おつきあいしませんか

戸松秋茄子

本編

 高校二年の春、ちーちゃん先輩と付き合うことになった。


「何しよっか」


 ちーちゃん先輩が見上げるようにして聞いてくる。あたしは背が高い。ソフトボールをやっていた頃は、それが大きな武器になったものだけれど、それも過去の話だ。


 肘を壊した。たったそれだけのことで、この体そのものが無用の長物と化してしまった。まるで脚が一本折れただけで使い物にならなくなるテーブルのようだった。拾い手のいない粗大ごみ。ちーちゃん先輩が手を差し伸べてくれなかったら、きっとその場で腐っていた。


「今日から恋人同士だもんね。いろんなことできるよ。手とかつないじゃう?」


 ちーちゃん先輩の手が触れる。わたしはとっさにその手を振り払ってしまった。


「ち、ち、ち、ちーちゃん先輩は誰とでもそうやって手をつなぐんですか」


「誰とでもなんて、そんなことしないよ。大切な人とだけ」


 大切。そんな言葉ひとつで心臓がどきりと跳ねる。けれど、一口に大切と言っても色々だ。


「大切?」


「そう、付き合ってる人とだけ」


 もう一度手を近づけてくる。ああ、なんてちいさな手だろう。これじゃきっとボールだってうまく握れないだろうな、なんてソフトボール脳のあたしは思う。うらやましい。自分の馬鹿でかい手で、すっぽり包んでしまいたいと思う。だけど、だけどだ。


「……やっぱりいいですよ」


 ちーちゃん先輩が大切に思ってくれるのは嬉しい。けれど、その「大切」の種類が分かるまでは安易に触れちゃいけないと思ったんだ。


 あたしたちは。付き合うって言ったって何をすればいいか分からない。 どうしよう。もうすぐ駅に着いてしまう。そしたらちーちゃん先輩とは離れ離れだ。


「どこか寄って行きませんか」


 思い切って言ってみた。


「うん、いいよ。でもどこにする?」


「駅前の商店街でも……」

 

 あたしはあまり遊び場を知らない。いつもはまっすぐ帰って、寝てるか漫画を読んでるかだ。こんなことならあらかじめリサーチしておけばよかった。昨日のあたしは告白の文言を考えるのに夢中で、そこまで気が回らなかったんだ。自分の見通しの甘さがつくづくイヤになってくる。


 駅前の商店街は思ったよりもにぎわっていた。人通りが多くて、ちょっと気を抜いてると肩がぶつかりそうになる。スーパー、書店、ネットカフェ、ドラッグストア。中ほどまで進んだところで、ちょっと大き目のゲームセンターを見つけた。入り口には、客を迎えるようにしてクレーンゲームの筐体がずらりと並んでいる。


「よく、『あれ取ってー』とかやるよね」


 ちーちゃん先輩が筐体のガラスに張り付きながら言った。


「そうですね」あたしはさっと料金を確認した。一プレイ三〇〇円か。こういうものはもっと高いものだと思っていた。「先輩は何かほしいのありませんか」思わず強気になってそんなことを言う。


「取ってくれるの?」


「やってみます」


 これでもピッチャーをやっていたときは正確無比のコントロールを誇ったのだ。クレーンくらい自在に操作してみせる――なんてまるで不合理なことを思いながら硬貨を投入した。先輩はちょっと不気味なカエルのぬいぐるみをご所望だ。手足がみょーんと伸びていて、目を閉じている。


「がんばってー」


 クレーンの操作は思ったよりも難しかった。同じぬいぐるみを狙って、何度かプレイしたけれどボタンを押すタイミングがうまくつかめない。失敗を繰り返しながら、そういえば、あたしは野球ゲームはまるで下手だったなと思った。


 九枚目の硬貨を投入しようとしたとき、見かねたちーちゃん先輩が言った。


「ねえ、交代しない?」


「でも……」


「わたし、こう見えてもけっこううまいんだよ」


 そういうちーちゃん先輩は本当に自身満々に見える。制服の裾なんてまくっちゃって、白い腕がまぶしい。ちーちゃん先輩はたった二枚でカエルの目玉にクレーンの爪を引っ掛け、落とすことに成功した。


