第44話 祭り



 ピ〜ヒャララ……ピ〜ヒャララ……



 祭囃子が聞こえてきた。



「じゃあ行ってくるね」

「えっ、待ってよなっくん、一緒に行きましょうよ!」

「まあ、いいじゃないか。なっくんだって予定があるんだよ。嵐蔵と離れるんじゃないぞ」

 父がにこやかに言った。

「も〜、あなた達ったら。……なっくん、車に気をつけるのよ」

 なっくんは残念そうな母へ笑顔を返し、俺たちは一目散に神社へと向かった。

 


 いつもの散歩コース。

 途中の道すがら赤トンボに遭遇した。

 例年の祭りの時期は、黄金色の稲穂がこうべを垂れている頃なのだが、今年は延期となっていた為、稲刈りを終えての開催だ。

 かつてドラゴンと出会ったのも、この辺りだった。

 魔術師との一件があって以来、ヤーモンとドラゴンの姿を見ていない。

 昨夜の美しい花火を、奴らもどこかで見ていただろうか……。

 なんとなく淋しい気持ちが込み上げてきた。


 ……だが、なんとも食欲をそそる匂いが漂ってきた為に俺の意識は嗅覚に集中され、そんな思いは一気に吹き飛んだのだった。


 綿菓子、りんご飴、たこ焼き、金魚すくい……。

 神社に近づくにつれ、たくさんの露店が軒を連ねている様子が見えてきた。

「焼きとうもろこしの匂いだったんだね。すっごくいい匂い」

 なっくんもこの刺激に反応していた様だ。



……ガラガラガラ……ピーヒャラララ……ドンドン……



 境内の中から、助走をつけた山車が勢いよく鳥居を飛び出してきた。祭りの始まりだ。

 山車の上では、鉢巻きをした法被はっぴ姿の子供たちが、篠笛や龍笛、和太鼓などを、活き活きとした表情で奏でている。

 

 辺りを見渡すと、浴衣姿の子供たちがカラフルな水ヨーヨーで無邪気に遊んでいる。

 俺は目を閉じて耳を研ぎ澄まし、祭り特有の匂いに浸った。


 ラムネの瓶の音。

 笛や太鼓の音。

 輪投げや射的で歓声を上げる大人や子供。


 何といい匂い、何といい音……。祭りとは素敵だ。


「あれ、なっくんじゃない?」

 目を開けると、数人の子供たちが立っていた。

「わ〜この犬、なっくんの犬? 可愛い〜!」

 なっくんの学校の同級生だろう。

「ねえねえ、抱っこしてもいい?」


 ……! 抱っこ!? 冗談じゃない! それは母だけで十分だ! 


「ごめん、抱っこは苦手なんだ。それに意外と重たいからね。それはそうと、僕たち今来たばっかりでまだお参りしてないんだ。先に参拝してくるね」

「うん、分かった。じゃあまたね」


……ふう〜、助かった……。どうも子供は苦手だ。なっくんは別だが。


 そして俺たちは小走りにその場から離れ、参道へと向かった。

 祭囃子が歓声と共に遠ざかっていく。


 通い慣れた神社。見慣れた鳥居を前に、なっくんは姿勢を正し一礼した。

 そして俺たちはゆっくりと鳥居をくぐり、参道へ出た。


「参道の真ん中は神様が通るところだから僕たちは端を歩くんだよ」


 なっくんがそう言った時、スッ……と、不思議な感覚に包まれた。

 あんなに大勢集っていた人々の姿が忽然と消えたのだ。

 どこから聞こえてくるのか、祭囃子だけがこの厳かな参道に響き渡っている。

 俺たちは黙ったまま歩みを進めた。


……ざわざわ……


……! この音は……。そしてこの香り……! 秘宝植物だ!


 すると拝殿の前に立ってこちらを向いている一人の若者の姿が目に入った。

 青々しく強靭な秘宝植物の束を抱いて立っている。

「折座さん……!」

 なっくんと俺は、足早に折座の元へ駆け寄った。


 折座はいつもの様に微笑みを浮かべ、秘宝植物の束を差し出した。

「見てごらん。これが今の秘宝植物の姿だ。無事、香りも蘇った」

 そうだ。あの酔いしれてしまいそうな香りが、現実にここにある。


「……長かった……。世代を超えた力が見事集結した事で、秘宝植物を蘇らせる事ができた。嵐蔵、なっくん、君たちのおかげで……」


 折座は目を閉じ、秘宝植物の束を抱きしめ、大きなため息と共に語り始めた。


「酋長と言う立場の父は、常に命懸けで物事を判断していた。孤独だったはずだ。だからいつも神が味方してくれていた。だが知っての通り、今回の事で知らしめられた大いなる神の恐ろしさは、父に覚悟を決めさせるほどの強大なものだった。しかしこれも神の思し召し。有難い事に、父には唯一残された最後の道があった。それは魔術師の魂を救う事だった。どう判断が下されるのか、大いなる神に於いてはさすがの呪術師である父にも見当はつかなかった。答えなどどの様に出るのか分からぬ中で、一瞬一瞬を見極めながら父は、突き当たった洞窟の壁を削って行く様に道を作って行った。最後の仕事……と言った時の父の誇らしげな姿勢は、全ての事を受け入れると言う決意の表れだったのだろう。そして最後……。あの魔術師の花火が、父を縛り付けていた呪縛の壁をも打ち砕いたのだ。……そして……。……喜んでくれるかい、なっくん、嵐蔵」


 俺たちは二人して折座の話に真剣に聞き入った。


 「……その後父は……。父は……! 大いなる神からの赦しを得る事ができた……!」


 俺は嬉しさのあまり大きく尻尾を振った。

 この折座の言葉を合図に、遠くから複数の声がこだましてきた。

 


……ありがとう……ありがとう……ありがとう……



 これは五代目酋長と長老の声だろう。



「嵐蔵、なっくん、本当にありがとう。君たちの存在に、君たちの能力に、君たちの心の美しさに、心から感謝します」

 折座の微笑みは、光を帯びている様に眩しかった。

「秘宝植物は未来永劫、生き続ける。二度と枯れる事はありません」


 折座の髪がいつもの様になびき始める。風は徐々に激しさを増し、腕に抱いた秘宝植物の束を大きく揺さぶった。

「私は君たちの心の中に生き続けます。皆に幸あれ……!」


……ゴゴゴゴゴ……! ……ざわざわざわざわ……!


 御神木の樫の木が、折座の言葉に合わせて騒ぎ出す。

 折座の足元にしゃがかかり始めた。やがて微細な砂と化し空間に溶け込んでいく。折座の優しい笑顔は風となり消えた。



……ありがとう……ありがとう……ありがとう……ありがとう……



 折座が立っていた拝殿の前で、一度だけくるりと舞ったそよ風が、酔いしれてしまいそうな香りを残し、感謝の言葉と共に折座を連れていった。







 



 



 







 





 




 

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