第43話 眠らない町



……ドーン……ド、ドーン……



「わー! きれいね〜!」



「…………!! ワン! ワン!」



 突然の母の声に驚き、思わず反射的に吠える。そして自分の声にまた驚く。

 戻ってきたのだ。現実世界に。



「嵐くんったら怖がらなくても大丈夫よ、これは花火、って言うのよ」

 母は腰を落として俺の頭を撫でた。

 近所の人たちと肩を並べて夜空を見上げている最中の事だった。


……あの花火は魔術師たちの……。


 夜空へ、無数の大輪の花が次々と打ち上げられていた。


「ねえねえ、すごいサプライズよね。さっき自治会からお知らせが来て、延期になってたお祭り、明日から始まるんですって。まったく宮司さんも粋なことするわよね。この花火、前夜祭って事らしいわよ」


 相変わらずの母は、能天気に浮かれ声で言った。


「だけどこんな大掛かりな仕掛け、誰にも気付かれずに進めてたなんて驚きだよ。この花火だってもう何百発も打ち上がってるし。……予算、大丈夫なのかな」

「……もう〜! お父さんったらこんな時まで! 大丈夫よ! ほんとに心配症なんだから!」


 いつもと変わらない現実に、ほっと胸を撫で下ろす。

 なっくんを見ると、微笑みを浮かべ遠く夜空を見つめている。その横顔は、どこか折座を彷彿させた。

 この僅か1、2ヵ月の出来事なのに、なっくんはすっかり成長していた。

 きっと今も俺と同じ気持ちでいるのだろう。


 向かい側の家のおばさんと立ち話をしている宮司の姿が見えた。

 こちらに気付くと軽く手を上げ、俺となっくんに目配せをした。

 明日、待っている、と伝えているのだろう。



‥…ピュルルルル……ドーン……


 

 この花火は魔術師の気持ちの表れ。喜びと感謝に満ちている。

 二つとして同じ色形なく、見飽きることのない姿を披露してくれている。

 

「じゃあ奥さん、私たちはもう休むから。また明日ね。お休みなさい」

「そう? 私たちはもう少し見てからにするわ。お休みなさい」


 不思議な会話だ。

 花火といえばかなり騒々しい。そして非日常で、気持ちは浮つき、その限られた時間を思い切り満喫したくなるものだ。

 だが、間もなく打ち上げ回数も千発に手が届くという、いつ終わるかも分からない花火だというのに、それを日常の様に受け入れ、誰も不審がることなく、それぞれがマイペースで過ごす心のゆとり……。これが『始めの民』の優れた能力の一つ、大らかさだ。そして、気付かぬうちに受けていたストレスが、この花火で解消されていっているのだろう。

 騒々しくも賑やかな、このなんとも言えぬ雰囲気が、何故なのか人々に安眠をもたらしていく様に感じていた。


「じゃあ、お休み」

「お休み。明日楽しみだね」

「お休みなさい」


 皆、口々に挨拶を交わしている。

 この花火で町全体が一体となっていた。

 まるで一つの家族がそれぞれの部屋に帰っていく様な光景。町民全員が、パジャマで行き交っていても違和感などなさそうな、そんなアットホームな感覚を、俺は垣間見た。


 暫くの間、俺たち家族は無言で夜空を眺めていた。

「……さあ、もうそろそろ休もうか」

 父が皆を促した。

「……」

 意外にも、いつも何かしら一言ある母のセリフが聞こえてこない。なんとなく心配になって見上げると、母は立ったまま眠っていた。

「お母さんも、何もしていない様にあるけど、疲れてるんだよ」

 父はそう言うと母をおぶって家に入った。

「じゃあなっくん、嵐蔵、お休み。明日はお祭りだよ。早く寝なさい」

「うん。お休みなさい」


 

 まるで子守唄の様に、花火の音は夜明けまで鳴り響いた。

 流れ星のプラネタリウムは光のゆりかごの様に人々を遠く包み込み、寝顔を優しく照らし続けた。



 そしてのちにこの日は『眠らない町の日』として、この地域だけの記念日となった。






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