第25話 意識の扉



「この世界の扉を開ける前、もう一つ別の扉がありましたか?」

 折座の問いに、皆一瞬考え込んだ。

「ありました」

 なっくんが答える。

「ですが鍵が掛かっていたのでこちらの扉を開けよとの事かと判断したのです」

 宮司が言葉を添えると、折座は黙って頷いた。

「良いのです。それは無理もないのですから」

「どういう事です?」

 総代が会話に割って入る。

「あちらの扉は未来です。今後、未来の扉の中がどうなるかは今の我々にかかっています」

「では、ここは一体……?」

 しばらく沈黙があって折座は口を開いた。

「ここは『意識の扉』。お気付きでは? この世界そのものが息づいていると……」

 言葉に表しようがない思いに囚われ困惑したものの、皆、納得していた。

「この世界の『意識』は神の遣い。希望がエネルギーの源なのです」

 折座は一向に俺たちの素性やこれまでの経緯を聞こうとはしない。

「あなた方の事は分かっていますから、心配は要りません。それより、これからお話する事を聞いて下さい」

 


 あの嵐の日……俺がなっくんに助けられたあの冬至の日……。折座は、既に自分の意識を嵐蔵の中に宿らせていたのだと結論から言った。

 その話は、驚かずにいられる事など到底不可能な内容だった。



 五代目酋長が折座に向けて送っていた数あるメッセージの中の一つに、『神の犬』というキーワードがあったという。

 そして『冬至が教えてくれる』というメッセージ。

 折座は毎年、冬至がくる度に色々な事象に神経を張り巡らせていた。だが何も変わった事は起こらず、一年、また一年と、月日は流れて行った。

 変わったところがない、というもどかしい時の中で、じわじわと何かが思いを焦らせた、と、折座ならではの表現で語っている。


 

 それから折座は、五代目酋長からのメッセージを頭から絞り出す様にして思い出していった。その中に『ご神木』『影』『南』というキーワードを見つける。その時初めて気づいたそうだ。冬至を意識して以降毎年、なぜか冬至のその日には晴天に恵まれる事がなく、必ず雨か雪が降っていて日射しがなかった事に。

 そしてとうとう訪れたその年の冬至の日。雲一つない、待ちに待った晴天だった。折座は意を決してご神木の前に立った。

 太陽が南の空高く頂天に達した時、ご神木の影が長く指し示したその先に突如真っ白い犬が現れた。折座はこのタイミングを見逃さず、五代目酋長の教え通り直感に従った。神の犬の意識に自分の意識を同調させたというのだ。




「300年後のこの時代に父の呪術が力を失う事は、避けては通れぬ宿命さだめ。同時に、父が隠した本物の銅の鈴が出現する事も決まっていた事ということになります。君の事も……嵐蔵くん。神の遣い、神の犬が現れるという事も」


 折座の言うこの神の犬が俺の事だと……? という事はつまり、俺は折座の時代から、このなっくんの時代に遣わされたのだという事だ。

 そうか……。納得できてきた。

 主様がいつも励まし、時に俺をあやしてくれていた事。俺の一部になっていたから、深く疑問を持つ事などなかった。

 俺のこのお役目は、主様から見ても半端ではなく大変な事だと言う表れなのだろうか。俺の中の、ぼんやりと輪郭だけが浮かび上がっていたパズルが今、パチっとはまった。



「一つ聞いてもいいですか?」

 なっくんが問いかけた。

「どうぞ」

「銅の鈴を鉛の鈴にすり替えたのは、何か重要な意味があったのですか?」

「もちろん。この呪力が弱まる時に、同時に『魔』が出てくる事を父は分かっていたからなのでしょう」


 折座は続けた。

「あの、前代未聞の危機的状況……それまでの歴史を一変させたあの日。無頼漢たちに押し入られ、その目的は秘宝植物の奪還だという愚かな振る舞いに対し、暴力に暴力で対抗する、などという道を選ぶ事は、誰の頭にもありませんでした。他山たざんいしとして対処できるよう父は命懸けで祈願し、結果、村は長い繁栄の歴史を歩み始める事となります。私はまだ生まれておらず、古文書でしか詳細は知りませんが、どうやら父は『後の民』の事を完全には信用していなかったのでは……と思っています。それでも父は差別を嫌い、この様な区分けを後世には伝えず平和を守り通しました。後継者である私にはほとんど何も話さず、重要な単語だけを、聞き逃しそうなさりげなさで与えてくる父に反抗的な態度をとった事もあります。彼の思いにも気付けず未熟やら情けないやら」


 そういうと折座は少し悲しげに微笑んだ。


「私も大人になり『始めの民』として、また五代目酋長の息子として、この身に宿る能力を認められる程になった時、ようやく分かったのです。口伝をはじめ、父は全ての伝授の方法を許されずにいたのだと言う事が」


「許されずにいた、とは?」


 宮司も頭の中を整理して聞いている様だった。

「声に出して言えば『魔』に聞かれる。書き記したなら『魔』に知られる。伝える為には私に事しか、残された道はなかったのでしょう。事実、言葉で私に伝えようとした長老は風の様に姿を消しました。『魔』は、『後の民』を無頼漢に仕立て上げ、この村を滅ぼそうとした張本人なのです。父が信用していなかったのは『後の民』そのものではなく、『魔』に操られる可能性のある『後の民』、と言う方が正しいでしょう」

 折座は一息つくと、皆に向かって言った。

「最近あなた方の世界で、今までになかった事が起こり始めていませんか?」

 

……確かに、ある。俺たちの町で起こり始めた事……。

 荒らされた畑、人を切りつけた影、暴動を起こしそうな若者の訴え、父の会社のノイローゼになった社員……。


「あると思われるならそれは、皆さんのお考え通り、呪術が消失する前兆です。そして影響を受けているのは『後の民』の末裔です。ただ、だからといって『魔』の思い通りになるとは限りません。そちらのなっくんの様に、『始めの民』の末裔に宿っていた神秘の力が、作用し始めています。警戒しなければならない事もあるでしょうが、逆に、押さえつけられていたものから解放されていく、という現象も同時に出てきます。そこのところが、嵐蔵くん、、難しいところでもあるのです」


 言っていることは分かる。

 先の若者や父の会社の社員の動向は、かつての無頼漢のそれとは訳が違う。

 

「そうです。この300年の間に我ら民族は、悪しきものを浄化し、かけがえのないものを構築したのです。だから以前のままの『魔』が悪さをしようと我らに挑んできても、そう容易たやすくは操られないのです。それに業を煮やした『魔』は姿を現す羽目となってしまった」


 ざわざわと秘宝植物の葉がしなる音が聞こえた。風に乗って届く酔いしれてしまいそうなあの香りが、ため息を誘う。


「それでも刻一刻と時は迫っています。急がなければなりません。『魔』は、近々訪れる呪力消失の時を狙っています。神宝の銅の鈴を一刻も早く戻さなければ……。今でも『魔』は、憑依した者の目を通してどこかでこちらの様子を伺っています」

「憑依した者?」

 皆で一斉に問う。


 少し間隔を置いてから折座は言った。


「すすり泣く女、です」







 







 












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