第4話 すすり泣く女



目を開ける。

ん……?

何か妙だ。何か変だ。



「嵐蔵! 嵐蔵! どこにいるの!」

なっくんの叫び声が耳に飛び込んで来た。叫びたくなるのも当然だ。だって……。



 ここは一体どこなんだ!?



 俺たちは今の今までなっくんの部屋にいたはずだ。いつの間に外に出たんだ? それに何だ、この空は。晴れているのやら何やら分からない変な天気だ。

 思い出せ。最後にした事を。そうだ……。なっくんの部屋で鈴を鳴らした。だからといって瞬きする間に外に出るなどという事があり得るか? 俺は声のする方へ走りながら頭はパニック寸前だった。



「あの、すみません。中型の白い犬を見ませんでしたか?」

 いつもの様に半べそになっているなっくんの姿を見つけたはいいが、突然の他人行儀な言葉に反応し、思わず足に急ブレーキをかける。なっくんは俺に向かって確かにそう言った。

 


 常軌を逸したこの状況に加え何かとてつもない違和感を感じる。

 一旦冷静になってから深呼吸し、辺りを見渡してみる。

 金色に輝く空。明るい部分と暗い部分があって昼なのか夜なのか分からない。太陽らしきものも、月らしきものもこの空にはどこを見渡しても存在しない。

 一歩二歩と歩みを進めてみると、地面には真っ白い雲が広がり足元を包んでいた。……なに……? これは俺の足か? 2本足で立っている。徐々に現状を把握しつつあった。

「あの……」

 なっくんがもう一度話しかけてきた。我にかえりなっくんを見るとすぐに心が分かった。俺を探すという目的が、この狂気じみた状況の中での精神を支えているのだ。その証拠に、なっくんの足はガタガタと震えていた。俺はすぐさま気を取り直しはっきりと言った。

「その犬、一緒に探そう」

 俺はそう言いなっくんの手を取る。今はこうするより他ない。俺自身いきなり人間になっていて自分の扱いだけでも大変なのだが、それどころじゃない。



 その時、すすり泣く様な人の声が聞こえてきた。なっくんと二人振り向くと、うずくまる様にして座っている女の姿が見えた。

「どうしたんですか?」

 心の優しいなっくんは話しかけた。するとその『すすり泣く女』は蚊の鳴くような声で呟く様に答えた。

「失くしものをしてしまったんです」

「失くしもの? もし良かったら教えてもらえませんか? 一緒に探しましょう」

 なっくんは優しく話しかけていたが、俺は何故か胸騒ぎがした。

「そう、大事なものなんです。大事な大事な宝物」

 ゆっくり立ち上がり、手のひらを上に向け、『すすり泣く女』は言った。

「これくらいの鈴なんです。大事なお守りなんです」

「え? 鈴? もしかしてこれでしょうか?」

 猜疑心を知らないなっくんは例の銅の鈴をポケットから出して見せた。

「それです。それがそうです。もう少し近くで見せて頂けますか」

『すすり泣く女』は弱々しく、すがる様な仕草でよろよろと近づいてきた。あと少しでその手がなっくんの持つ鈴に届きそうになった時、伏せ目がちだった顔の口元がニヤリと歪んで見えた。やっぱり変だ! 俺はなっくんのそばへ駆け寄ろうとした。……が、間に合わない!

「その鈴を渡してはいけない!」

 俺は目一杯叫んだ。すると次の瞬間、人間の頭ほどの大きさのヤモリがガサガサと大袈裟な音をたてながら現れ、その巨体をものともせず軽やかにジャンプすると、おもむろに『すすり泣く女』の顔面に張り付いた。

「おっとっとっとっと……」

 その声はヤーモンだった。

「ぎゃー!」

 それまでおしとやかだった『すすり泣く女』は、一変して大声を張り上げヤーモンを手づかみで放り投げると、一目散に走って逃げた。

「いってえな……」

 雲の絨毯からのそのそとヤーモンが不機嫌そうに出てきた。

「ヤーモン? その体は? 何故ここに?」

「質問は一つずつにしてくれないか」

 この世界で会うヤーモンは姿も大きいが態度も大きかった。

「まあいいさ。おい嵐蔵。一つ貸しだぞ」

 ついヤーモンとの話に夢中になっていた。なっくんの方を振り向いた時には、もう全てを把握したような表情の一人の少年がそこに佇んでいた。





……幾たびも 味わえど尽きぬ苦しみは

             他に道なき 気付きへの旅……





 主様だ……! そう思ったその時またしてもすすり泣きが聞こえ、次第にそれは嗚咽へと変わって行った。

 風がごうごうと唸り声をあげる。足元に広がっていた雲が湧き上がり、視界を真綿のように包んで行った。

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