続・酒場の怪

紫 李鳥

続・酒場の怪

 


 この店のオーナーに捨てられて自殺した、ライチが好きで歌が上手かったという女の話を客から聴いた時は、さすがにゾッとしたが、幽霊だと分かっていても、会えないとなんか寂しかった。


 あれから一年になる。居抜きで借りた店は大して忙しくなかったが、食うに困らなかった。家族があれば、商売に躍起になるのだろうが、独り身の気楽さからか、齷齪あくせくしないで、気長に椅子を温めていた。


 すると、予期せぬ果報がやって来た。それは、店を開けて間もなくだった。カウンターを拭いていると、


 カランコロン!


 ドアチャイムが鳴った。条件反射のようにドアを視た俺は、顔を覗かせているその予期せぬ来客に目を丸くした。


 あの女だった。俺は瞬き一つない目を女に据えながら、


「い、いらっしゃいませ」


 と、震える唇を動かした。


 ……どう接したらいいんだ。――相手は幽霊だぞ。


 女は一年前と同じセミロングの髪型に、同じオフショルダーのセーターだった。


「お、お久しぶりです」


 俺はどもりながら、震える指でカウンターの隅に座った女におしぼりを差し出した。


「ホントね。お久しぶり」


 相変わらず、幽霊とは思えないさっぱり系のしゃべり方だった。


「お、お飲み物は、ライチッチでよろろしいですか」


「ッチが余計だけど、スゴい。よく覚えてたわね」


「はぁ。しょ、商売でですから」


 まだ、どもっていた。俺がシェーカーを手にすると、女は煙草に火をつけた。一年前と同じ銘柄のメンソールだった。


 ……去年の煙草かな? それとも、そこの自販機で今買ったのかな?そんなことを思いながら、シェーカーを振っていると、女はカラオケの選曲をしていた。


「お、おまちどおさまでです」


 俺が置いたカクテルを、細い指で持つと、女はうまそうに飲んだ。


「歌っていい?」


「も、もちろん。ま、また聴かせてください、いい声を」


「ふふふ……、どうしたの? さっきからどもって。寒いの?」


 馬鹿にしたように、女が上目遣いをした。


「いいえ。久しぶりだから嬉しくて舞い上がってます」


「まぁ、お上手ね」


「ほ、ホントでです」


 それは本当だった。女に会えて嬉しかった。だから、その興奮ゆえにどもってしまうのだ。


 ったくよう。頼むから普通にしゃべってくれよ。これじゃ、女との甘い語らいも味わえないじゃないかぁ。俺は自分に腹が立っていた。


 女は、そんな俺の気持ちをよそに、勝手に選曲すると、ワイヤレスマイクを持った。そして、イントロが流れると、小さなステージに立った。


 黒のブーツにミニスカ。一年前と同じだ。幽霊は着替えないのかな……。


 少し愁いを帯びたその横顔は、愛する男を思い出しているかのように、哀しくはかなげな雰囲気をかもし出していた。


 今にも泣き出しそうに切々と歌いながら、その声は俺の鼓膜を優しくくすぐっていた。



「――相変わらず上手ですね」


 あれっ? どもってない。歌聴いたら治ったか?


「ありがとう」


 女は笑顔で礼を言うと、ポシェットから財布を出した。


 エッ! もう帰るの? これっきりにしたくなかった俺は、女ともう一度会う方法を瞬時に考えた。


 アッ! そうだ。俺の誕生日ということにしよう。……ちょっと待てよ。そういえば、今日、俺の誕生日じゃん。ま、いいや。明日ということにしよう。


「明日、俺の誕生日なんです。良かったら、歌で祝ってくれませんか」


 その口調はまるで、答辞でも読んでるかのように棒読みだった。


「……ぇぇ」


 女は小さな声で返事をすると、柔らかな笑顔を向けた。


「6時頃に」


「6時ね? 分かったわ」


 女は勘定を済ませると、ドアを引いた。


 この時、ふと思った。……一年前に女が現れたのも確か、俺の誕生日だった。単なる偶然か……?



 カランコロン!


 翌晩、待ち焦がれた女が鉢を抱えてやって来た。その花は俺が好きな、白地に紫の縁取りがあるサイネリアだった。どうして、俺が好きな花を知っているのだろう……。


 店は7時からだ。それまでの時間を女との語らいに使おう。


「――恋人は、……いるの?」


「……いたけど、別れちゃった」


「忘れられない人?」


「……ぇぇ。愛していたわ」


「新しい恋をしようとか思わないの?」


「……ぇぇ」


「どうして……?」


「……ぁぃゅぇょ(愛故よ)」


 女は哀しそうにそう一言ひとこと呟くと、腰を上げた。



 カランコロン!


 すると突然、ドアチャイムが鳴った。顔を向けると、常連客だった。


「いらっしゃい!」


 顔を戻すと、女の姿は無かった。


 ……もう、会えないのかなぁ。さよならも言えなかった。突如、俺の中に暗雲が垂れ込め、愛想がない顔を更に暗くした。


 淋しさも重なり、無愛想に水割りを作っていると、ポケットから煙草を出した目の前の客が、不意に思いがけない言葉を発した。



「ね、マスター。今帰った女性、写真の人に似てたね? 亡くなったていう、マスターの恋人に――」

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続・酒場の怪 紫 李鳥 @shiritori

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