解説:戯馬台の宴

KAC20202「最高の祭」。

祭→劉宋期でもっともすごいやつは何だろう、から辿ったもの。登場する孔靖は、劉裕の雄飛、その最序盤から支えてきた人物です。孔子の子孫って言う題目も素敵ですね。


本編にも書いたように、漢を打ち立てた劉邦は、その飛躍を大いに助けた張良の引退を受け容れ、見送りました。それが王者としての徳ある振る舞いである、と見なされたのでしょう。孔靖の引退を見送るために開催されたこの催しは、ずいぶんと大々的なセレモニーと化しています。はっきり言えば、大袈裟。


同じ劉姓の王者として、皇帝即位が近づいてくる劉裕の振る舞いは劉邦、劉秀(光武帝)の事跡が多分に意識されています……個人的に、それらは全部南朝貴族たちのプロモーションでしかなく、劉裕自身の意思はあまり含まれていなかったようにも思っていますけれど。


他のところでうだうだ書いてはいますが、結局のところ劉裕の家門が南朝貴族らにとってカスなのは間違いのないこと。なら、そこにどう権威を載せるかってのは一つの課題であったかと思います。きっと贅を尽くされた催しだったのでしょう、けれども、それゆえに劉裕、そして孔靖の心には空虚なものが押し寄せていたのではないだろうか。そのように思えてなりません。


劉裕は若い頃から壮年期に至るまで、多くの怪我を負っていたようでした。その怪我は年老いてからの劉裕を大きく蝕んだとされています。南史にはこんな記述があります。「帝素有熱病並患金創。末年、猶劇。坐臥、常須冷物。」劉裕は熱病、及び刀傷を抱えていた。晩年になり、それはひどくなった。座るにも寝るにも、常に冷やすものが必要だった、と言うもの。自分は思うんです、こんな状態になった人に、どこまでまともな判断ができるのか? と。


なので劉裕の即位直前、言い換えれば死の三年前には、もはやほぼ配下貴族たちの言いなりだったのではないか、そのように感じられてなりません。そして孔靖は、立ち上げころの精気ある勇壮な武将としての劉裕をよく知っていたはず。「加齢」では片を付けきれない衰弱を、おそらく目の当たりとしていたことでしょう。


劉裕の生涯の末期にある、「皇位」という究極の権威を手に入れるシーンには、どうしても巨大な「喪失」を感じざるを得ない。そんなものを織り込みました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る