第27話 黒い影



 老婆はキセルを横に持ち直し膝の上に置くと、目を閉じ言った。


「遂にこの時が訪れたのかと覚悟を決めておった。……それは遥か昔の話じゃ」


 そう前置きをして老婆は深く息を吸った。



 いつもの様に老婆は村の長として忙しい毎日を送っていた。

 その日もいつもと同様、何の変哲もない日常……の

 しかし突然の不審な物の出現は、否応なく穏やかな日に波紋を起こす事となった。

 老婆の霊力ならば簡単に予測できたはず。ところが、何らかの自然作用で何かが発生したのか(現代の言葉で異常磁気とでもいうのだろうか)、力を封じたのかと思いたくなるほど、あっさりと老婆の霊力は狂わされてしまったのだという。

 黒い影の様なものが老婆の視界を横切った時には、既に時がすぐそこまで来ているのだと受け入れる他なかった。

 

 それ以降、老婆は黒い影の動向を注視する事になるのだが、しかしそれは、直視しようとしても捕らえられず、見まいとするなら視界に入り込むといった翻弄ぶり。黒い影は老婆を嘲笑うかの様に、幾度となくその存在を誇示する様になっていった。

 そんな異常な現象はひと月余り続いた。


 すすり泣く女が生まれるその日。

 母親の陣痛が始まった辺りから、黒い影の気配がぷっつりと途絶えたという。それに合わせる様に村中の音が消え、不気味なまでにしんと静まり返った夜のとばりの中に産声が響き渡る事となる。



「この様な可愛らしい赤子が他にいようか、と、村中の者が沸き立ったものじゃ。しかしわしには見えたのじゃ。『魔』を内蔵して生まれてきてしまったあの子の目を」



 すすり泣く女は成長するにつれ美しさを増していった。しかし謎めいたその雰囲気ゆえに人とは一線を画す孤独な存在となった。そんな孫娘に老婆は容赦なく厳しい躾をした。

 村長である老婆の家系は霊能力に秀でており、それは血脈から血脈へと受け継がれていた。持って生まれた能力に溺れる事なく、また、押しつぶされる事なく飼い慣らしていくには、強靭な精神力を必要とした。

 古来より伝え聞いていた『魔』を宿す子の誕生。予言通りに言い当てるほどの霊力は、過去の忌まわしい歴史が浮き彫りにされ、その後浄化される事までをも示唆していた。

 厳しい躾に耐えきれず、涙を流す孫娘を優しく抱きしめてやりたい衝動に駆られながらも、心を鬼にしてまで真剣になったのは無理もない。孫娘は或る意味での『選ばれし者』であり、絶対に失敗は許されないという重圧が課せられたという事なのだから。



