【温嶠・劉氏】劉佩玉と、鏡台と。
えっと……イケメン過ぎませんか?
実際にそう思ってしまったのだから仕方ない。あと、悪いのは叔父上だ。北の国で異民族と戦い続けてきた、なんて聞いたら、普通ごついおっさんを想像するじゃないか。
だと言うのに、母上のに挨拶をしに来たかれは、陰りや愁いを帯びた、薄幸の美青年、とでも言うべき人だった。
「
「はい。ことづてを、承っております」
懐から、木牌が取り出される。
母上は震える手で受け取ると、数文字も追わないうちに、こらえきれなくなったのか、小さく嗚咽した。
それを見届ける叔父上も、きつく、歯噛みしていた。
二人の、あの固く、悲しい顔――幼心に深く焼き付いた、あの顔つきの意味を、いくぶん歳を重ねてきて、ようやくわたしは知ることができた。
母上の弟、劉越石様。憎むべき胡族に最後まで立ち向かわれるも、戦いの果てに、散ってゆかれたお方。
叔父上は、姓を
○
わたしたちが住まう、このくにに牙を剥いた者たち――胡族。当時の帝すら、かれらに囚われ、
そして、散ってゆかれた。
叔父上は、その副官として長らく働いてこられていた。そして敗北が確定したところで、越石様より使者として立てられた――のだ、そうだ。いまの帝に胡族打倒を願いを託します、と伝えるために。
初めてその話を伺ったとき、わたしが思い出したのは
そのことを話すと、叔父上は少し困ったような笑顔をお浮かべになった。
「ならば私が
「できますわ、叔父上なら!」
「しかし、
「……はぁーい」
叔父上が、書きかけのわたしの
が、問題はそこじゃない。
確かに言いましたよ。教えてほしいって。
けどさ、口実ですよ、コージツ! 叔父上と一緒にいたかったから、それっぽい理由をでっち上げたに過ぎないのだ。
「
私のたどたどしい一文字一文字を追いながら、叔父上がおっしゃった。
文字を示す、その指が尊い。
すらりと伸びる、その腕が尊い。
襟元から除く、白い首筋。
伏せったまつげの、思いがけぬ長さ。
「恋歌、なの?」
叔父上のお顔が竹牌から離れ、私を正面切ってお見据えになる。
……うわー、うわー。
まじめなふりするのが、すっごい大変なんですけど。
「詩は、読んだ者に、読んだ者なりの風景をもたらす。何が正しい、と言う訳ではない。自らにとって、もっとも腑に落ちるように読むのが良い。わざわざ
そう仰り、いたずらっぽく微笑まれる。
ほのかにのぞかせてくる、些細な違い。
その一つ一つが、いちいち私の心をかきむしる。
まったく、ひどいお人だ。
仰っていることをそのまま飲み込めば、そのまま叔父上の、越石様への想いに繋がってくるじゃないか。もっとも、お二方を引き裂いているのは兼葭――オギやアシだと言った、かき分けてどうにかなるものじゃない。もっと分厚く、もっと重く、もっとどうしようもないもの。
――あぁ。
なら、わたしの兼葭は、このテーブルか。
思わず、わたしは顔をそむけた。
ヤバい。赤らんでしまっているのがばれたらどうしよう。
ただ、わたしの鉄面皮はなかなかのものだ、と言う自信がある。おそらく、何とかごまかせているだろう――そんな期待をかけて、部屋の片隅に置いてある鏡台で、自分の顔を覗き込んだ。
うん、大丈夫だ。
が、わたしのそのリアクションを、どう勘違いしたのか。
「佩玉、その鏡台がどうかしたのか?」
叔父上が聞いてこられる。
しめた。これはごまかすチャンス。
「すごい豪華だなー、って思って。叔父上の持ち物として似つかわしくない、と言うか」
確かに叔父上は風雅なお方ではある。けれどもそれは、あまりごてごてと着飾ったりはされず、あくまでその自然さがもたらすもの。だというのに、その鏡台は鏡の周りに細かな彫刻が施されており、どうにも叔父上のイメージと合致しない。
