光が差すところ
公園には、光が満ちていた。
肌色の地面が陽光を受けてきらきらと輝いているのが、なんとも眩しい。
――あっ。
コンビニで買ったおにぎりの具がぼろぼろと零れていった。おかかが塗装の剥げたベンチに、地面に潰れていく。少しスーツにも付いてしまったので、思わず溜息を吐いてしまっていた。箱の隅に残った少ない幸福さえ逃げていくような気がする。せめて跡が残らないように綺麗に布からおかかを取り除く。
それにしても、公園を見て呆けていたのだろうか、もったいないことをした。最近、交通費が嵩んでいるので、少しの損でも口惜しく感じる。また溜息を吐きかける。幸せが逃げるという迷信から逃げ出せず、ぐっと息を堪える。
――ここ?
イライラした調子の女性の声が聞こえた。
声のするほうへ顔を向けると小さい男の子を連れた夫婦の姿が見えた。ちらりと見えた女の人の顔は険しく歪んでいる。ああ、父と言い争っている母の顔を思い出す。どこに行っても、私は「家」から逃れられない。
――大丈夫だって、ちゃんと調べてきたって。
――パッっと見、そんなの見当たらないんだけど。
何が見当たらないのだろうか。
昼時とあって夫婦も食事を始めた様子で、涎を誘うような匂いがする。どうやら、向かいのベンチに座って弁当を広げているようで、沢山のタッパーに揚げ物や炒め物などがぎっしり詰め込まれているのが分かった。
「そんなことよりも」と私は草臥れた本を取り出した。「面接ハンドブック」とタイトルが振られている。役に立ったことはそこまでない気もするが、読まなければなんだか不安になってしまうのだ。父が吸うタバコと似たようなものだと思う。私は、依存症なのだ。就活ハウツーテキスト依存症。
――ここまで来たのよ。
――俺のせいじゃないだろ。
言い争う声の遠くにバタバタと子供の走り廻る音がした。こら! と息子が遠くに行くのを諫める母親の声がする。
ハンドブックを捲るが、目が文字の上を滑って内容が頭に入ってこない。これから受けに行く企業は滑り止めの上、そこまで就きたい業種でもないためだ。したくもない仕事のために、就きたくもない企業の面接の練習をしている。そうまでしているのは、あの息苦しい家から逃れるためなのに、なのに――。
――他を当たればいいじゃないか。
――呆れた。ここにあるってあなたが言ったのよ。
夫婦の会話が否応なく聞こえてきて、先ほどまで食べていたおにぎりが喉元まで上がってくるように感じる。私は、努めて忙しなくページを捲る。読もう、読まねば。面接までの時間を無駄にするな、私。
――最新の遊具なんてどこにもないんだけど。
――そもそも最新の遊具なんてどういうのなんだ?
ここにはそんなものはない。ただの広い公園でしかないのに。
刺すように鋭くなる母親の声が心臓をきゅうっと縮ませる。
私は捲る。捲る。読んだ端から文字が滑って、きれいさっぱり何処かに飛んでいく。
――あなた、調べたんじゃないの?
――お前の言いだしたことなんだから俺だけ責めるなよ。
――頼まれたことくらい一つくらい自分でできないの? だから、あなたは。
心臓が大きく、早く脈打っていく。呼吸ができない。自宅の部屋に居るような閉塞感に押し潰されていく。頭上の空は、こんなにも広いのに狭苦しい。
逃げるようにページを捲っては文章を追いかける。追いつく前にページが繰られて文字が消えて、何が書いてあるのかもうすっかり分からない。捲って捲って、何も得られないまま最後のページに――。
「見つけたよ!」
少年は、確かにそう言ったのだ。
きっとあの遊具だよ、と少年が遠くを指差した。すると、母親の声が一息にぱあっと華やいで、どこどこ? と息子へ無邪気に問いかける。やっぱりあったじゃないかと、間の抜けた声を出す夫を、妻は朗らかに笑って叩く。
私は、腕時計を見遣った。いつの間にか面接の時間が迫っていた。荷物を纏め、面接会場へ移動する準備をする。最後に、ふぅっと深く呼吸した。春めいた空気が、肺いっぱいに満たされていく。
立ち上がると、どこかへ駆けていく小さな家族の姿が見えた。
遠くに聞こえるのは、柔らかな笑い声。それに背なを優しく押され、私は暖かく光る公園から歩み出た。
夜明けを駆けるうんち 延期 @kishou-muri
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