第5話 時の始まり


 

……ちょうどよくなければ許されない時代。

              心を強く持ち俯瞰ふかんせよ……




 主様の声が少しずつ真綿の空間に溶け込んで行く様に消えて行った。



……チリン……



 目を開けると、目の前のフローリングの床に例の鈴が転がっていた。そこはいつも通りのなっくんの部屋だった。

 自分の体を確認する。……ちゃんとある。尻尾が。手も足もフサフサだ。少しほっとして、ベッドの上に横たわっているなっくんに駆け寄り顔を舐める。なっくんは顔をしかめながら寝返りを打つと体をピタリと止めた。

「嵐蔵!」

 なっくんは飛び起きると、思い切り俺を抱きしめた。

「嵐蔵、さっきのこと覚えてる?」

 俺はもちろん喋れる訳でもないので黙ってなっくんを見つめた。

「いいんだ。僕が分かってるって知ってくれたらそれで」

 


「あなたたち、ごはん冷めるわよー」

 キッチンから母の呼ぶ声が聞こえてきた。そうだ、夕飯はまだだった。確かに空腹でめまいがしそうだ。俺となっくんはキッチンへと駆け足で向かい、それぞれの食事を無言のままがっついた。

「まったくあなたたちは……。何してたの。ご飯の途中なのに。それにそんなに慌てて。変な子たちね」

 母は呆れ顔で冷たいお茶をグラスに注いだ。どうやら時間はそう経過していない様だ。だが俺たちには何時間もの時をあの世界で過ごした様な気がしていた。



「ごめんくださーい」

 突然、玄関から人の声がしてきた。母は即座に返事をすると、エプロンで濡れた手を拭きながらパタパタとスリッパを鳴らし玄関へと急いだ。談笑しているところを見ると、どうやらご近所さんの様だ。

 


「どうしちゃったのかしらね……」

 しばらくして戻ってきた母は、首をかしげながら回覧板を開いていた。

「何かあったの?」

「ほら、いつものあのお祭り、今年は延期なんだって」

 俺となっくんは互いの顔を見合わせた。

「よくは知らないけど、儀式の時に使うあの植物がまだ確保できないんだって。ここ数年どんどん減って来てたみたいで、今年は全然量が足りないんだって。そんな事になっていたのね。全く知らなかったわ」



……そう。母に限らず多くの人が知らない。陰でひっそりと皆を支え恩恵を与えていた神秘の植物の事を。過去に遡って言えば、かつてのそれは門外不出のものだったらしく、長きに渡ってこの町に受け継がれて来た、大切な神宝の一つなのだという。

 不思議だ。知らないはずなのに頭の中に鮮明に広がっていく。これまでずっと漠然とあった、やらなければならないやるべき事。その枠の中にまるでパズルの様にヴィジョンがはめ込まれていく。



「嵐蔵?」

 物思いに耽っているとなっくんが声をかけて来た。心配性のなっくんを安心させる様に犬らしくお座りして尻尾を振って見せた。

「嵐くんって面白い子よね。時々何か考えてる様なとこがあるものね」

 母を見ながら照れ隠しに伸びをして見せる。

「お母さん、それじゃ宿題してくるね。おいで、嵐蔵」

「あら、感心ね。しっかりね」

 俺はなっくんの後を追い互いに平静を装う様に部屋へと入って行った。

 


「嵐蔵、どう思う? やっぱり行ってみるべきだよね?」

 俺は勉強机の椅子に腰かけるなっくんの前に座り、膝の上に手を置いた。

「よし、こっそり抜け出そう。ちょっと待ってて」

 なっくんは納戸からゴソゴソと何やら不思議な物体を探し出して来た。

「これ、椅子の脚にかぶせるカバーなんだけど、少しの間だから辛抱して。大丈夫、少し伸びててきつくないから」

 椅子の脚カバーを靴下にするつもりなのか? まあ、いいか。俺は素直に足を差し出した。しかし履いたはいいが、どうにも気持ち悪くて一本一本の足を振りながら歩いてしまう。

「フローリングの床だから嵐蔵の爪の音で気付かれちゃうだろ?」

 なるほど。さすがなっくん。用意周到だ。そのままなっくんの後に続いた。

 リビングではバラエティ番組を見ながら笑っている母の後ろ姿が見えた。父は残業でまだ帰っていない。

「今だ!」

 静かに玄関のドアを開けゆっくりと閉める。少し離れたところでなっくんは俺の足からカバーを外し、俺たちは真っ直ぐに神社へと向かった。



 日暮れのパワーは力強く、日々圧倒される。巨大にしてこのスピード感。燃える様な太陽は、鳥居の前に着いた頃には姿を隠し、辺りはうっすらと暗くなり始めていた。

 この町にある神社はここだけだ。毎年行われる収穫祭はこの神社の山車だしから始まる。

 なっくんは鳥居をくぐる前に一礼し境内に入って行く。俺も後に続く。

 片隅に設けられている社務所には薄明かりが灯り、中から人の話し声が洩れ聞こえてくる。俺たちは姿勢を低くして建物の側に忍び寄り壁の下にかがみ込んだ。




「何でここにきてこんな……!」

 この神社の氏子総代の声らしい。続いて宮司の声がする。

「今年はあまりにもひどすぎる。延期にするより仕方がなかったのです」

 俺たちは窓の下ににじり寄り、耳を凝らした。

「代々続いてきたこの大事な祭りが雨天以外に延期になる事は前代未聞の事ですよ。一体何があったのです?!」



 ここの総代はとにかく責任感が強く、そうした人物だというのはかなりの有名な話で、神事に対しては厳しく事を重んじている事もまた周知の事実だった。



「実は……。こんな事でもなければ神職以外の方には明かしてはならないのが代々の掟だったのですが……」

 宮司の声は低く深刻な様子を漂わせていた。

「この町がまだ村だった頃、それまでの歴史を一変させるような出来事が起きていたのです」




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