第42話 力の変換



 魔術師の顔には、初めて見る晴れやかな表情が生まれていた。

 引き抜いた両手を目の前にかざし、立ち上がったままの姿勢で、手の平を見つめては裏返し、そして手の甲を見つめ、また裏返しては手の平を見つめ……。彼は飽きることなく見入っていた。


「その爪だけはそのまま残るであろう。それも勇者の証と捉えよ」

「勇者……? この俺が……?」

 投げかけられた事のない、馴染のない言葉に魔術師は困惑した。そしてそれはすぐに暖かな表情へと変わり、広げた指先の、金色に染まった爪をもう一度見つめ、その輝きを愛おしむ様に抱きしめた。



……ざわざわ……ざわざわ……ざわざわ…………



 蘇った秘宝植物が、また何かを知らせてきた。



 ざわり……! と畑全体が大きくしなった。

「あっ!」

 一瞬、秘宝植物の間から人影が見え、それを目ざとく捉えた魔術師が叫んでいた。目にした現実を幻にはしたくないとばかりに彼の目は瞬き一つせず、本能に突き動かされるように駆け寄って行く。

 魔術師の接近に合わせ、再度、秘宝植物は大きなうねりを見せた。

 そこに立っていたのは……。

 


「父上……。母上……」



 魔術師の父と母だった。

 


「会いたかった……。愛しい我が息子……!」



 魔術師にとって、ただ一人の味方であった母親が目の前にいる。

 あんなに、あんなに、会いたかったはずの母親が……。

 だが手放しで喜ぶ事が出来ず、彼の足はガタガタと震え始めていた。

 何故ならば、目の前にいるこの男こそが、彼が心を悪魔に売る原因となった張本人、実の父親なのだ。平常心でいられる者などいないだろう。



「……許してくれ……」



 魔術師の父はこの一言を言うのが精一杯なのか、かすれた声をやっとの思いで絞り出し、腹の底から苦しそうに息を吐いた。



 沈黙を破る様に、五代目酋長が一つ咳払いをした。



「……では、最後の仕事に取り掛かるとしよう」



 五代目酋長はそう言うと、小刻みに震え立ち尽くす魔術師の隣に立った。

 今にもこぼれ落ちそうな涙を瞳いっぱいに浮かべ、魔術師はすがるように五代目酋長を見た。


「心配要らぬ。お前は300年もかけて制裁を受け続けた。恨み、憎しみを糧に呪いは生き続けたものの、そら、思ったほど、お前の悪はそう蔓延はびこらなかったであろう? 何故か? 私たちを侮ってはいけない。この長い年月、お前の悪行が浄化されていくよう呪術を施していた。ただ誤解のない様言っておく。決して私は完全ではない。この秘宝植物復活の頃合いを図るのに、様々な力を集結させる必要があった。そこにお前の最後の邪心も必要だったのだ。見事、機運を逃す事なく秘宝植物は守られた。そしてお前は意外な贈り物までくれた。まさかこれ程までに力の変換が出来るとは。お前は傷つけた者のみならず、深い闇に投じられた無限地獄の者さえも救い上げたのだ。お前の持つ強大な力はここで発揮される事となっていた。この様に難しい事なのだから、これだけの年数がかかったのは無理もない話だ」

 


 魔術師の瞳から、もう堪えきれないとばかり、一筋の涙が線を描き、落ちた。



「私の最後の仕事は、お前の魂を悪の連鎖へ二度と戻らせない事。この仕事を最後にさせて貰えるのはお前がいたからだ。お前のおかげで私も長い制裁から解放される」


 その言葉を聞いた時、魔術師の心の中の氷が溶け出したかの様に、凄まじい勢いで涙が流れ出した。

 泣いても泣いても、止まらない涙。

 涙の川は、父と母の足元までに及んだ。

 


「息子よ、抱きしめさせておくれ」



 名もない一輪の花をそれぞれが持ち、三人は近づいた。

 


 秘宝植物がざわざわ……と舞い、繊細なその瞬間を隠した。

 三人を取り囲む秘宝植物。その酔いしれてしまいそうな香りは、三人の気持ちを癒し、そして風と共にこの美しい光景を祝福していた。

 すると突然、取り囲んだ中心から爆風を伴う激しい光が放たれた。秘宝植物をなぎ倒しそうな風圧、炸裂音。その光の球は一気に頭上高く飛び跳ねた。遙か上空で開いた、咲き誇る光の花。それは、見事な打ち上げ花火だった。



……ドーン……ド、ドーン……



……ありがとう……ありがとう……ありがとう……



 何度も何度も魔術師たちの声が届けられ、そして徐々に小さく遠くなっていった。


 さすが魔術師だけあって、呪縛からの解放も威力が違う。

 

 俺たちはこんなに美しい花火を見た事がなかった。



 



 



 

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