「はい、これはほのかにあげます」


「え、でも先輩がほしかったんじゃ……」


「いいの。ほのかがこういうの好きかなって思ったから」


「じゃあ、お言葉に甘えて……」


 急に愛おしくなってくるからちーちゃん先輩は偉大だ。今夜はこいつと眠ろう。そんなことを思ってると、ちーちゃん先輩はスマホを見て「あっ」と声を漏らした。


「どうしたんですか」


「ごめん。ほのか。今日、やえたちとカラオケ行こうって約束してたの。わたしすっかり忘れてて……」


 なんだろう。楽しかった時間に急に水を挿された気分だった。思わずぬいぐるみを抱く腕に力が入る。


「でも、せっかくほのかといるんだし……」


「行ってください」


「でも、」


「あたしのことはいいです。行ってあげてください。あっちの約束が先だったんですから」


 ああ、自分はなんてめんどくさい奴だろうと思う。


 告白なんてするんじゃなかった。そんな後悔が波になって押し寄せてくる。


 あたしの告白はみっともないものだった。つっかえつっかえで、何度もどもりながら「おつきあいしませんか」までたどり着いたのだ。


 何が「おつきあいしませんか」だと思う。


 あの不恰好な告白。ちーちゃん先輩はオーケーしてくれたけど、想いがうまく伝わらないまま、ただ「付き合う」っていう形だけが先にできてしまった気がした。


 そりゃ女の子同士だもん。いきなり好きとか付き合ってなんて言われても飲み込めるわけがない。


 そうだよ、ちーちゃん先輩って天然なとこあるし……そんな風に思えてくる。


 ちーちゃん先輩の方を見る。いま、あたしは誰よりもちーちゃん先輩の近くにいるはずなのに、誰よりも遠くにいるような気がした。付き合うってなんて苦しいんだろう。


「ごめんなさい。先輩。やっぱり別れましょう」


「どうしたの急に」


「だって、あたしなんかじゃ全然つりあわないです」


「もう、何言ってるの。わたしたちは付き合ってるんだよ?」


「だって、あたし自分の気持ちを全然うまく伝えられないんです……だからきっと先輩にも勘違いさせて。好きって意味も。付き合うって意味も……」


 あたしが言ってる途中で、ちーちゃん先輩はスマホに何か入力しはじめた。


「なんて打ってるんですか」


「いまから断るの。ごめーん。やっぱりいまからは無理。ちょっと用事が入っちゃってって」


「どうして……」


「ほのかと一緒にいたいから。ダメ?」


「え、でもあたしなんてただの後輩じゃ……」


 下からにょっとちーちゃん先輩の腕が伸びてくる。手首の白さに見とれていると、でこピンされた。


「痛っ……」


「もう、ほのかってば先輩のこと馬鹿にしすぎ。わたしだって全部分かっててオーケーしたんだから」


「え、本当に? じゃああたしのこと……」


「うん、大好き」


「そ、そんな。こんな場所で」


「訊いたのはほのかだよ?」


「でも……でも……うう」


「もう、どうしたのさ」


「だって、はじめてだから。好きなんて言われたのはじめてだからもっと特別なシチュエーションがあるもんだと……」


「もう、ロマンチストさんだね」ちーちゃん先輩が言った。「ねえ、ほのか。これから何度でも好きって言うよ。それで埋め合わせにはならない?」それから笑って「ねえ、さっきからわたしばっかり不公平じゃない? ほのかはわたしのことどう思ってるのかな」


「どうって……好きです。すごく……」


「うん、わたしも好きだよ」


 ちーちゃん先輩が微笑む。まるで大輪の花だ。笑い方から何から、すべてがぎこちないあたしにとってこうやって自分の気持ちを素直に表現できるちーちゃん先輩はとてもまぶしい。


「やっぱり、手つないでもらっていいですか」


 あたしは勇気を出して言った。


「うん、いいよ」とちーちゃん先輩が答えて、子供みたいにちいさな手を差し出してくる。


 あたしはその手を優しく包み込んだ。

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