第32話 消えたレプリカ



「なっくんは一体どこに……」


 俺が呟くとドラゴンが即座に言った。

「なっくんならあそこにいるぜ」

 遠く指差している方向には誰もいない。

「何も見えないぞ。どこにいるんだ?」

「あそこにいるじゃねーか。とにかく行こうぜ」

 俺たちはドラゴンの手に掴まった。羽を動かしたのは1〜2回くらいのものか。ほぼひとっ飛びで3キロほど移動した。そして言った通り、そこになっくんはいた。恐るべきドラゴンの複眼は、難なく3キロ先の光景を捉えていた。


「嵐蔵!!」

 なっくんが嬉しそうに走ってきた。暗闇の中、さぞかし怖かった事だろう。

 俺たちは互いを強く抱きしめた。傍目には折座となっくんが抱き合っている格好だから妙な気分だ。

 そしてなっくんは俺の背後にいるドラゴンとヤーモンに気づいた。その目は奴らの姿をしっかりと捉えている。さほど驚かないのはなっくんらしいが、さすがに一瞬動きを止めたのは無理もない。ヤーモンは20〜30センチほどの大きなヤモリ、ドラゴンは2メートルほどの小さな恐竜で、羽はオニヤンマ、目はミラーボールときているのだから。


 俺はまずヤーモンを指差して言った。

「あいつ、ヤーモンなんだ。かなり大きいが」

「そうだね。確かにヤーモンだ」

 なっくんは全然動じない。

「隣のあいつはドラゴンと言って、普段は金色のオニヤンマなんだ」

「あの、よくウチに来ているあの子?」

「そう。凄く派手だろう?」

 暗闇の中、ドラゴンの放つのおかげで互いの顔が見えているという状況なのに、何事もなかった様に普段通りの会話をしている俺たちはなのだろうか。


「おーい、水鏡が呼んでるぞ」

 ドラゴンが、ミラーボールの中の個眼をキラキラと点滅させながら声をかけてきた。

 今度はなっくんも連れて、それぞれがドラゴンに掴まった。さっきと同様、羽を動かしたのは2回程度。既に目の前は祈祷所だった。



 扉を開け中へ入る。

 光を蓄えた水鏡の水面がゆらゆらと揺れている。まるで早くこちらへ来いとでも言っているかの様に。

 中を覗き込む。

 すうっ……と、視界は水鏡の中の情景一色となった。眼前に映像が映し出されていく。誰か……? ドタバタとせわしなく動き回っているのが見える。

「大変だ……! 大変だ……!」

 その声は総代?

「総代、落ち着いて下さい。きっと大丈夫です。あの子たちを信じましょう」

 いつもの様に窘めているのは宮司だった。……場所は……? 辺りの風景を確認してみる。見覚えのある作業台。香立てに黒電話……。社務所だ。だが何か変だ。顔を水鏡に近づけ様子を窺う。

 ろうそくの灯りで室内が照らされている。……という事は夜なのか? 窓の方へ視線を移してみる。夜は夜でも見た事のない夜だ。真っ黒い墨をべったりと塗りたくられた様な暗闇。俺が味わった闇と同じ漆黒の闇だ。


「なぜこんな事に……!」

「何が起きたのかは分かりませんが、ここにあった神宝の鈴のレプリカが消えてしまった事に何らかの要因があるのでしょう。とにかく、静かに待つより他ありません」

 人々の叫び声や車のぶつかる音が遠くから聞こえてくる。

「嵐蔵くん、なっくん、何処へ……」

 そう呟く宮司の声が遠く消えて行く。

 映像を写し終えた水鏡の水面は、それまでと打って変わってベタ凪となった。


「レプリカが消えた……?」

 車の音がしていたところを見ると、宮司と総代がいた場所は現代だ。現代の世界が漆黒の闇になったら大変な事だ。鈴のレプリカが消えた事で安全と平和の呪力が断たれたのか。

「お父さんとお母さん大丈夫かな……」

 なっくんは心配そうに呟いた。


 魔術師扮するすすり泣く女が、鈴のレプリカを水鏡の中に落とした事に端を発している事は間違いなかった。

 この水鏡は過去と未来をつなぐ架け橋の様なもの。かつて五代目酋長は、300年前と今を繋げた。そのかすがいとなったのが神宝の鈴だ。何故、俺の夕飯の中から出てきたのは謎だが、まあ、意地でも俺の目の前に出現させたい為と捉えれば分からなくもない。否が応でも目に入るからな。

 それはさておき、鈴のレプリカが水鏡に落とされたら、その後は一体どこに出現するのか? 

 俺は思っていた。本物の神宝の鈴を納めるべきところに納めるには、まず鈴のレプリカを、出てきた場所、即ち水鏡の中に収める事が先決なのだと。しかしそれは、本物の神宝の鈴が手元にあっての話だ。さもなくばさっきの様に漆黒の闇に放り出される事態となる。危ういところだったが、ドラゴンとヤーモンのおかげで助かった。


 今、本物の神宝の鈴が手元にあって、レプリカは水鏡の中。

 さっきは思わず魔術師の行動に逆上したが、少し考えを改めてみようと自分に問いかける。

 俺自身が固執していたから腹が立ったのか? 何も俺が自ら水鏡の中にレプリカを放たなくとも、魔術師が俺に代わって水鏡の中にレプリカを落としただけの話……と考えたなら腹も立たないのでは? 遅かれ早かれ、レプリカは水鏡の中に収まっていた筈なのだから。

 煮えたぎった腹に怒りを治め、憎むべき相手に感謝の意を表してみる。

 あのアクシデントがなければ、俺は稲妻を起こすほどの怒りに身を投じる事などできなかっただろう。一つ自分を知る事ができた。そしてあのエネルギーに反応してドラゴンの姿がバージョンアップした。そのおかげで俺たちは助かった。たとえそれが味わずに済んだ危険だったとしても……。

 

……そうやって俺は、自分の思考を、意識を、プラスの方向へと導いて行った。


 すると……。

 瞬きもせず、眠っていたわけでもないのに、さりげなく……そして流れる様に、目にも止まらぬ速さで目の前の世界が塗り替えられた。





 


 



 



 






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