「佩玉の中の私はどんな人物なのだろうね――だが、そうかもしれないな。あれは頂き物だよ。越石様に従って北地を転戦していた時、戦勝品として入手したものだ。いまとなっては、越石様の形見のようになってしまったが」
私と叔父上が、一つの鏡面のうちに収まっている。
不思議だ。
こんなにも近いのに、こんなにも遠い。
そんな一抹の寂しさが、
――ついつい、わたしの口を滑らせる。
「叔父上のお心に、大きな穴が見えるわ。
私では、それを埋められないのかしら」
○
思い出したくもない。
いや、思い出しているけれども。
なんてことを思ったときには、もう遅い。驚いたように私を見ると、やはり微笑まれて――そこからは、また、いつもの通り。だから、私もそれ以上は言い出せなくなってしまった。
ただ、家に帰ってきたとき、母上はなにごとかを悟られたようだった。
「佩玉、そろそろあなたにも夫を見繕わないとね」
そう、母上が切り出してこられたのだ。
え、どうしていきなり?
あの時はそう思ったものだけれど、考えてもみれば、母上にとって私の鉄面皮など薄紙一枚ほどですらないのだ。きっと、ぐるぐると叔父上のことを考えてしまっていたのを見抜かれてしまっていたのだろう。
「温どのに、良いひとを見繕って頂くことにしましょうか。あのお方の見立てなら、さぞ素敵な殿方をご紹介して頂けるでしょう」
驚き、悲しみと、怒りと。
いろいろな気持ちの嵐が吹きすさんだのを覚えている。
一方で、はやく母上のことを安心させたい、そう思ったのも本当だ。
父上が亡くなって以来、女手一つで私をここまで育ててくださった。わたしの見ないところで、さぞご苦労もなされたんだと思う。そんなお人を前に、わたしには心に決めた人がいる、だなどと、どうして言えるだろう。
叔父上と私には、親子ほどの歳の差がある。
母親として、なるべく年が近く、長く支えてくださるような方を望むのは、当たり前のこと。
いろいろな思いを押し殺し、わたしは頷く。
「はい、よろしくお願いします」
○
それからしばらくして、叔父上から母上あてに手紙が来た。いわく、わたしにピッタリな殿方を見つけた、とのこと。家門や官位も、叔父上にまるで見劣りしない立派な方だ、とのことだった。そしてその方も、わたしとの縁談に乗り気である、と仰ってくださっていた、と。
「佩玉、佩玉! 来てみなさい、婿殿からの結納の品が届いたわよ!」
母上には珍しく、浮ついたような、慌てたような。
そんな感じで、わたしの部屋にまでやってくる。
「結納……?」
その時のわたしは、兼葭を竹牌に記しているところだった。その一文字一文字に、叔父上のお顔を、お言葉を思い起こしながら――あのテーブルを、あそこで押し退けていたなら、いまごろ。そんな詮無いことを想いながら。
「そうなの、とても豪華な鏡台よ! あのようなものをお持ちの殿方なのであれば、さぞかしご立派な殿方に違いありません!」
「へえ……」
母上を尻目に、わたしの腰はどうにも重い。
けれど、そのお喜びをふいにするわけにもいかないだろう。母に付き従い、届けられたというそれを見に行く。
そして、実物を見て――危うく、噴き出しそうになる。
「どう、佩玉? 素敵でしょう」
母上に、何と返事したものか。
ともあれ、あの時の私は、これまでで一番の鉄面皮をかぶれただろう。
そんな自信がある。
「えぇ、本当に」
そして、ひとりごちた。
――叔父上。見劣りしない家門って普通、ご自身に向けて仰る言葉じゃない気がするのだけど?
解説
https://kakuyomu.jp/works/1177354054893915600/episodes/1177354054893915682
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