも何も言わず水瀬はコーヒーを僕の机の上に置いてくれる。
なんて良い奴なんだろう。
「小野坂先生の件ですよね。なにも先輩があそこまで付き合うことなかったんじゃないですか。他にも手伝ってくれてる人はいたんでしょう」
「まあな。でもこうゆうのは付き合いって建前もあるけど、僕自身が少し気になったことがあってね」
水瀬が淹れてくれたコーヒーに口を付けると砂糖やミルクが多めに感じた。
心が疲れてる時はこんな配慮がとても嬉しい。
「やっぱり小野坂先生の心理状態が作品にも影響してしまいますかね」
「いや、小野坂はそんな男じゃないよ。むしろそんな男ならどんなに」
そう言いかけたところで僕の携帯電話が鳴った。
中を覗くと妻からのメールだった。
「あっ、ヤバイな」
内容を確認した僕は急いで帰り支度をする。
「奥さんですか」
何かを察した水瀬は何か含んだような声で僕に問いかける。
「ああ、今日は結婚記念日だから早く帰るって言ってあったんだ」
「まったく。後の片付けはやっておきますから早く行ってあげてください」
そう言ってもらったからには好意に甘えることにする。
僕は自分の荷物をまとめて退社することにする。
「すまんな、あとは頼んだ」
「ちゃんと花ぐらいは用意するんですよー」
あいつの言う通りにするのも癪だが折角の結婚記念日だ。今日ぐらい素直になってやろう。彼女の喜ぶ顔も見たいし。
そうして僕は会社のビルを出て彼女の待つ家へと帰った。
◆
「ん、おいあいつは……」
「あ、編集長。先輩なら今日はもう帰りましたよ。結婚記念日とかで」
「……そうか。」
「……編集長。先輩の奥さんって」
「ああ、もう3年以上も前に亡くなってるな」
「再婚とかは」
「してないな」
「でもさっきメールが」
「わかってる。俺も何度か見たことあるよ。全くどんなからくりなんだか」
「こんな場合ってちゃんとした病院やカウンセリングを受けさせるべきじゃ」
「かもな。だがあいつの仕事や生活に何も悪い影響は出ていない。むしろこっちが何か手を出せば悪い方向に物事が進むかも知れない」
「ですが」
「それにな。小野坂の担当を務まるのはあいつぐらいしか居ないんだよ。それこそ会社にとって不利益だ」
「会社の損不利益。ですか」
「言いたいことはわかる。だがな、俺も怖いんだ。あいつの家について踏み込むのが」
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