第6話 秘密




 その話は300年ほど前に遡るという。



 当時、村の民は皆平和に幸せに暮らしていた。いさかい事などは全くの皆無で、老若男女、例外なく皆、自然を敬い、太陽を仰ぎ、月を愛で、仲良く暮らしていた。

 古来から伝わるという五穀豊穣を願う祭りが執り行われるこの日も、皆は協力し合い感謝とよろこびに満ちていた。不平不満など出るはずもなく、心志一つに結束する姿は神でなくともその美しさに心打たれること必至だった。



 この日の空は青く澄み渡り、鋭く射し込む陽光はまるで事の起こりを暗示しているかのようだった。 

 白装束で現れたのは、この地に集落が築き上げられて以来五代目となる酋長だった。歴代酋長の中でも、とりわけ初代酋長に匹敵するほどの呪力を持っていた五代目酋長は、毎年変わる事なく、祭りの前の重要な儀式に命懸けで臨んだ。その儀式とは今で言うまじないの様なもの。五代目酋長は、その儀式もさることながらその後に顕れる事象に重きを置いていた。

 そしてその事象は、未だかつてないメッセージとして届いた。儀式の時に使う聖水が濁り、その器が木っ端微塵に砕けてしまったのだ。

『災い』を意味するその現象は、先祖代々儀式に使われていた陶器を無残にも土へと変貌させた。こぼれ落ちた聖水はまるで生き物の様に地を這い地面へと吸い込まれて行った。

 五代目酋長はうろたえる事なく速やかに次の行動に出る。

「結界を張れ!」

 村の屈強な男たちに指示をすると、日頃から様々な儀式と同じく訓練されていた男たちは次々と作業へと取りかかった。あっという間に村の様相は変わり、女子供たちは初めて見る五代目酋長の顔や男たちの動きに不安を覚えずにはいられなかった。



 その日から五代目酋長は祈祷所にこもった。以来村には火が絶やされる事なく自然と村一帯が祈り一色となった。

 月に祈りを捧げ三月みつきほども過ぎた頃、その時はやってきた。ドタドタと村の入口にけたたましい足音が鳴り響いたかと思うと、見張り役の若者が駆け込み息も切れ切れに叫んだ。

「奴らがこの村に向かって馬を走らせている!」

 だが皆、誰もうろたえなかった。誰が口を開く訳でもなく静かにその時を待った。遠くから馬のひづめの音が聞こえ、それはどんどん近づき、とうとう村の入り口を突破するかのようになだれ込んできた。



 奴らというのはこの村からふた山ほど離れた所に小さな集落を持つ民族の事だった。長い間、互いに牽制などという言葉も意味も成さないほど、遠くで空気のように距離を置いてきたのだが、ここのところ良くない噂がこの村に届いてきていた。この村の宝、門外不出である秘宝植物の奪還を企てていると。



 見た事もない面々に皆、身を硬くした。そしてこの次に何が起きるのだろうかと固唾かたずを飲んだ。ところが……。士気を上げ徒党を組み勢い勇んできた別の村の男たちは、物騒な刃物その他を次々に地面に落としていった。その異様な光景に皆、一様に見入った。

 次の瞬間、祈祷所の引き戸のきしむ音が、辺りに鳴り響いた。五代目酋長が祈りから戻ってきたのだ。百か日もの間、不眠不休で呪術の力と神通力を拠り所に祈りを捧げてきた姿は目を背けたくなるほどの壮絶さをたたえ、五代目酋長の持つ呪術の限りが尽くされた事は誰の目にも明らかだった。

 祈りは功を奏し無頼漢たちの以前のすさんだ面影などはなく、その微笑む顔はついさっきまで起ころうとしていた悪夢などまるでなかったかのようなあどけなさだった……。

 


「争いごとに発展しなかったのに何故、幸せや平和は続かなかったのですか?」

今まで黙って真剣に聞き入っていた総代はその話の先を早く聞きたいといった様子で質問を急いだ。

「もちろん平和は続きましたよ。表向きは……」



 それから自然と二つの集落は一つにまとまり、神宝である植物も奪い合う事なく、また枯れさせる事なく力を合わせ守り通していった。だが、この土地の民が与えられていたかつての幸せというのは心の問題であったため、今回の出来事は晴れ渡る一点の曇りもない心に憂いを残した。

 この集落の民は五代目酋長を筆頭に不思議な能力を持っていた。祈りの儀式の時、五代目酋長は、何を以ってこの災いを、どの様な形で封印したのか、皆分かっていた。それ故にそれぞれが心を痛め、また心に影を残した。

 この能力があるのは『始めの民』のみ。『後の民』は無頼漢であった事すら記憶にない。分かっている者と何も知らない者。おのずと前者が担う役割は五代目酋長に続き壮絶だった。

 どんなに『後の民』が失敗を犯しても『始めの民』は責めたてなかった。問題を許容し、そして共有し、何故そうなったのか、どうすべきだったのか、今後どの様に対策を施すべきかを皆で親身に話し合い、それぞれが持つ苦手な部分を補い合って行った。


 ここで諍いを起こす事は天に向かって唾を吐く事。

 神からすれば自分たちは一蓮托生なのだという思いが強い心を形成し村は自然と更なる繁栄を遂げて行った。またそれに伴い『後の民』もそんな心に応えるべく少しずつ変わって行った。思いやり、いたわり、ねぎらい、慈しみの精神が芽生え、愛という心の部屋を大きくして行った。




「……宮司。何故『始めの民』は心に影を落としているのですか? 確かに生活が突然に一変するという事はかなりのストレスではあると思いますが、試練を乗り越えながら繁栄を遂げ、アクシデントをプラスの方向へ導いた民の功績を思えば、心晴れやかでいてもおかしくないのでは? 新しい幸福への幕開けと捉えれば、何も憂う事など無かろうにと。それとも何かあるのですか? その……、別の理由が」

 総代の真剣さは、まばたきすら省きたいと言わんばかりの前傾姿勢に現れていた。

「総代、実はこの話には続きがあるのです。厳密に申しますと、『裏』のお話です。ここから先は、現在直面している『祭りの延期』に直結するお話です。とはいえまだ結論は出ておりません。それでもお聞きになりますか?」

宮司は静かに言った。

「ここまで来て何をおっしゃいますか!」

総代は愚問だと言わんばかりに襟元を正し椅子に浅く座り直した。その所作は敬意に満ちていた。

 宮司はゆっくり立ち上がると一本のろうそくに火を点けた。俺となっくんも、側にある庭石に落ち葉を敷いて座り直した。



 

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