「過去の忌まわしい歴史と言うのは?」

 なっくんの問いに老婆は閉じていた目を静かに開いた。

「遠い遠い昔……。この地がようやく開拓され始めた頃なのじゃろうか。もちろんわしもまだ生まれておらぬ。この地は殺戮など日常茶飯事の無法地帯だったそうじゃ」

 老婆はキセルに刻んだ葉を詰め、目を細めながら火を点けると深く煙を吸い込んだ。



 この土地自体に不思議な力があったのか、治安が悪いにも関わらず吸い寄せられるように人が集まっていたという。

 老婆の先祖も、霊力に導かれこの地に根を下ろした。

 様々な困難が待ち受けていようとも、この地なくしては重大な役目は果たせぬ……それは老婆の祖先たちに与えられた重大な予見だった。

 何かが起こる……。彼らは胸に思いを刻み、世を見極める目を秘めたまま日々を送っていた。



 当時、この地は邪心を操る魔術師が牛耳っていた。

 混沌としたこの地で、さしたる目標もなく暮らす男たちを無頼漢に仕立て上げる事は、魔術師にとって赤子の手をひねる様に簡単な事だった。

 このままではこの地は恐ろしい事になってしまう……と、老婆の先祖である霊能力者が、数人の同胞を従え密かに立ち上がろうとしていた。

 ところが魔術師の力は強大で、霊能力者たちの画策をいとも簡単に見抜き、同胞を一人、また一人と呪い殺していった。

 老婆の先祖の霊力は決して弱い訳ではなかったが、数少ない同胞たちが奪われ、たった一人での交戦では魔術師の力を封じ込める事など到底不可能だった。

 そしてとうとう捕らえられ、洞窟の中へ閉じ込められてしまう。殺されなかったのは、さすがの魔術師も、この霊能力者の霊力を破壊する事が出来なかった為である。



「このまま、命朽ちていくのかと半ば諦めかけておったそうじゃ」

 一つ咳払いをしてから老婆は続けた。



 一体どれ位の月日が流れたのか、霊能力者は見当がつかなくなっていた。

 日も差さない洞窟に、水と僅かな食料だけが無造作に投げ込まれるだけの毎日。

 洞窟の外では気違いじみた笑い声が響き渡る。物が破損する音。叫び声。喧嘩、殺人。一握りの女たちが無頼漢の膝に乗って肌を露出し酒をあおっている。魔術師とそれを取り巻く無頼漢たちは、日々激しさを増す酒池肉林の日々にどっぷりと浸かっていた。


 欲がもたらしたとでも言うべきか。そんな環境でも一つの村がしっかりと構築されていったのは、欲にまみれた魔術師と無頼漢たちが力にものを言わせ、自分たちが快適に過ごす為、下僕たちに村の整備をさせていったからだった。

 そして当然の事ながら魔術師たちは人使いが荒く、下僕たちの身体はボロボロになり、次々に倒れていった。



「偶然か必然か、お前たちの集落の旅の使いの者がこの村を通りかかったのじゃ」

 老婆は少し表情を和らげ俺たちを見た。

「その者は手に薬を携えておった。薬草か何かで作った物の様じゃと伝え聞いておるが」

「それも秘宝植物?」

 なっくんが待ちきれない様子で老婆に問う。

「その様じゃの」



 察しの通り、旅の使いの者は倒れた者に手を差し伸べた。……と、老婆は続きを語り始めた。



 傷口には塗り薬を、必要な者には飲み薬を分け与え、手当てしていった。

 そしてみるみる内に怪我人の傷は癒え、瀕死の重体だった者までもがその場で歩き出すほどの奇跡を起こした。

 しかしその行為は、この殺伐とした世界ではあまりにも目立ち過ぎてしまった。

 案の定それは魔術師の耳に入り、旅の使いの者は霊能者と同じ洞窟に閉じ込められ、薬は全て奪われてしまう。そしてふた山離れた所にある集落に、この薬の元となる秘宝植物があるという事を、拷問によって吐かされてしまう。


 それから魔術師は、まるで恋する乙女の様な眼差しでうっとりと遠くを見つめ、秘宝植物に思いを馳せる様になった。

 旅の使いの者が纏っていた上質な衣も奪い取り、これも秘宝植物から出来るのかと頬ずりするほど、完全に心を奪われた様子だったという。


「欲しい……。欲しい……」

 以来この言葉が魔術師の口癖となった。

 一方で旅の使いの者は、身ぐるみ剥がされ全てを吐かされても開放される事はなかった。魔術師が目論む悪だくみに人質として利用する為だ。

 ただ、さすがの魔術師にも誤算があった。『始めの民』が生まれ持つ能力を知らなかった事だ。

 

 洞窟の中では既に動きが始まっていた。

 厳しい拷問で弱った旅の使いの者は、同じ様に捕らえられている霊能者に力を借りた。この地で起こっている事、そして自分の身に降りかかった事を自分の集落の酋長に念力で伝えた。


 当時の酋長とは、荒地を切り拓き集落を築き上げた初代酋長。即ち折座の先祖だ。その能力は古に遡れば遡るほど強力だったそうだ。


 捕らえられた旅の使いの者が情報を発信した時にはもうすでに、軍勢を率い馬を走らせている最中さなかだったという並外れた能力の持ち主……それが初代酋長だった。

 



 










 



 

 

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