第2話 ドラゴン


 


「良かったわねえ。だけど最近やけに頻繁よね。一度病院で診て貰った方がいいかしら……?」


 母が心配そうに呟いている。俺は慌ててなっくんの前に座り目をじっと見つめた。

「お母さん、ちょっと待ってよ。何だか嵐蔵は嫌がってる気がする。僕がちゃんと様子を見るから少し時間をちょうだい?」

 さすがなっくん。俺の事をちゃんと分かっている。味方だ。大の親友だ。尻尾を振りながらなっくんの顔をペロペロと舐めて見せた。

「そう? じゃ、あなたに任せるわね、なっくん」

 母はそう言うと俺の頭を軽く撫でキッチンへ戻って行った。

「嵐蔵。君は僕の親友だから。ずっと大好きだよ」

 なっくんは少し深刻そうな、同時に安心した様な面持ちでじっと俺を見つめた後、俺を抱きかかえる様にして大きなクッションに埋もれた。そしてゆっくり目を閉じ静かな寝息を立て始めた。相当に疲れたのだろう。すまない、なっくん……。俺はなっくんのおでこに鼻先で触れ匂いを嗅いで、そっと腕をすり抜けた。


 ベランダの入り口に座り、秋めいてきた風に体を預ける。

 まだ残暑は厳しいものの、晴れ渡る空は時折うろこ雲を率いてくる。

 入道雲の出番が徐々に遠のき、季節の移ろいを感じ始めていた。


「秋の匂い……」

 俺は鼻先を上げ目を閉じ風の動きを追っていた。


「何うっとりしてんだ?」

 突然の声に驚いて目を開け、背中の毛を逆立てる。目の前では金色に光るオニヤンマが静止飛行していた。

「なんだ、お前か」

 間抜け顔を見られた様な気恥ずかしさから素っ気ない態度でかわす。




……少し前の事だ。

 風が夏の訪れを告げた頃、散歩途中の田んぼの上を浮遊するオニヤンマがいた。神の力作か、と思えるほどの金色は夕陽を跳ね返す眩しさを誇り、悠々と飛ぶ姿は美しく神々しかった。それが出会いと言えば出会いだ。何故か奴はそのまま俺たちの後をついてきて、それ以来ここに居ついている。そんな奴の事を俺は自然と『ドラゴン』と呼ぶようになった。


「なんだよ、久し振りに会ったんだろ? 嬉しくないのか?」

 、と言っても昨日会わなかっただけだ。

 しかしいつもの事ながら、奴が喋る度に思う事がある。この見た目とのギャップの凄さは神のいたずらなのだろうか、と……。芸術的だと表現すれば許されるのだろうか? 奴に言ったら何と言うだろうか? 色々な思いが頭を駆け巡ると笑いが込み上げてくる。

 ドラゴンはベランダの網戸にしがみつき、俺の目の前で羽をパタパタとはためかせていた。

「俺にも聞こえてるんだぞ。そろそろ、って事なんだろ?」

 あの声の事を言っているのだろう。

「分かってる」

「なんだよ、つまんねーな。抱っこばっかされてていいよなー犬は。ほら、お手!」

 奴はいつもこうやって煽ってくる。

「この野郎! 舐めるなよ!」

 俺は網戸に突進するフリをしてドラゴンを威嚇した。

「はははっ。じゃーまたな。急いでくれよ〜。」

 そう言い捨てるとドラゴンはパタパタと飛び去って行った。


 奴にもあの声が聞こえているという事か。さあどうしたものか……。考えているうちに眠気が襲ってきた。ソロソロと歩みを進め、微かな寝息を立てて眠るなっくんに寄り添い丸くなり目を閉じた。

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