第3話 ヤーモン



 キキキキ、キ、キ、キ、キ、キ………


 落ち着く鳴き声。ひぐらしの声だ。

 初夏から晩夏にかけて、明け方や日暮れ間際の、ほんの少しの時間だけ見事に合唱する健気な虫。大好きな鳴き声だ。

 その音色に合わせるかの様に、木々の葉を揺らすそよ風が夕涼みを演出している。

 この心地良さ、極上の時。

 自然の脅威に敬意を払いたくなる。




 ……彩雲や  刹那に望む夕の空

             涼風すずかぜたはむる蜩の声……




 主様ぬしさまだ。


 主様はいつも風が囁く様に現れる。

 自然音と調和しているその歌は、寂しさを遠ざけ虚しさからすくい上げてくれる。

 心の拠り所、数奇な時を歩む俺にとっての心の支え、それが主様だ。

 子守唄を歌う様にあやしてくれるこんな時は、全身の力が抜けて安心感に包まれる。

 


「よお、嵐蔵。元気か?」

 驚きは一気に意識を覚醒させた。

 窓の外を確認すると、夕映えは遠のき辺りはもうすっかり薄暗くなっていた。

 俺は起き上がって体を軽く伸ばし、視線を窓へ移した。ガラスに真っ白い腹を密着させながら声をかけてきたのは、俺より先にこの家を守るヤモリだった。


「久し振りだな、ヤーモン。何処に雲隠れしていた?」

 窓越しに声をかけてみる。

「ちょっと他にヤサが出来てたもんでね」

 行動範囲は広いとみえる。

「ところで嵐蔵。お前、最近よく固まってるよな。何か聞こえてるんだろ」

 あの声の事を言っているのはすぐに分かった。

「お前も聞こえているのか?」

「まあな」

 ドラゴンと言いヤーモンと言い俺たち皆に聞こえているという事だ。

 


「嵐蔵? どうしたの?」

 窓辺でヤーモンと話をしているとなっくんが起きて来た。ヤーモンは何食わぬ顔で窓辺に貼り付きウロウロして見せている。

「何だ、ヤーモンと話をしてたのか」

 なっくんは微笑みながらそう言うと、俺の頭を優しく撫でた。

 動物好きななっくんは、爬虫類であろうと例外無く好きだ。『ヤーモン』と命名したのがなっくんである事からも分かる様に。

 


「なっくーん、嵐くーん、ご飯よー」

 キッチンから母の声が聞こえてきた。

 俺は一目散に駆け寄り、一度器の前で座ってからいただきますの儀式を済ませ、いつものように思い切りがっついた。



 ……チリン……



 聞き慣れない音に驚いて、瞬時に器から飛び退き母を見た。

「え……? 何かしら。変ね。嵐くんのご飯から鈴が出てきたわ」

 母はそっと器に手を入れてその鈴を取り出した。

「これ、銅の鈴ね。うちにこんなものあったかしら?」

 来た。主様からのサインだ。それにしても、こんなにダイレクトなサインはこれまでにない。主様、何か急いでいる……?

「ねえ、お母さん。この鈴、僕が貰ってもいい?」

 なっくんはこういう不思議な事が大好きだ。

「いいけど……。ちょっと洗った方がいいわよ?」

「うん、ありがとう」

「だけど本当に変よね……。何であんな鈴が嵐くんのご飯に入っちゃったのかしら。おかしいわよね。どう考えてもあり得ないわ」

 母は何度も首をかしげながらダイニングテーブルの椅子に腰かけた。

「あら、なっくん、ご飯まだよ?」

「え……? う、うん。これ、先に洗ってくるよ」

 怪訝な顔で見つめる母の姿を尻目に、なっくんは素早くキッチンへ向かった。綺麗にご飯粒を落とした鈴をじっと見つめ、そのまま自分の部屋へ駆け込んだ。



「ねえ、嵐蔵」

 部屋に入るとなっくんは、急いで後ろ手にドアを閉めた。

「実はお母さんには言わなかったんだけど、僕、この鈴の事知ってるんだよ」

 俺はなっくんの顔を見上げた。

「最近、いつも夢に出てくるんだよ。これは大昔から神事に使うものの一つで、とっても大切なものなんだって。なのに行方をくらましてしまってその辺りに暮らす人たちは困り果てているって。収穫祭をしようにもその鈴が揃わないと神からの力が降りて来ない。とっても大事な産業の要にもなっていた植物が次々と枯れて行ってるって。ねえ、嵐蔵。ここの所いつもこの夢ばかり見ていたんだ。そうしたら今日、現実に姿を現して来たんだよ。驚きだよね?」

 なっくんは俺の目線に腰を下ろし、真剣に話を聞く俺の頭を優しく撫でてから、目の前で銅の鈴を鳴らした。



……チリン、チリン、チリン……



 どこからか心地良い風が吹いた気がして、俺は息を深く吸い込み目を閉じた。

 







 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る