【孔靖・劉裕】戯馬台の宴

かんを打ち立てた偉大なる皇帝、劉邦りゅうほうの参謀と言えば、誰しもが張良ちょうりょうの名を挙げることだろう。またかれは項羽こうう討伐後、漢の中で吹き荒れた粛清の嵐に巻き込まれることもなく引退し、生を全うしたことでも知られている。


以来皇帝は、功績ある忠臣の引退を快く受け入れ、見送ることで、その有徳なるを高らかに宣伝するようにもなった。


劉氏がそう氏により滅ぼされ、その曹氏も司馬しば氏に。異姓の王が天下を統べるようになってより、間もなく二百年もの年月が流れようとする。このような節目にあり、大徳懐けるものとして劉裕りゅうゆう、劉姓の将が現れたのも、天意と言うものであろう。

司馬氏の失政により夷狄の手中に落ちた古の都、洛陽らくようは、劉裕の指揮のもと、再び皇帝のもとに帰した。今や皇帝すらしのぐほどの威徳を得た劉裕であるからこそなしえた偉業であった。


こう先生。先生を見世物のようにしてしまうこと、忍びなく思っております」


む無きこと。天意は、人には見えませぬ。我らはそれを衆人が見出せるよう、形を整え置かねばならぬのです。むしろこの老骨が、最後に相国しょうこくのお役に立てますること、嬉しく思っておりますぞ」


劉裕はひときわ豪奢な儀礼用の甲冑に身を固め、本来であれば皇帝にしか許されぬはずの冕冠べんかんを被っていた。そのいかめしい顔つきからは、在りし日にはさぞ剛の者であったろうことが伺える。しかしその髪には、多くの白いものが混じりつつある。


劉裕は首を垂れると、華麗な飾装のほどこされた椅子に座る。その隣に並ぶ椅子には、ひとりの老人が腰掛ける。かれは、名を孔靖こうせいと言う。縮み上がった体つき、髪の毛から髭に至るまで、白。


盛大に銅鑼が鳴らされた。

一人の貴族が進み出、手にしていた巻物を開く。


相国軍諮祭酒しょうこくぐんじさいしゅ、孔靖様は、劉相国を早くより見出され、大いにその覇業をお助けになって来られた! その功績は到底数え切れるものではなく、まさに相国にとりての元勲、とすら呼びうるお方である! しかしながら、悲しきことに、この度ご勇退を表明なされた! であるならば、孔靖様より多くの薫陶を賜りたる我らが、いつまでも孔靖様のお手を煩わせてばかりではおれぬ! 孔靖様が安んじて日々をお過ごしいただけるよう、ここ戯馬台ぎばだいにて、我らの成長を示したるべし!」


戯馬台。

それはかの項羽が、軍事演習のために建設した訓練場である。その場所を、かつて項羽を倒したものと同じ姓の将軍が用いる。それはまさしく、天下にその名を響かせんがための振る舞いであった。


武将たちが馬を駆り、騎射の腕を披露する。

あるいは模擬戦を行い、その勇壮なるを示す。

人々は歓声を上げ、その様子を見守る。


武人たちの催しが一通り済んだところで、会場の中ほどに敷物が広げられ、机と紙、筆と硯が揃えられた。


「これより、孔靖様を讃える句会を催す! 貴賤の別なく、我こそはと言う者は名乗りを上げられよ! そしてこの場にて句を認め、その言葉にて孔靖様をしめやかにお送りするのだ!」


貴族の言葉に、多くの文人らが席へと向かう。

希望者が出揃ったところで銅鑼が鳴り、句の作成がなされた。

走らせる筆は、誰もが速い。


それもそのはずである、事前に句会の告知がなされてより、数日の間があった。その間に彼らは典拠にあたり、孔靖の功績を調べ上げ、文字にあらわすべく検討を重ねてきている。

文人らにとっては、自らの名を国内にとどろかせる、またと無き機会である。


その中にあって、一人の詩人の筆は更に速かった。

詩人、謝瞻しゃせん

国内でもその詩想並び無きものとして、すでに大いに名を知られている。


「出来上がりました」


その句は、すぐさま貴族のもとへと提出される。

一通りの検分ののち、貴族は頷く。


孔靖のための句である。

献上のための台に乗せると、恭しく孔靖のもとに運ばれた。


「ほう、かれの実作をその場で見れますとは。役得もあったものですな、しからば――」



風至授寒服 霜降休百工

繁林收陽彩 密苑解華叢

 冷える風のため冬服が与えられ、

 霜が工夫の手を止めさせる。

 林に落ちる日差しは勢いを弱め

 狭き庭園の花も散りゆく


巢幕無留鷰 遵渚有來鴻

輕霞冠秋日 迅商薄清穹

 燕の巣にも主の姿はなく

 水辺には鶴がやってきた

 秋の薄雲が日に照らされ

 青空に秋風がそよぐ


聖心眷嘉節 揚鑾戾行宮

四筵霑芳醴 中堂起絲桐

扶光迫西汜 歡餘讌有窮

 この良き時節に劉裕様のお心は

 涼やかな音を宮廷に響かせられた

 我らは忝くも美酒を頂戴し

 うららかなる調べに身を浸す

 ああ、しかし日も傾いてきた。

 間もなく宴も終わりを告げる。


逝矣將歸客 養素克有終

臨流怨莫從 歡心歎飛蓬

 ゆかれなさい。

 孔靖様、気高きお方。

 身を養われ、良き余生を送られよ。

 あなた様と共に引退できぬ

 この身が嘆かわしい。

 あぁ、せめて心だけは、

 あなたと共にありたいもの。



句を読み終えると、孔靖は苦笑し、劉裕へと手渡した。一読すれば、劉裕の口元がぴくり、と引き攣るのである。


「臨流怨莫從、歡心歎飛蓬とはな」


劉裕は暫し紙に目を落したまま、身じろぎのひとつも取れなくなった。


元を正せば、劉裕は一介の武人に過ぎない。しかし孔靖の助けを得、有史以来の甚大な武功を挙げてきた。筆よりも、よほど剣と馬が似合う男であった。


それがいま、百官を従える立場となり、国をめぐる数多の儀礼に絡め取られている。帝をもしのぐ立場、と言えば聞こえも良かろう。しかして双肩には幾万幾億もの人臣が載る。その重さは、武具などとは比べものにもならない。


「思えば、遠くに来たものですな」


ぽつりとつぶやく、孔靖の目から。

一粒の、涙が落ちた。




戯馬台にて忠臣の引退を見送った劉裕は、二年後に司馬氏より帝位を譲り受け、皇帝となる。しかし、更にその二年後には死亡。


なお同年、孔靖も死亡している。




解説

https://kakuyomu.jp/works/1177354054893915600/episodes/1177354054895119621

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