嵐蔵
樹部るじん
第1話 嵐の日に
派手な音をたて、猛スピードで転がる空き缶は瞬時に視界から消えた。
街路樹の長い枝は
割れたガラスの破裂音に
唸り声をあげ吹き荒れる暴風は冷たい
空腹と寒さで目は徐々に霞む。めまいは俺の意識を呑み込んで、もはや方向感覚さえも消失寸前だった……。
年の瀬も迫る冬の日。
季節外れの台風が町を襲い、住人たちは避難所に指定された学校の体育館に身を寄せていた。
未曾有の災害に、皆それぞれにひたすら祈り息を潜め、悪夢のような時間が過ぎ去るのを待った。
頭上には黒い雲が渦を巻きながら広がり、空を覆い尽くすその不気味な影のような目には、どこか温かく強い光が内包されていた。
俺がなっくんに助けられたのは、そんな奇妙な嵐の日だった。
「お母さん! ちょっと来て!」
突然の大きな声とレインコートにぶつかる雹の音で意識がうっすらと戻ってきた。
「なっくん、危ないわよ! 早く体育館に入りなさい!」
俺は避難所の前で倒れていた。まぶたは凍りついて開ける事ができない。
「早く中へ運んであげて! 死んじゃうよ!」
「毛布はありますか!」
「あなたは頭を支えて!」
ごうごうと吹き荒れる暴風の中、大声で叫ぶ人々。朦朧とする意識に翻弄されながらも、かろうじてその様子が遠くに聞こえる。
毛布で包まれた俺はそのまま館内へ運ばれた。誰かがやかんに入っていた熱いお湯でタオルを湿らせたらしい。俺のまぶたに柔らかく温かい世界が広がっていく。
……ここは天国か……?
色とりどりの花畑に包まれている様なぬくもり。俺は腹の底から、唸り声とも溜め息とも取れぬ声を漏らしていた。
今でも忘れない。本当に生き返ったという気がした。温かくて温かくて心の奥底の凍りついていたものが溶け出していった、そんな心情だった。
優しい手をした『誰か』は冷えたタオルを何度も温め直し、繰り返し俺のまぶたに当てた。
どれくらいの時間が経過しただろうか。ようやく目を開ける事ができ体育館の強い光に目を細める。
徐々に目が馴れて来ると、タオルを握り締めた一人の少年の姿が目に飛び込んで来た。彼の優しい笑顔は今でも目に焼きついている。これが俺たちの出会いだ。以来、俺たちは親友になった。犬だろうが人間だろうが関係ない。
「
「あら、また夢見てるのね。
皆の声は聞こえている。だが体が動かない。意識はしっかりあるのに体だけが眠っている、そんな状態だ。俺は時々こうなってしまう。
『……私はここだ……』
そして誰もこの声に気づかない。
あの嵐の日から早くも春を迎え夏が過ぎ、俺はもうすっかりこの家族の一員になっていた。
降り注ぐ太陽の光に照らされ、体の感覚が徐々に呼び覚まされていく。
なっくんの夏休みもそろそろ終わりに近づいている。
そんな晩夏の日差しは、暑い夏の名残を痛感させていた。
「ほーら、抱っこ!」
俺の体重は軽く20キロを超えている。が、母はいとも簡単に俺を抱え上げた。
彼女の上腕二頭筋を見れば誰もが納得するであろう。つまり、力持ちだ。
「嵐蔵っ! 嵐蔵っ! 早く戻ってきて!」
悲痛ななっくんの雄叫びが気つけになって、やっとの事で目を見開いた。じわじわと目の焦点が定まり互いに目を合わせる。あの嵐の日と同じように。
「嵐蔵! 大丈夫かい? 僕が分かる?」
俺は目一杯尻尾を振って見せる。そして元通りだと言わんばかりに歩き回って見せた。
俺の名は嵐蔵。立ち耳の長い尻尾。毛足は短め。人からは白い狼のようだと褒められる事もしばしば。嵐の日に拾われたのがこの名の由来だ。
俺が住んでいるこの町は、
この町では毎年、古くから受け継がれているという収穫祭がある。この地域の人たちの心の根底には、常にこの収穫祭を重んじる意識があった。だからこそ、毎年の祭りの為に日々を捧げている様なところが、人々の中に自然と見え隠れしていた。
祭りと言う行事でありながら、生活の一部、体の一部として人々に寄り添い一年を歩む存在は、もはや生き物と言っても過言ではないだろう。
年に一度、町中を祭り一色に染めるその賑わいは黄金色に輝く稲穂がこうべを垂れる頃、朝夕の涼と共にやって来る。
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